Gレコを見た後に松本問題を考える
はじめに
巷では文春砲による松本人志の性加害問題が話題になっている
松本が白か黒かと言うのは一旦脇に置いて、この問題をGレコで描いていたテーマから考えてみる
ちなみに、私の松本問題のスタンスはtwiterに投稿してます
Gレコで描いていたテーマとは何か
まずはGレコで描いていたテーマが何かってを書いてみる
Gレコで描いていたテーマとは端的に言えば「人々の規範を支えている空気感」なんだよね。
物語の開始時点では
旧宇宙世紀時代の兵器は使ってはならない
科学兵器を発展させてはいけない
人々の生活をさせるフォトンバッテリーはキャピタルタワーから配給される
これらのことを人々はなぜそれがあるかを明確に理解している訳じゃなく、
何となく、悪いこと、
宗教(スコード教)で禁じられているから守らなければいけない、
アブテックのタブーで禁じられているから守っている、
まさに、世界を覆う空気そのもののとして表現されている
逆に言うと、その人々の考えを覆っている空気、そのものがその世界の正義であったり、規範であったり、行動基準そのものになっている、とも言える
(その典型的な人が主人公の母親)
で、その空気感がやがて
ある勢力が攻めてくるからモビルスーツで武装しても良い
弱肉強食の世界が理想だから戦争しても良い
レコンギスタしたいから武装しても良い
戦争は技術を進化させるから戦争しても良い
と言うように、各陣営が都合の良いように変えて行き、変質することでモビルスーツを使った戦争が起こり、主人公(ベルリ)とヒロイン(アイーダ)はその争いに巻き込まれ。。。と言うように物語が進んでいく。いや、アイーダは争いに巻き込まれた、と言うよりむしろ加担した側だな。
松本事件の空気感について
TVに出演している芸能人、タレント、ミュージシャンから感じられる空気感、と言うのが興味深いことに世間一般で当然とされている倫理観や規範、民主主義の原理原則から大分ズレているように見える
これはYoutuberさんの動画からも窺い知ることができるので、いくつかリンクを貼っておきます
これらの動画から、松本人志を擁護している一部芸能人、タレント、ミュージシャンの空気感、と言うのは現代の根幹となっている民主主義、資本主義をベースにしているのではなく、民主主義、資本主義を自分達に都合がいいように書き換えてしまっているように見える。で、今まではそういうTVに出ている人たちが都合のいいように書き換えた空気感、と言うのをTVを通じてあたかも日本人の総意みたいなものにして、異を唱える人は無視することからできた。だけど、Gレコも元々の空気感を変質させて戦争に駆り立てた人たちはその報いを受けたように、TVで好き勝手に世間の空気感を変えた人たちがその報いを受けている、その嚆矢がジャニーズ事件であり、今回の松本事件であるんだろうな、と
世間が持つ空気感に疑問を持ったり考えたりすることはとても重要なこと
じゃ、ジャニーズや松本のように「自分を破滅に追いやる空気感」に染まらないようにするためにはどうすれば良いのだろうか?
やっぱり、空気感を持つ空間から一歩外に出ることだよね。具体的に言うと、自分の意識の外側にいる人にもっと興味関心を持つこと、人の気持ちに寄り添うこと、自分の知らない世界に興味関心を持つことなんだよね。行く先々の人たちやその地域が持つ「空気感」を感じることで、偏った空気感に染まることを防ぐ。ベルリとアイーダがガンダムやモビルスーツを捨てて、世界を巡る旅に出るのは世界を救うためじゃなく、彼ら彼女らが一方の空気感に染まることなく常に自分の世界の枠の外を意識するため。そして、そう言う意識を持つ少年少女が増えていけば、世界をいい方向に持っていけるのではないか、と言う富野監督の想いがこもっているのだろう