Gレコ劇場版3の感想:宇宙開発にロマンはあるか? Part1

【はじめに】
宇宙開発にロマンはあるか?って観点からGレコ劇場版3の面白さ、魅力をまとめてみる

【作品自体の面白さ】

グダちん のはてなブログを読めば十分ですね、特に最初のほうのリンクは私もnoteの記事で参照しています

【宇宙に住むことのリアル】
この記事では作品的な面白さというより、作品の背景となっている【宇宙に住むことのリアル】という観点を分析していきたい。論点は
1.宇宙に住むには自然が必要
2.スペースデプリについて
3.宇宙開発の是非
を挙げてみる

[はじめに]
この話をする前提として、富野監督は「宇宙開発に否定的」なスタンスです

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<ガンダムエース7月より引用>

「宇宙開発より地球保全のために投資してほしい」とおっしゃっているけです。では、富野監督はなぜ「宇宙ロマン全開」のGレコという作品を作ったのでしょうか?特にGレコ劇場版3はベルリ・アイーダが初めて宇宙空間を冒険する話であり、「宇宙SF」として最高の作品なんです。「宇宙でモビルスーツやでっかい船が高速で動いたら格好いい」など、宇宙空間における冒険感、ワクワク感で満ち溢れています。矛盾しているじゃないかと思われるかもしれませんが、矛盾していません。富野監督にとってGレコとは「かくあるべし物語」、「ファンタジー」なのです。お前ら、宇宙開発とかアホなことを言うなら、「Gレコ」で描写されている技術を実現してみろ、ということなのです。だから、「Gレコ」はガンダムであってガンダムではないのです。残念ながらファーストを含めてガンダムワールドは基本的に「1970年代の宇宙開発にロマンがあった時代」の思想をいまだに引きずっているわけです、もうすぐ2000年代も20年過ぎるのにね。プラスしていまだに「戦記もの」という概念にいまだに囚われている、「戦記」という「地球の重力」が前提の話を宇宙空間で適用できると思っているわけです・・・。だから、「Gレコ」では「ファンタジー」という体裁を取って、富野監督が考える「宇宙で暮らすために必要な世界とは何か?」を表現しているのです。個人的に思想性を問う「Gレコ」を作り出したことで初めて、作品的にもガンダムはジブリに並んだと思っています。
前置きが長くなりましたが、富野監督の「あるべし」とは何か?自分なりに考えたことを書いていきます。

[宇宙に住むには自然が必要]
Gレコ劇場版3では
・スペースコローニーであるザンクトボルト
・ルナ2をベースにしたトワサンガ
で自然の描写を強調し、宇宙に住むには宇宙空間に自然が必要であるということがきっちり表現している。当たり前のことだろ?と思うが、その当たり前のことが「ガンダム」では当たり前じゃない。ガンダムWのラスト手前の話だったかな、コロニーの描写があったと思うけど、Gレコを見た後だとめちゃくちゃ貧相に見えてある意味衝撃だった。外壁を隔てる壁の内側に建物が建っているだけ・・・。ってンなところに人がまともに住めるかよ、宇宙VS地球って悠長な話、イデオロギー的な争いなんてしている場合じゃなく、生命の危機から反乱を起こすレベルだよ!

<宇宙空間に自然を持ってくるにはどうすればいい?>
んじゃ、宇宙空間に自然を持ってくるにはどうすればいいかって話になる。ガンダムの生活圏、というのはあくまで太陽系の内側にとどまっている。だから、地球から持ってくるしかないのだけど・・・・。でさ、農業ができるだけの土、空気、水ってさどうやって運んだの?・・・。このあたりの技術的裏付けが全くないんだよね。なんか、なんとなくコロニーでも農業ができる風に描いている。ファーストガンダムが作られた当時は技術信仰が強く宇宙開発にロマンがあったから宇宙空間における農業の問題は曖昧な感じでよかったけど、技術信仰が揺らぎかつ宇宙開発について現実的な考えを持たないといけなくなった、2000年代では宇宙空間における農業について真面目に考察しないといけなくなったんだけどねー。。。。まぁ、ガンダムファンというのはいまだにモビルスーツ、モビルスーツしか言わんわけですよ。どんな兵器技術がやばいかってノー天気なことしか言わない。いや、兵器技術以前にそもそも食い物がないと宇宙で戦争もできないわけですが・・・。御大はガンオタよりはるか先のことを見ている・・・・

<Gレコでは農業の問題に対してどのような解を与えているか>
まず、Gレコでは「空気の玉」、「水の玉」という空気と水を超技術で超圧縮している、という設定がある。「Gレコ劇場版1」でコアファイターに乗ったベルリが人が抱えられるくらいの大きさの「水の玉」をマスクのモビルスーツに発射するシーンがある。で、その時放出されたみずはマスクが「海の底に落ちたのか?」と感じるほどの圧縮率。劇中には描写がないが冨野監督は「土の玉」という設定も考えていたらしい。「空気の玉」、「水の玉」、「土の玉」という農業に必要な「空気」、「水」、「土」について超圧縮して運搬がめちゃくちゃ簡単にしたという設定を与えている。でそれを運搬するのは・・・、そうです、宇宙エレベータ、「キャピタルタワー」です。「キャピタル」、すなわち「資本」というのは伊達じゃないです。Gレコの「リギルドセンチュリー」という世界が成立するために必要な「資本」なんです。

<Gレコは経済を語るロボットアニメ>
Gレコの世界において
地球からは「土の玉」、「空気の玉」、「水の玉」
宇宙からは「太陽の光」から超技術で生産された超科学エネルギー「フォトンバッテリー」
を「キャピタルタワー」を通じてやり取りしていたということが容易に想像できる。「キャピタルタワー」の「キャピタル」はまさに世界を支える社会インフラです。「キャピタルタワー」を通じた経済システムの前にはモビルスーツなんてゴミ同然です。それがわかっているから、地球側のキャピタルアーミ、アメリア軍、月側のトワサンガのドレッド軍、金星側のビーナスグローブ軍は静止衛星軌道でどんなに激しい戦闘をしても、「キャピタルタワー」を破壊するようなことはしないのです。Gレコとはベルリ、アイーダ、特にアイーダが「キャピタルタワー」を中心とする「Gレコ世界の経済システム」を理解する旅、でもあるわけです。なので、ベルリとアイーダは劇場版3で利権争いをする連中を尻目に「フォトンバッテリーを生産するお膝元」である、遠い遠い宇宙の果て、ビーナスグローブまで旅をするわけです。で、長い長い冒険の果てに「Gレコ世界の経済システム」を理解し、その重要性を熟知したアイーダが「月の女王」になる、というのがGレコという物語の一つの骨格です。

〔まとめ〕
御大はGレコは「経済」を語った作品である旨の発言をされていましたが、この記事を書いてそれをまさに実感しました。そして、同時にGレコのそのコンセプトがガンダムを見る層との相性は悪いなーってことも・・・

残りの論点
2.スペースデプリについて
3.宇宙開発の是非
については、また、別の記事で書きます
農業問題から経済の話をするだけで2000文字を超えてしまったので・・・・

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