トリリンガル・マム

元夫はヴェネツィア人。船会社を経営していた一族の嫁としてヴェネツィアに12年住む。のち、離婚、子連れで帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム

トリリンガル・マム

元夫はヴェネツィア人。船会社を経営していた一族の嫁としてヴェネツィアに12年住む。のち、離婚、子連れで帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム

最近の記事

いっしょに飲まないヤツは泥棒かスパイだ

マフィアって、イタリア人に流れる血なのかな? イタリアの人は徒党を組むのが好きだ。知り合った相手が自分の敵か、味方か。簡単に手なづけられるか、それとも機嫌を損ねるとやっかいな相手か。ニコニコしながらも結構シビアに観察している。自分の側につかないと、敵視されたり、脅かされたりすることもある。日本人にもそういうことはあるだろうけど、イタリア人のやり方はもっとあからさまで動物的だ。 一例を挙げれば、イタリアの職場の忘年会に私が欠席したときだ。翌日、上司に、「いやー、俺たちの忘年

    • すべての道はローマに通ずー裏道で行け!

      なにかやるとき、裏道で行く、という発想がない。正攻法しか思いつかないわたしのような人間は、イタリア人からすると救いようなくアタマが堅い。つきあいの長い友人には、「いい加減学べばいいのに、その年になってまだ青いことを言っている」と半ば憐れまれている。 「愚直」という言葉が肯定的に使われる日本のような国で、その言葉を文字通り行く親、先生たちに育てられると、イヤでもそうなってしまう。一方、イタリアは「furbo(ずる賢い、抜け目ない)」ということが賞賛されるお国柄。裏道から入って

      • コンビニのマリトッツォ、フリウリの鹿の煮込み

        ちょっと前にマリトッツォというお菓子が話題になった。パンにたっぷりの生クリームを挟んだもので、ローマの伝統的なお菓子だ。それが日本で流行って、コンビニでも売られていた。ローマの人が見たらびっくりだろう。イタリアでもローマ周辺から南イタリアでしかお目にかかれないマリトッツォが日本で大量生産され、コンビニの棚に並んでいるのだから。本場のものと同じではないけれど、日本にいながらにしてマリトッツォが食べられるのだ。 手軽に手に入るようになったといえば、ブッラータもそう。「バターのよ

        • 「日本人はおとなしいロボットだ」と、イタリア人に言われて考えた

          決まりに支配されたくないイタリア人。 決まりをきちょうめんに守る日本人。 日本に赴任して一年のイタリア人同僚から、日本への辛辣な批判を次々とくらっている。なかにはやつ当たりとしか思えないものもあり、そんなときはこちらもムッとして言い返すが、来日してまもない外国人の目というのは新鮮で、思いもよらないことを指摘され、考えさせられることもある。 先日、同僚はオフィスに着いたとたん、私に向かい、機関銃のごとく不満をぶつけ始めた。 「夜、カフェバーで飲んでたら、閉店だって店の人に

          セレニッシマの末裔

          お世話になったのに、長年、不義理をしていた。その人が数年前に亡くなっていたことを、ふとしたことから先日知った。 ヴェネツィア貴族の、ジローラモ・マルチェッロ伯爵。地元の名士で、たくさんの人に慕われていた。詳細を知りたいとネットで過去の新聞記事を探すと、「ヴェネツィアは悼む」という記事が見つかった。ヴェネツィアの人たちに惜しまれつつ、85歳で旅立ったそうだ。 父より年上なのだから、いつそんなことがあってもおかしくない。わかっていたはずなのに、近年、きちんと連絡を入れなかった

          セレニッシマの末裔

          マリアさんの毛皮

          ヴェネツィアの冬といえば、毛皮のコートを着た、少し年配のご婦人方の姿を思い出す。街路で、広場で、たくさんの毛皮姿を見かけた。わたしがヴェネツィアに住み始めたのは1990年代後半。東京ではあまり見ない光景だったし、当時でもエコファーの台頭とともに毛皮はすでに時代遅れな感じだったから、よけい印象深かったのかもしれない。 ヴェネツィアの冬は寒い。ふつうの街なら車で移動すれば寒空に身をさらさないですむが、移動手段が徒歩と船に限られるこの街では、海風が直接、身に当たる。また、霧の出る

          マリアさんの毛皮

          挑発を受け、インドへ

          旅に出て、その地に拒まれる。あるいは、なにしに来たかときびしく問われる。そんな気持ちになったことはないだろうか。わたしは、ある。 一度はインド、ジャイプール。2度目は南イタリアのマテーラだった。まずはインドの旅について、書いてみたいと思う。 ……………………………………………………………………………………………. 挑発を受け、インドへ インドへは大学の卒業旅行で行った。三島由紀夫の「人にはインドに行ける者と行けない者がいる」という言葉に挑発され、行ってみようと思った。 生

          挑発を受け、インドへ

          お針子リリーと鰯とポレンタ

          それは昔話に出てくるような、小さな愛らしい家だった。ヴェネツィアのサンマルコ広場の東側に位置する、下町の長屋の一角。そこに老夫婦が住んでいた。洋服の寸法直しの内職をしているリリーと、だんなさんのアルヴィーゼだ。 リリーを訪ねたのは、少し長すぎる上着の袖を詰めてもらうためだった。結婚してヴェネツィアで暮らし始めたものの、まだ右も左もわからないわたしのために、姑が紹介してくれた。 「昔は縫製工場でお針子をしていたそうよ。もうとっくに引退しているけど、ちょっとした直しや裾上げは引

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          姑のピンポ〜ン イタリア 家庭内和平協議の結末

          はじめに ヴェネツィア人と結婚し、ヴェネツィアに約13年、暮らしていました。のちに離婚、子連れで帰国。それでも、長年いっしょに過ごしたイタリアの舅、姑とは、その後もふしぎな縁でつながれ…。 離ればなれになってしまったものの、国を超え、距離を超え、紡いできた家族の絆についてのエッセイ3篇です。 [目次] 姑のピンポ〜ン イタリア 家庭内和平協議の結末 サンタさんのしょっぱいケーキ 舅のアンティーク時計 ……………………………………………………………………………………

          姑のピンポ〜ン イタリア 家庭内和平協議の結末

          舅のアンティーク時計

          スイスから時計が帰ってきた。半世紀以上前のアンティーク時計。イタリアの舅からもらったものだ。 イタリア人の夫と離婚して日本に帰国して間もないころ、舅は孫の顔を見に、はるばるヴェネツィアから日本に来てくれた。時計はその際、いかにも舅らしく、説明もなく、さりげなくくれたものだ。 ありがとうございます、と受け取ったものの、ちょっと解せなかった。なぜこんなものを? 子連れで12年ぶりに帰国した日本で、生活再建しなければならない。遅くまで働きづめの余裕のない生活に、アンティーク時計

          舅のアンティーク時計