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イグBFC5星屑なだれからの感想文

与えられたはずの理想の姿が まぶたの裏側にゆがんで映る
奪われてもけしてあらがうことなく 染まらない自意識のなきがら
染まらない自意識のなきがらだけが
崩れて壊れそうになるいまを慰めから
なくす痛みを確かめるように とても注意深く泣いた

『achromasia』(『不惑 ~さよなら30代~』)
作曲・編曲:zts/作詞:interface/歌唱:茶太


おことわり

 まとめ記事のほうで散々言ったように、私はまとめること以上のことはやるつもりはありませんでした。
 しかし、まとめただけではイグBFC5の落としどころが見つからなかったので、感想人・星屑なだれを召喚して感想を述べてもらい、それをもとに記事を作成しました。
 以下、多少言葉に誤りがあるかもしれませんが、星屑なだれ曰く「わたしは気にしないから、公開するならお好きにどうぞ」なので好きにします。


星屑なだれについて





1:ユイニコール七里『胡乱』

 読みました。地勢の説明から入っていって、舞台となる場所に焦点を当てるやり方は時代小説みたいなアプローチがあったかな。この語り口調は読みやすかった。
 河童の登場シーンが唐突だったけど、河童が出てきたのが唐突だったんじゃなくて、主人公がいきなり上げる「うわあ」という声が唐突だった。それまで一人称の〝私〟が出てこなかったから、ある程度視点が絞られていたとはいえ「うわあ」の前にもうひとつ補助線が欲しかったかもしれない。
 ここでだんだん〝私〟が体験している出来事だと飲み込めてくるのだけど、そのいっぽうで冒頭の語り口調が浮いてしまって、視点揺れに近いわかりにくさも出ていたと思う。三人称なのか一人称のなのかっていう読者側に生じる迷い。
 河童の扮装も、河童の出すクイズも、それぞれ印象は強いけれど、小説全体として見たときちゃんと記憶に残るかな、というとそこまでのインパクトはなかったと思う。主人公は河童から解放されないし、枚数の都合上その後どうなるのかわからない。ここに補助線はないから想像も付かない。
 胡乱な話よね。
 タイトルが『胡乱』だから、それでいいのかもしれないけれど、もう少し読者のほうを見て欲しいって気分になったのも事実よね。
 そう、これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


2:小林TKG『綾子』

https://hametuha.com/novel/97854/

 読みました。『人魚姫』を下敷きにしているのかな、と思ったので、それを踏まえてどう展開させていくのかに注目して読んでいた。でも、読んでいるうちに思い出していたのは、アニメ『蟲師』の「囀る貝」の雰囲気だった。浜辺で綾子を助ける人が出てきたとき、王子様じゃなくて漁師を想像したのはその所為だと思う。
 綾子が人間同士のコミュニケーションについて知悉ちしつしていなかったとはいえ、抱擁からいきなりしとねに入るのはちょっと強引かな。この直後で、二人のなれそめ、どうして綾子が陸へ上がりたかったのかが明かされるけど、ここに到達するまで「どうして陸に行きたいんだろう?」と疑問に感じながら読んでいたから、冒頭にあったほうが良かったかもしれない。このオチであるなら特に。
 そういう風に読んでいたから、オチから生まれた物語なんじゃないかな、という気がした。六枚で寓話を書くことには成功しているけれど、心情を描くには足りてないからオチがギャグになって終わっている気がする。それもちょっと滑ってるやつ。登場人物と読者の距離を感じたかな。
 これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


3:安戸染『反文芸という概念は文芸というものがあるからこそ成立し得るものであり、つまり反文芸の意図をもって書かれた作品は自ずと文芸に包括される。故に、何を、どれだけ、どのように書こうとも、反文芸思想のもとで書かれた作品は文芸の中の一つの小ジャンルに過ぎず、その範疇から抜け出すことは決してない。昨今の傾向を見るにイグを反として捉えているがゆえのイグの文芸化(あるいは文芸のイグ化)が起きている。(文字数制限のためタイトルは以下省略)』

 読みました。タイトルが長い。もしかして、タイトル=本文にしたかったのかな? 私はここで書かれているイグについては良く知らないから〝昨今のイグ〟とそれまでのイグの違いが良くわからないのだけれど、反文芸という捉え方がイグとイコールではないのはわかったと思う。
 BFCが〝ブンゲイ〟を冠していて、その裏側(比喩的表現)で行われているイグBFCが対立構造でとらえられがちなのは仕方ないと思う。けれど、イグBFCはBFCの対立項目じゃないし、どちらかと言えば派生項目よね。
 この論考はイグがなにかを明確に定義しないまま終わり、じつはそんなことするつもりなんてなかったことが最後でわかる。
 あ、BFCが「得られるのはただ名誉のみ」としていることを考えると、「不名誉しか得られない」イグBFCは対立項目となり得る面はあるかもしれないね。これはちょっと前言撤回。そして、この対立構造に文芸と反文芸という見方は含まれないのだけど、その様に見られる傾向が出てきたというのがこの論考の主旨かな。
 真面目っぽく見せて、真面目に読んでいるとバカを見るぜって言われた感じもする。これはそれほど不愉快じゃないね。
 最後にずらーっと名前が並ぶのがちょっと意味がわからなかった。あと単純に目が滑っちゃった。
 これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


4:げんなり『悪いことはしちゃだめ』

 読みました。少し前だったらシンプルに強盗の話かな、と思って読み進めていたと思う。でも、その印象は家宅侵入が決定的になった「ここが書斎だ」のひと言で、闇バイトの話だ、と印象が変わった。MもGも(後から出てくるTも)実行犯という名の受け子で、それぞれの動機から危ない橋を渡らせられる役を引き受けたんだろうな、と思った。
 闇バイトという印象を決定的にしているのは、Tが登場したところで、上に指示役がいて自分達は指示されてやっているだけ、というのが読み取れるようになっていた。わたしはTがダッシュボードの上の冷めているだろう缶コーヒーを思うところから始まるこのシーンが好きで、それはたとえようもない虚しさを感じるから。情景描写とその情景に重なるTの心情描写が良くて、彼(恐らく彼)には同情なんてまるでできないけれど、Tの心情が語られることで虚しさの中に哀愁が漂うから。
 MとはぐれたGがロボット掃除機の大群に囲まれるところは、怖いシーンのはずなのにあんまり怖くない。ロボット掃除機という無機質な存在が相手だからなのかな。不気味さもあまり感じなくて、ただ状況が淡々と描かれるなかで語られないGの心境が浮き上がってくるみたいだった。「こいつはやばいぞ」っていうね。
 ラストシーン。Tの視点は家の中で起きている騒動——Gの危機——が誰の目にも留まらないうちに進行していることの暗喩で、そこに怖さがある気がした。Gが見失ったMに視点が移ると、彼もまたGの身に起こったことにまったく気付いていないように見える。でも、彼はどこを歩いているのだろう。そして、上(空じゃない)を見上げた彼が見たのは、本当お月さまだったのかな?
 この小説は「べしゃっ」という擬音語で終わっている。それはGがロボット掃除機を叩き潰す音とも読めるし、同じ段落で語られているMの身に何か致命的なことが起きたようにも——たとえば天井が落ちてきたとか——読めるし、あるいはその致命的なことがTにまで及ぶような事態だったのかもと思いを巡らせることができる。タイトルが『悪いことはしちゃダメ』で、月が彼らを見ているかのように描かれているので天罰が下ったのかもしれないよね。リアルな質感を持って書かれている作品なのだけど、意外とそういう発想の跳躍が素直に出てきた。
 そっか。これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


5:赤木青緑『日記』

 読みました。ある会社員の朝のルーティーン……なのかな。どうでもいい話なのだけど、わたしは朝の歯磨きを起床直後ではなく朝食の後にしている。だって、食事の後にしないと意味がないでしょう。
 朝の仕度や通勤する様子などについては細かく描かれているのに、性別や職業に直接紐付く情報が含まれていないので——服装から推測できるけれど決め手ではないと思う——主人公の横顔が見えにくくなっていると思う。これは登場人物の透明性に寄与していて、一人称の文体から作中での出来事を読者が自分事として捉えやすくなっているのだけど、わたしは登場人物に自己投影するのが嫌いなので、のっぺらぼうのひとが遅刻しまいと自転車を漕いでいる姿を思い浮かべるしかなかった。これは読む人によると思う。
 朝の時間の無さ、遅刻と遅刻に付帯する信用低下発生の不安、通勤の情景と通勤経路から見え隠れするしんどさがあったのだけど、しんどさを感じると同時に主人公がその状況を楽しんでいるかのようにも感じた。少なくとも、仕事は嫌いじゃない——むしろ好き?——なのが職場に着いたときの様子から伝わってきたかな。
 この作品で重要なのは最後の段落で、夢落ちを示しているからではなくて、この作品の裏側に『夢十夜』があることを示唆しているから。そう考えると、妙にかしこまった物言いも主人公が漱石などの文豪にかぶれているからなんじゃないかな、と読むことができるから。
 そう、これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


6:蒼桐大紀『あったかもしれない放課後Ver1.31』

 読みました。いきなり重箱の隅になっちゃうんだけど、たとえ話なのは最初の段落の遠い駅へ行った云々のことだよね。文章の構造的に前後を入れ替えるには冒頭丸々書き直すしかなさそうだったので、これはこういうものとして読むべきなのかもしれないけれど。
 こういう重箱の隅が気になるのは、放課後の雰囲気が良く作られていて、語り部である小夜が〝話をまとめるのが下手で、もっと一文を短くしなさいと作文の授業で指摘を受ける〟ような人間として描くのに、その特徴は一人称の文章に反映されているのは面白いかな、と思ったから。文章が下手と評価される主人公なのに、その一人称で構成される小説の地の文の文章が上手い、という転倒もあるからね。多少読みにくかったりわかりにくくなっても、わたしはそうした登場人物の特性を活かしたほうが好き。
 これは一応SFなのかな。こういう終わりにしたのは、六枚という制限ゆえのものかもしれないのだけど、不器用さを感じさせる少女達のやりとりを楽しんで読めるようになってきた瞬間を狙って打ち切りという冷や水を浴びせられたようにも感じられた。もしかしたら、それこそが作者の狙いだったのかもしれないね。
 そうね。これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


7:古賀裕人『どんぐリボーン』

 読みました。リンク先に「30分短歌」と書いてあったから、30分で詠んだ歌として読んだ。じつは最近の短歌ってちょっとわからない。五・七・五・七・七の音韻を無視して言葉がまたいでいる歌は珍しくないし、三十一文字に収まっていない歌だってある。だとしたら、短歌を短歌たらしめているものはなんなの?
 ま、それは横に置いておいて、生と死を扱っているように見せかけて、かなり濃厚な生について詠んだ歌が並んでいた。その中でもバイタリティに起因する歌が多くて、それは食欲と性欲、それから死者の視点を取ることで生を浮かび上がらせていると思った。そうじゃない歌もまじっているけど、それがあるから全体に起伏が生まれて、それぞれの歌に仕込まれたユーモア(ブラックユーモアも)が強調されているんじゃないかな。そこにおかしみを感じる。
 でもその中で、唯一悲しみに満ちた歌が六首目。六首目だけは臓器提供クローンという言葉に対する解像度があると全然笑えない。臓器提供クローンということは、そのオリジナルの人間がいて、クローンはオリジナルのための予備パーツ育成工場ということになるから。そのクローンの生きがいがフルダイブMMOというのもまた切ない。つまり、そこは本来の自分とは違う自分でいられる場所だからでしょう。
 この連歌集は読むひとによって、惹かれる歌が大きく異なると思う。読者を試しているのかもしれない。
 なるほど。これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


8:大江信『ゆるい時刻の読書』001~005

 読みました。恐らく最初から意図してひとつの作品として書かれたものではないためか、ひとつのポストごとに印象が大きく変わるのだけど、その切り替わりにせわしなさを感じなかった。エッセイのように感じて読んでいたら、003で小説が現れて不意を突かれた。連番のなかでは003がいちばん好きかな。小説と書いたけど、散文詩に近い読み味もあって、多分そう読まされるのは最後の「さようなら」のひと言があるからだと思う。
 004は003を受けた小説で、夏と書いてあるけれどその直前の梅雨の空気を感じた。花は紫陽花。淡く、じっとりと濡れた雫の気配。そういう言葉がひっぱり出される。
 最後の005は引用なのかな。田村隆一は自作の中で問いかけを行う印象が強かったから、明確に自分が抱く危惧を語るひとなんだ、という驚きに似た感情を抱いた。この部分がハイコンテクストになっているけれど、おおむね何を語っているのかわかりやすくて、語られていることに素直に思いを馳せられる。
 これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


9:エンプティー・オーブン『今日も猫の尻がくさい』

 読みました。作者についてはほとんど何も知らないに等しいから、エッセイとして読むべきか小説として読むべきか迷う。つまり書いてあることが現実にあったことなのか、現実を下敷きにした創作なのか、という線引きに迷う。でも、ヘッダーがnoteの素材じゃなくて写真だったし、事実が下敷きになっていると思う。
 わたしは主体的に動物を飼ったことがないので、動物の居る空間の感触が想像でしかわからないのだけど、きょももの距離感は伝わってきた。相当な甘えんぼさんなことも。
 尻がくさいのは嫌なんだけど、ひるがえってそれは猫が元気である証左であると語っているようで、そこに作者の愛嬌を感じた。
 そう。これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


10:サクラクロニクル『A Passing Shooting Star』

 読みました。10作品目にして、明らかに毛色の異なる作品が出てきた、という感じがする。これまでのイグBFC5作品にはどこか脱力したような隙が存在していた。これは良い悪いではなくて、作者がそういうスタンスでイグBFC5に臨んでいるというだけの話だと思う。
 登場人物の片方が三つも名前を持っているので、それを整理して紐付けるのに少し苦労したけれど、混乱が生じるほどではなかったかな。
 この作品は、作品を通して何かを誰かに伝えようという強い意思を感じる。それも相手にわかってもらおう・気付いてもらおうという補助線の引き方はしていなくて、ここまで書けば(その相手は)気付くだろうという確信の元で書いている気がする。
 登場人物のまつわる情報がかなり削ぎ落とされていることで、彼女らの思考や発言を強調している。そのためそれらの言葉が個々の発言ではなく、物語からのメッセージとして読む側に向かってくるように錯覚しやすい。小説としてみたとき、これらは人物の書き分けや視点揺れにつながる問題なのだけど、どうやらこの作者はそれを承知でこのアプローチを取っているみたい。
 冒頭で主人公の小説は〝へたくそ〟だとされているのに、そういう感想を書いたという葉桜は作中で「蒼の君、自分だけの小説を書こうという気概はできたかい?」とだけ問い掛ける。それが本当に言いたいことであるかのように。ここに二人のすれ違いが見えた気がした。
 十年の時が過ぎ、わたしはいまだに小説を書き続けており、葉桜は批評系配信者となって小説の感想を語っていた。創作にあるいはすべてに疲れた私は、酷評を覚悟(期待)して番組に作品を送る。しかしそれは感想や酷評を受けることが目的ではなく、ただ葉桜にそれが自分だと気づいて欲しいがために送ったらしい(下心)。果たして、葉桜は気付いた素振りを一切見せなかった。主人公は恐らく羞恥と自己嫌悪からハードカバーで自身の頭を殴打する。
 あるいはこの瞬間、主人公は無意識のうちに気付いたのかもしれない。葉桜はちゃんと自分を見ていて、その上で言うべきことは昔言ったとおりで、それはいまも変わらない、ということに。
 無意識のうちとしたのは、最後の最後であの言葉を思い出すくせに、それといまの葉桜を結びつけていないところに自覚の足りなさを感じたから。
 それから百合ということで、主人公から葉桜への感情はあらゆるところから駄々漏れなのだけど、葉桜から主人公への感想はほとんど書かれていない。でも、葉桜が主人公に対してどんな思いを抱いているかは明白だと思う。自分だけの小説を書くべきだ、ってね。それは冒頭に出てくる「他人の文章の模倣」ではないものという意味よりもむしろ、自分(葉桜)のほうなんか見ていないで、自分なりの目指すところを見据えた小説を書くべきだ、という意味が強く込められている気がした。もちろん、これはわたしの誤読である可能性も高いのだけどね。
 これが、あなたの不名誉なるものイグなのね。


11:異具むすびのある食卓

 読みました。〝おにぎり〟で書いちゃうとタイトルが『異具にぎり』になっちゃって、お寿司と混同しちゃうから
〝おむすび〟なんだな、と思った。あと、話を結ぶにもかけてあるのかなとか。そういう遊び心って結構好き。
 言葉の間合いなのかな、読んでいてリズムが取りやすくて、寄席の高座をイメージしてた。ロボットが握って、ロボットが運んで、ロボットが陳列して……と重ねられていくうちに自然と人型ロボット——それもちょっとレトロなデザインのやつ——が思い浮かんでいて、そういうところは星新一のショートショートSFをはじめとした手に取りやすいSFになっているんじゃないかな。
 イグBFC5をまとめているひとは、しきりに「『宙に参る』の四五六の落語のイメージだよ、しゃべっているのもロボットなんだよ」って言ってた。わかる気がする。そして、きっとドローンはプロペラが四つ付いたX字のシルエットなのよね。固有名詞ひとつだけで、描写なしで、視覚的イメージを伝えることに成功しているんじゃないかな。六枚という制限のなかでこれは大きいと思う。
 レシピが公開されたところで、あつあつのご飯が唐突にプロットになっちゃって、唐突すぎて笑っちゃった。読み始めてからずっと〝異具〟ってなんなのかな? って思っていたけど、それ〝創作魂(たましいじゃなくてきっとだましい)のようなもの〟って言っちゃうんだ、おかしい。創作論とかテーマなんて言われたら、冷めちゃったと思う。前段で過去に葬った創作仲間が引き合いに出されるのは、創作魂のようなものがことなるをそなえるで異具からなのかもね。最後、〝タネ〟があるのも梅干しに引っ掛けているだけじゃなくて、ネタだからでしょう?
 なるほど(本当になるほどって感じがした)。これがあなたの不名誉なるものイグなのね。


12:青はそこにいるだけ

 読みました。わたしは自閉症じゃないし、自閉症についても詳しく知らないから、この小説が書いている自閉症についての解像度がわからない。でも、そう思ったとき、文庫ページメーカーの青い背景や行頭字下げがされていたりされていなかったりして読みにくく感じた部分(読点もない箇所がある)は、もしかして意図的な不統一なのかな、と思った。
 こういう本人しかわからない基準が見えるところは、わたしが知っている限りの自閉症に対する印象と一致して、そうやって接点ができると内容が入ってくるようになった。だから、この小説を読むには読者が自分なりの接点を見つけることが必要なんじゃないかな。
 このお話はレイとロイという二つのぬいぐるみの存在から入って、青が好きな理由を語られるけれど、主人公・あんずにとっての青は好きな色であること以上に、自分と世界との接点だってことを示しているのかもしれない。
 あんずが好んで青い物を身近に置いているのは、そうすると青い存在が側にあることになるからじゃないかな。タイトルで、作中で繰り返し出てくる〝青はそこにいるだけ〟は、それだけ読むと青はいるだけでなにもしてくれないみたいな感じもするけど、本当は「青はそこにいるだけ、それだけで十分」みたいな意味合いなんじゃないかな?
 いま気付いた。文章の体裁が気になって読みにくく感じてしまったけれど、文章自体は読みやすかったと思う。誰もがもう少し優しくなれればいいのにね。
 これがあなたの不名誉なるものイグなのね。



おわりに

 個人的に私が感想を書きたい作品もあったのですが、その作品に対しては心穏やかでいられないため、この場には持ち込まないことにしました。
 イグBFC5もさすがにこれ以上は増えないと思うので、ここで締めて公開することにします。
 ここまでやってみましたが、私にはまだイグらしさあるいはイグすることがなんなのかいまいちわかりません。


※引用補足



追記

 11月20日21時までに投稿された二作品の感想も星屑なだれに語ってもらいました。万年金欠の私に「今度なにか御馳走してよ。いいよね、それくらい」と振ってくるので、どうしたものかと考えあぐねています。BFC6の作中に出した日高屋が脳裏をよぎりましたが、それでは蹴られそうです。蹴られないようになんとかしたいところです。おわり。

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蒼桐大紀
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