「歯」の短編小説
小学生の頃、6月の全校集会で「虫歯」の劇の主人公を演じた私が書く、歯の小説約3000字。
ちなみに私は歯並びが悪いのにも関わらず6年間虫歯0で表彰されていて、歯医者の思い出はほぼありません。
それではどうぞ。
弟の歯
「お兄ちゃん、屋根の上に投げてあげて」
そう言って母さんは俺の手のひらに小さな白い粒を落とした。
カチカチとした手触りで、全体的に乳白色。
所々黄色く変色し、その中心が茶色っぽくなって少しかけている、虫歯になった弟の乳歯だった。
「屋根に投げるの?」
「そうよ、お兄ちゃんのもしたでしょ?上の歯は軒下に、下の歯は屋根に投げるの」
言われてみると確かにそんな事をしていたな?と思い出す。
父さんが休日に意気揚々と俺の歯を投げる姿。
「すくすく大きく育つよう、にっ!」
肩をブンブン回した後、わざと俺を笑わせるようにおおきく振りかぶって小さな歯を力一杯高く投げた。
小さな俺の乳歯は本当に小粒だから見えなくなって、耳を澄ますと小さく「コッ」と瓦に当たる音をさせて所在を隠した。
洗面台で弟が口をゆすいでいる音を聞きながら玄関を出る。
弟は1年生、俺は4年生だけど身長差がもうほとんどない。
背の順で並ぶと俺も後ろから数えたほうが早いけど、弟は年中さんから小学生に間違われるくらい背を伸ばす力がある。
負けじと牛乳を飲むけど弟の方が沢山飲めるし、負けたくないけど勝ち目はない。
それでもまだまだ甘えん坊で、すぐに弟は抱っこを要求する。
急に寂しい気持ちになるのははよく分かる。
でも、そろそろ腕が引きちぎれてしまいそうだし、弟が重しになって俺の身長が伸びなくなっている気さえする。
「兄ちゃん!なげた?」
服の袖で口元を拭いながら弟のみつが庭に出てきた。
ニカっと笑った下の歯の隙間を舌でチロチロ舐めながら同じ目線で俺を見る。
一昨年まで腰にしがみついていたのに。
お前は膝下が長いから大きくなる!とおじいちゃんが自慢げに言ったけど、俺の身長は止まっている。
高校生になったら伸びるわよ!と母さんも言ったけど、俺が高校生になったら弟は中学生、もう抱っこはいらないだろう。
今は伸びないでほしいんだよ、お屋根の歯の神様。
もうちょっとお兄ちゃんでいたい。
俺は弟の歯をぎゅっと握る。
「投げない」
「なんで?」
「みつが大きくなったら、抱っこできないから」
「なんで!」
「あのね、お屋根に歯を投げるとみつは俺より大きくなるの。
そしたら、お化けの日の夜のおしっこの後、怖くて泣いちゃっても抱っこないよ?重くて潰れる。みつは1人で歩ける?」
「だめ!お化けの日だめ!」
「だから投げない」
「じゃあ、歯は?うめる?ザリガニのとなりあいてるよ?」
秋の終わりに作ったザリガニのお墓を2人で見る。
目印に刺したアイスクリームの棒は3週間前の豪雨でどこかに流れていた。
「みつはまだ生きてるからお墓にしないよ」
「じゃあ口の中にもどす?」
「虫歯になってるからだめよ、歯医者さん嫌でしょ」
「いゃだ、抱っこ!」
もう、じゃあちゃんと歯を磨かないと。
と言ってももう半べその弟は聞く耳持たずに抱きついている。
仕方なく下手になった手を脇腹に差し込んで、俺はヨイショと後ろに体重をかけ、腰いっぱいで弟を持ち上げる。
グーにしたままの手の中で、みつの白い歯が親指の付け根に食い込んで鋭く痛い。
弟はあったかくてやっぱり腕が引きちぎれるくらい重い、食いしばりすぎて俺の奥歯も割れちゃいそう。
どうにかしないと。
生活の時間にお裁縫で、俺は小さな白い巾着を作った。
なみ縫いで一本ずつ針を通し、ひもは弟の好きな水色にした。
俺の手のひらくらいのサイズのそれを先生に提出すると、創作の意図を聞かれた。
「弟の歯をいれます」
俺の言葉に先生は目を見開いた。
白目に赤い血管が走って抜けたての歯みたいだった。
「歯?」
「はい。抜けた歯をここにいれてあげるんです」
「歯は屋根に投げるって言うけど、投げないの?」
先生は手の中の巾着の紐を弄んでいた手を止めて、スッと開いて中を見る。
「はい。屋根に歯を投げて弟の背が大きくなると困るんです。
弟はとても甘えん坊で抱っこが好きだけど、体が大きくてもう俺には大変で。
だから、抱っこがいらなくなるまで背を止めようと相談して決めました」
先生は「それはね……」と言いかけて黙った。
そしてシュッと音を立てて巾着を閉じ、人差し指を突っ込んでまたシャッと開いた。
裏返して縫い目に触り「ちゃんと返し縫いも出来てるね」と仕上がりを褒めてくれた。
「いれた歯はどうするの?」
「妖精がとりにきます」
「ほう、妖精?」
これはたまげた!とでも言うように、先生は椅子を軋ませ仰け反った。
そして頭を抱えて元に戻ると、どうゆうこと?と今度は興味津々で前のめりになる。
「図書館の人に「抜けた歯を屋根に投げる以外の方法があるか」を調べたいから、そんな本があるかを尋ねたら、外国の絵本を探してくれたんです。
抜けた歯を枕元に置いておくと、トゥースフェアリーが来て歯をお金やプレゼントと交換してくれると書いていました」
「へぇ、面白いねぇ」
先生は顎に当てた右手の人差し指と中指で、ほっぺの上からトントンと自分の歯を叩いた。
「でも弟は寝相が悪くて歯がどっかいっちゃうし、歯を探すトゥースフェアリーを潰しちゃいけないでしょ?だから分かるように巾着に入れておこうと思って」
「寝相悪いの?」
「はい、遊園地のバイキングみたいにゴーゴーって動きます。
寝始めはちょっとマシ、夜中が1番ひどくなって、朝方にまたちょっとマシ。
多分、トゥースフェアリーは1番危険な夜中に来てるんですよ。サンタさんも夜中でしょう?」
「あぁ、そうだね!サンタさんも夜勤だ!ハハハハ!そんで、たまったお金はどうするの?」
弟は歯磨きが嫌いでいつも母さんと大喧嘩になる。
牛乳を飲んだら歯磨きしないと虫歯になりやすいのに、片手間にするから増えている。
同じように歯磨き嫌いの2人の双子の妹がいる友達のまーちゃんの家では、ママが歯磨きの後に苺味のキシリトールタブレットを上手に出来たご褒美に与えるそうだ。
これで双子は癇癪を起こさないし、率先して歯を磨くようになった。
スーパーの隣の薬局でママがいつも買っていて、たまにまーちゃんも食べるけど、ラムネみたいで美味しくて300円くらいらしい。
「キシリトールタブレットのブドウ味を買います、虫歯にならないように」
「ほうほう、立派な理由だ!いくらたまった?」
「後3本たりない」
「ハハハハ!!歯の具合はどう?」
「もう1本抜けそうで、巾着できるまで我慢して!って頼んでます。
あぁでも今晩トンカツだから我慢できないだろうな」
「そりゃ大変だ!成績はつけておくから巾着持って帰ってあげなさい」
先生は巾着をクラスに内緒で先に渡してくれた。
「あと、トゥースフェアリーにキシリトールタブレットの話を手紙で書くといいよ。
妖精の森にはきっとないから、そんな耳寄りの情報は嬉しいだろうし、報酬を奮発してくれるかもね」
「そっか、森に薬局ないんだ!その薬局10時まで開いてるのも書いておこう、水曜日はポイント倍デーも」
「敏腕主婦か」
「先生ありがとうございます、弟も安心してトンカツ食べれます」
晩御飯の時にこっそり巾着を見せると、弟は大満足でトンカツを豪快にほうばり、ぽろりと歯が落ちた。
寝る前にキシリトールタブレットの事を落書き帳に書いて、小さくたたんで綺麗に洗った歯と一緒に巾着に入れ、2人で枕の下に隠した。
朝目が覚めると、巾着の中に500円玉が入っていた!
両手で包んで太っ腹の妖精にお礼のお祈りをし、水曜日に母さんと薬局へ行った。
「兄ちゃんハミガキじょうずしたよ!」
「はい、ご褒美ね」
あ〜ん、とタブレット欲しさに口を開ける弟の前歯は殆どない。
そして俺達の身長差は変わらずに平行線。
でも弟の歯茎の下からは、すくすく元気な白い歯が伸びてきている。
思い出の中の歯(後書き)
4人姉妹の3番目の私以外は、背が高い家庭でした。
年子の姉とも30㎝くらい差があり、姉達はいつも背の順は後ろ、私は前の方。
妹が出来た時は「自分よりチビ」がきたのが嬉しくて嬉しくて、それは可愛がりました。
が。
5歳下なのに年子と間違われるくらい妹は育った。
そんな妹は歯の根っこもとても長くて乳歯が抜けず、ずっと歯医者に通っていた。
勝手に抜けないので気持ち悪いのかむずがって暴れる妹をよく抱いたものです。
病院でやっとの抜歯して、勝利の証の様に見せつけられた妹の歯のポテンシャルに今度は愕然とした。
私の乳歯はダンゴムシくらいの小粒なのに、妹の乳歯はナナフシみたいに足(根っ子)が長くて仰天。
慄きながらも母に「屋根に投げろ」と言われ、なんだか怖くなって力一杯2階の屋根まで投げたのを覚えてます。
作中、お兄ちゃんは「屋根に歯を投げると背が伸びる」と勘違いしてますが、実際は永久歯が元気に育つ様にらしいですね。
今は3人の子の母親になった妹の歯は、とても健康ですが、顔を見るたびにあの異様に足の長い歯を思い出してちょっと気持ちがうっ、とします。