ラブレターの裏側に

青葉あおば
 放課後。中庭で寝転がっていると、いつの間にか詩乃がかたわらに立っていた。縁にレースのついた真っ黒な日傘の作る陰が私にちょっとかかっている。
「はい、冷やした方が良いよ」
 詩乃が差し出してきたのは、冷えたミネラルウォーターのペットボトルだった。その視線が私の左頬に注がれているのがわかる。
「もしかして。見てた?」
 ペットボトルを受け取りつつ、そう問い掛けた。
 さっきまでの光景が脳裏に浮かぶ。甲高い怒声を上げる女子、振り上げられる手と頬を張られて体勢を崩した自分。手を着くまでやったのは相手の溜飲を下げるための演技で、張られた頬も受け身を取っていたのでダメージは浅かった。
「いやー、まさかね。告白してきた人を断ったら、その人の彼女さんに『この泥棒猫』って言われるなんてね」
「フムン。それは、二股だったということ? それとも彼女の中だけの認識を押し付けられたか」
「どうだろう。正直、会った印象では二股掛けるような度胸はなさそうだった」
「男のほうが?」
「男のほうが」
 ペットボトルの冷たさを感じながら、私はうなずいた。中庭にあるひときわ大きな樹の陰。詩乃はその陰に入ると、日傘を折りたたみ私の隣りに座った。
 詩乃は存在自体が物語のような女の子だった。
 淡い金色に近い髪をゆるく三つ編みにして垂らし、チタンフレームの眼鏡の向こう側に鳶色の瞳を潜ませ、外を歩くときは黒い日傘を手放さない。この高校の制服は夏冬どちらも容赦なく黒なのだが、詩乃はそれを着ていてもなお〝白い〟という印象を抱かせた。
 隔世遺伝なのだという。四代くらい前のご先祖様に外国のひとがいたらしい。詳しいことは詩乃自身も知らないらしいが、そういった事実を淡々と受け止めているように見えた。
 構えず、てらわず、自然体でそこにいる。
 詩乃はそうした一種のいさぎよさが先に立つところがあって、比較的目立つ容姿を上手く同性の中に埋没させていた。それでもわかる相手にはわかるらしい。
 だけれども私は、そんなことにかまけていて欲しくなかった。
 低血圧で寝起きの悪い詩乃を先回りして、下駄箱から手紙を回収するのは容易なことだった。私と詩乃がよく一緒にいることは、詩乃を見ている相手からも認知されていることだったから代理として私が現れても相手にいぶかしがられることはなかった。
 代理として立つとき私は、詩乃の手紙を持参してその相手に渡した。もちろん、詩乃が書いたものではない。詩乃の筆跡をなぞって私が書いたものだ。手紙の作成はいつもぎりぎりで、数時間の締切で掌編を一作仕上げねばならない作家のようだ、と疲労でしびれた頭で思った。
 そして、以上のことを詩乃には知られてはならない。
 この一年あまりの間、私は上手く隠しおおせてきたと思って良いだろう。今日のように〝詩乃に告白したい相手の彼女〟なんてイレギュラーが出てきたのは初めてだが……。
 そこで、私の思考は断ち切られた。
「青葉。これ、なんだかわかる?」
 声に振り向くと、詩乃が紙の束を持っていた。それはどれも見覚えのある便箋で、なかには破れた(破かれた)のを継ぎ合わせていたものもあった。
「手紙?」
 背筋に寒い汗が流れるのを感じながら、私はそのひと言を押し出した。
「そう。不思議なんだけどね。これって全部私が書いたらしいんだ」
 詩乃は手紙の束を扇のように広げると、歌うように告げる。
「ねえ、青葉は知ってるかな?」
「……記憶にございません」
 答えに詰まった私が口にしたのは、昔の政治家の言い訳のようだった。すると詩乃は口元を緩ませ、「なるほど」と笑った。
「じゃあ、これは私がもらっちゃってもいいよね。あ、冬菜ふゆな先輩にも見せてみよう」
 そう言って詩乃は日傘を手に立ち上がる。行き先は文芸同好会の部室に違いない。企画好きの冬菜先輩の顔を思い出して、私は飛び退くように立ち上がった。
「ごめん、いまのやっぱなしでーーー!」
 私の手は宙をかき、詩乃はからからと笑って駆けていく。本来、結構ノリが良い奴なのだ。この一年で知った詩乃の側面だった。
 三月の陽射しの中に私達の影が揺らめいていた。
 そんな時間がいつまでも続けばいいのに、と思った。

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