それでは、ダンスをご覧ください
「それでは、ダンスをご覧ください」
またか。僕は心中でため息をついて席を立った。といっても狭い1Kの部屋なので、ほぼ振り向くだけだ。振り向くと、キッチンの床にむき出しのラップが転がっており、メイカはパッケージを片手に持ったままくるり、くるり、と限られた空間で器用に回っていた。
うちの如月メイカはアウトレットモールで買った格安品で、まあ有り体に言えば以前どこの誰かが持ち主だったかもわからない中古品だ。とはいえ、素人目にも状態は良かったし、新品ではないのだからある程度の不良はあっても仕方ないのかもしれない。
しかし、これは想定外だった。
僕は床に転がったラップを拾い上げると、メイカの肩を叩いて踊るのをやめさせた。
「どうしたの?」
「すみません。ラップが上手くはがれませんでした。何度か繰り返すうちに、取り落としてしまったようです」
「そもそもなんでラップなんか使おうと……なるほど」
僕はメイカの手元を見て納得した。さっきスーパーで買ってきた鶏肉のトレイが置いてある。その表面のラッピングが少し裂けていた。
「申し訳ありません」
メイカは日本の人型機械だけあって、謝罪のバリエーションが豊富だ。
「力加減を誤ってしまいました」
「いいよ」
僕はトレイを引き取り、手早くラップを掛けて冷蔵庫にしまった。
「不向きなことをやらせてるのは僕だから」
赤系のフレアミニスカートのコスチュームにエプロンをつけたメイカは、むき出しの肩をしゅんと下げてうなずいた。ツーサイドアップにしたブラウンの髪が排熱でわずかに輝いていた。
如月メイカは十年前に最初のロットが発売されたアーツロイドだ。作ったのは有名楽器会社で、〝アーツ〟を冠している通り歌唱や舞踊など芸能活動むけに作られたホロノイドだ。活動的なティーンエイジャーの姿を象った姿は、なるほどアイドルを意識していることが良くわかる。
物珍しさとホロノイドにしては驚異的な低価格でリリースされたこともあって、それなりの数が市場に流通している。メイカから派生したアーツロイドシリーズは大ヒットしており、その手の話題にあんまり明るくない僕でも色々な場で目にする。
そうして、数が出回ると中古市場にも流れてくるもので、僕が手に入れたメイカはそうしたうちの一体だった。
前述したとおり、メイカの専門は歌や踊りであって家事ではない。けれど、人の形をしていて繊細な動きが可能なら、家事もできないはずがない。そうした考えを持つ人は当たり前にいて、メイカが料理をしたり掃除や洗濯をしたりする動画はネットにあふれていた。
だから、格安で売られていたメイカを見つけたとき、僕も少しくらい誰かに家事をやってもらえる贅沢に浴せないかと思ってしまったのだった。
ちゃんと初期化はしたし、家事プラグインも入れた。アウトレットモールの店員は別段そんな責任はないだろうに、購入後も親身に相談に乗ってくれて、できることは全部試したはずだった。
でも、ダメなのだった。
うちのメイカはちょっとしたつまづきがあると、目の前のタスクを放棄していきなり踊り出すという変な不具合を抱えていた。
それでも、おおむね普通に家事はやってくれるし、メイカの特性を活かした役割も見つけることができたので、とりあえず僕はそのまま使うことにしたのだった。
メイカはちょっとしたシチュエーションを指示すれば、それで寸劇ができた。一人芝居でも僕との一対一でも対応してみせた。ひとりでこもることが多い僕にとって、演技を確認できる相手が常に側にいるメリットは計り知れなかった。
僕はシナリオライターだ。
ただし、頭に〝売れない〟がつく。
もしかしたら〝自称〟もついてしまうかもしれない。
去年の十二月にショートドラマの脚本でデビューして、そこからぽつぽつと仕事をもらい始めてどうにかやっている。
現実問題として、筆でまったく食えていないのでアルバイトで生計を補填する有り様なので、そういった枕詞がついてしまう。本当を言えば、メイカを買う余裕なんてなかった。ただその時はちょっと特別収入があったのと、まあ店頭でメイカを見たとき心が揺れてしまって、そのまま流されてしまったのだろう。
要するに、僕は寂しかっただけなんだといまでは思う。
打ち合わせでもない限り、人としゃべることがない。アルバイトも在宅仕事でかつ報告や連絡が最小限のものにしたので、一日誰とも口を利かない日なんて珍しくなかった。
そうしたのは僕自身だし、この環境は僕が望んだものだ。元来人付き合いが苦手で、三十路の足音が聞こえるようになってもいっこうに人見知りは治らない。
だけど、人付き合いが苦手なのと一人が平気なのは、どうやら違うらしかった。
以前と比べて割高になった電気料金を見ても、メイカを手放すことを考えなかったのは、ちょっと無理してでも会話できる相手が欲しかったからなんだと思う。
会話というか、面と向かって話せる誰かを。
だけど、現実はいつだって残酷なのだった。
その夜、珍しく電話が鳴った。
いまおもに仕事をもらっている相手からだった。その内容を端的に要約するならば、僕との契約を打ち切るとのことだった。まだ駆け出しの僕は、その相手以外に仕事をもらえるアテを持っていない。営業のかけ方やコンペへの参加方法もろくすっぽしらないまま、僕のシナリオライターという肩書きは早くもゆらぎ始めたのだった。
「僕には無理なのかなぁ……」
買い物の帰り、公園で夜空を見上げながら思わず言葉が漏れた。
十二月の空は澄んでいたけど、渇いた空気は冷たくて、打ちのめされた心に染みた。
エコバッグを提げたメイカが立ち止まり、僕の方を不思議そうに見ている。いや、僕が勝手にそう見ているだけだけれども。
「もう潮時なのかもしれないんだ」
そんな愚痴がこぼれた。
「ずっと、ずっと書いていたかったんだけど、諦めるときが来たのかもしれないなって思うんだ。舞台から降りるときが……」
その時、どさりと音がした。
メイカがエコバッグを地面に置いた音だった。顔を上げてメイカのほうを見上げると、彼女は優雅に一礼して言った。
「それでは、ダンスをご覧ください」
夜の公園は狭い僕の部屋と違って、さえぎる物がなにもない。メイカはくるくると回り、ひらりとステップを踏み、あざやかに踊った。
「なんだよ、それ。なにがしたんだよ」
僕が投げかけた声に構わず、メイカは踊り続ける。ああ、いつものようにこっちから止めないとダメかな、と思って手を伸ばしたときだった。
「マスター」
メイカがしゃべり始めた。
「踊っていれば、踊り続けていれば、舞台がなくなってもまた踊れるようになります」
「なんだって」
「だから、踊るんですよ。最後まで。自分が決めた最後まで」
メイカはそう言って笑った。
笑ったような気がした。
夜空に輝く一番星の下で、メイカは踊り続けた。それを僕はただただ見ていた。
メイカがなぜそんなことを言い出したのか、これも前の持ち主の置き土産なのか、そういうことはわからない。
ただいまはしばらく彼女のダンスを見続けていたい、と思った。