孤独とは(孤独3)
孤独という言葉にどういうイメージがあるだろう?
友人・知人がいない? ひとりぼっち? さみしい? 疎外されている?
そんな風なイメージを持つことが多く、つまりは、マイナスイメージのある言葉として捉えている人が多いんじゃないだろうかと、個人的には思う。
もちろん、本来の意味からすればそれは当たっているだろうし、少なくとも、いい意味の言葉ではないのは確かかもしれない。
でも、極端なことを言えば、言葉の意味を決めるのは最終的には自分なわけで、自分がポジティブな意味だと思えば、その言葉はポジティブな言葉になる、と俺は思う。
そんなわけで、俺が孤独という言葉を使うときは、必ずしもマイナスの意味で使うわけではない。
というか、そもそも俺は上記で上げたようなことを、そこまで悪いことだとは思っていない。
理由は下記の通り。
友人・知人なんて、本当に心を許せる人が一人でもいれば十分。そうでなかったとしても、案外、誰からも気にかけられないで生きるってのは、難しい。
例えひとりぼっちだったとしても、それはそれで、究極の自由を手に入れた状態とも言える。ひとりだからこそ、自由でいられる。
もしかすると、ある種のさみしさはあるかもしれない。でも、さみしさを感じるということは、寄り添いたい何かがあるということ。それすらない人は、そもそもさみしさを感じることもない。
疎外されていると思うことも時にはあるはず。でも、それはあなたが唯一無二の存在感を放っているから。その存在感を好ましく思わない相手には疎外されるかもしれない。でも、その存在感を好ましく思ってくれる人からは、きっとすっごく気に入られる。
だから、孤独であることのマイナスなんて些細なもので、寧ろ、孤独であるというのは尊いことだと俺は思っている。
孤独とは、"孤"高に"独"立していることだと思う。
自分だけの価値観、理想、あるいは美学。他にも言い方はあるだろうけれど、とにかく、絶対に譲れない何かを自らの礎として、その上に立っていること。
それが、孤独。
なんて書くと、「そんなしっかりしたもの持ってないよ」なんて思う人もいるかもしれない。
でも、そんなことは絶対にない。
なぜなら、人は生まれてから死ぬまで、それぞれがそれぞれの「世界」で「独り」生きていくしかないから。
あなたは、あなたの目でしか世界を見ることはできない。
あなたは、あなたの耳でしか世界を聞くことはできない。
あなたは、あなたの体でしか世界に触れることはできない。
あなたは、あなたの頭でしか世界をとらえることはできない。
あなたは、あなたのココロでしか、世界を感じることはできない。
だから、俺はあなたの世界を知ることはできないし、まして、理解なんてできるわけもない。もちろん、あなたが俺の世界を知ることも、理解することもできない。
あなたの見ている赤が、俺の見ている赤と同じであるという保証はどこにもない。
そしてそれは、全ての人にあてはまること。
このことは当たり前過ぎて気づいてない人もいるかもしれない。でも、そういう風で考えると、人は皆、独りの世界に生きていることと同じということになる。
要するに、何千人、何万人、何億人集まろうが、結局、人はいつでも独りということで、だからこそ、それぞれが自分だけの礎の上に生きていると言えるのだ。
だから、孤独をマイナスに考える必要なんて全然ない。
でも、だからこそ、人は何かと繋がっていたいのかもしれないけれど……。
まあ、とにかく。誰もが孤独であるということは動かしようがないことで、それでも孤独じゃないんだと、どうにかこうにか繋がろうとするから無理が出てくる。
人と違うことを恐れたり。
人と違うことを妬んだり。
人と違うことを疎んだり。
人と違うことを責めたり。
そんなことになるから、みんなが同じを求める同調圧力なんてことが起きる。
でも、そうじゃなくて、そもそも、人は姿かたちがなんとなく似てるだけで、みんながみんな違う生き物なんだと、そう理解するところから、本当の理解は始まるはず。
自分の孤独と相手の孤独を理解しようとすること。これが、コミュニケーションの第一歩だと俺は思う。
だから、矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、孤独にならなきゃ、人は誰とも繋がれない。
そうは言っても、相手の孤独を理解しようとすることは、とても、とても難しいことで、そして、どんなに努力しても、本当のところまでは理解できない。
でも、自分の孤独は違う。自分の世界は自分だけのものだから、そこに生きているという孤独は他の誰にも理解はできない。
だけど、自分にだけは理解できるはず。
まずは、それを理解しよう。
人は皆、孤独。だから、孤独を恐れることはない。
そこにしっかり自分を置いてみて、自分という一つの世界を理解しよう。
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