死ぬまでにしたいことを具体的に考え始めた
ここ何年も夢に見ているやりたいことの一つに、仕事がしやすい部屋を借りるというのがある。
コロナ禍でリモートの仕事が増えて、職場に行くだけでなく家での過ごし方も重要になって久しい。
ところが、家は仕事がしやすい環境というわけではなく、やはりくつろぎすぎる問題がある。そのため、家での過ごし方に無駄が生じ、仕事に使える時間というのが限られてしまっていることが、仕事の質を落としている気がしている。
他人からみれば、そんなものは言い訳に過ぎないというかもしれない。根性ややる気で乗り切れるだろと、私の甘えを手厳しく非難する人もいるかもしれない。
そういう人がいるのは承知しているが、その人たちが私の人生に責任を持ってくれるわけではないので、私が思い描く自分に合った仕事環境を整えるという夢を手放す気はない。
そもそも、秘密基地を持ちたいという気持ちは幼い頃からの永遠のテーマとも言える。
死ぬ前に実現したいことの一つだ。
母は死ぬ前に、というか体が健康なうちに、富士山の全景を見に行きたいと言っていた。実はそれを来年実現すべく企画しようとしているところ。
富士山を見に行くのは、それを企画して、準備して、当日(もしくは数日)の旅行を終えたら思い出となって終わる。
けれど、部屋を借りるとなると一定期間継続することを考えなければいけない。
その辺りを具体的に考えると、最低2年は持続させたい気持ちがある。できればもっと。
そのためには固定費や持続的必要経費を賄えるだけの貯金がまずあるかどうかが重要だ。
貯金を見るとギリギリと言ったところ。
しかし、仕事をせずに借りるわけではないので、出て行くお金の分収入があれば問題ないことになる。
うーん、できないことはない。
タイミングを考えれば、次年度の切り替えを終えてからということになる。
どうせいつ死ぬかわからないのだ。やりたいことを短い期間でもできたほうが幸せではないだろうか。
かなり気持ちはフラットである。特に盲目的というわけではないし、持続できなくなった時の畳み方も考えておくつもりだ。
それはまた別の投稿で。
死ぬまでに実現したいことが仕事関係であるのは仕方がない。私にとって仕事はライフワークそのものであるし、仕事をしていない状態を想像すると生きる気力を失った自分が見える。
考える時間はたっぷりあると感じるけれど、私のタイムリミットは私が望むよりも短いかもしれないことは頭のどこかで意識しておきたい。
日々丁寧に着実に。
悔いのないように。
今日も一日お疲れ様でした。
生きていることに感謝。