良さを理解してくれる人がいるかどうか。
とある選手は、派手なプレーをしない。
淡々と仕事をこなすタイプだ。
もちろん自らアピールするようなことはしないし、周りからの期待にも、自分のことで精一杯、今やるべきことをこなすのみと答える。
しかし、試合全体を観ていて思うのは、そう言う選手の細かなアシストがあってこそ、試合が円滑に回り、結果的に得点に繋がっていると言うことだ。
スポーツだけではない、職場などでも同じだが、さり気ない気遣いやフォローができる人は、自分をアピールすることはない。
アピールするとか言うのはなんか心情に反するからだろうし、当たり前のことを当たり前のようにこなしたと言うことが美徳で、
分かってくれる人が分かってくれればいいと言うスタンス。
"これが最高にクールだと思う。"
でもこれは、なかなか気付いてもらえないことが多い。
評価する人たちが、そこまで深掘りして個人を見ていないし、
自分の人生で考えても、深い理解と共に評価してくれる人にはまだ数えるほどにしか出会ったことがない。
大半の人はおそらく、自分の得になる人間以外に興味を持つ気がない。面倒だから。
辛うじてアピールしてくる人にはアピールの度合いに応じて興味を持つ。
そして、アピールしてこない人のことはどうでも良くなる。
残念ながら、これが世の中の大半だ。
しかし、冒頭の選手は、周囲に良さを理解する人たちがいる。
彼がそのチームの魂であり、アイデンティティだと言ってくれるほどに。
「私は飾らない人が好きだ。」
うちのお母さんがそうだから。
もくもくと仕事をこなして、どんなに辛くても弱音を吐かない。
何も言わなくても、期待以上のことをしてくれて、
相手が気分良く過ごせるように計らってくれる。
気遣いができる人だ。
だから、自分もそう言うスタンスが好きだけれど、そうもいかないからとても歯がゆい。
自分が求めるものだけを追求できない世界がそこにあるから。
だから、その人の良さを理解してくれる人がいると言うのは、これ以上ない幸せだと思うのです。