先住民族アラクワル人の残した霊気に包まれながら生活し考えたこと
1700年代後半にイギリスの海洋探検家キャプテンクックにより発見された土地 BYRON BAY。
1880年、白人の開拓民入植以前からこの辺りの自然と5万年以上も共存しながら暮らしてきた先住民族 アボリジニ アラクワル人、、、
その年、突然白人たちがやってきて勝手にここは自分たちの土地だと主張し
先住民族であるアラクワル人たちを強制的に追い出したり殺戮したりした。
そして白人たちが持っていた伝染病のウイルスが風と共に彼らに広がっていった。
アラクワル人はそのウイルスに対し耐性を持ち合わせていなかったので、その多くが病死したり、白人たちの放つ槍や火で日々虐殺が繰り返された。
とんでもなく野蛮でどうしようもない時代だった。。。
白人たちはさらに母なる大地に生えていた木々を勝手に伐採し、
それらを売りさばき自分たちの世界観で金儲けをした。
母なる大地に値段をつけ区画し、その土地の売買を始めたのだ。
世界中に価値観は何万通りもあるはずだが、
元来そこにあったはずの先住民族のそれらは、
全くと言っていいほど尊重されぬまま放棄され、
白人たちの好き勝手な蛮行はその後も延々と続いた。
たった150年、ほんの150年の間にこの土地は大きく様変わりしてしまったんだ。
しかし、そこまで好き勝手にされても変わぬものが存在した。
彼らアラクワル人たちには5万年もの長い間ずっと共存してきた大地との深いつながりがあったのだ。
動物や自然と会話をし、大地を敬い、大宇宙に対し崇高な祈りを
捧げてきた彼らの魂から放たれた強力なエネルギーのかけら。
それらは150年もの時を超え、未だ強力なまま浮遊し続けながら
この辺りの土地を守護しているのである。
過去も未来もなく、ただ一つのライン上にすべてが混在しているもの。
彼らはそれを ドリームタイム と呼んでいる。
1960年代後半、戦争という時代背景の渦中にいたヨーロッパやアメリカにいた白人の多くが反戦を訴え、戦争に行く事を拒み、国に服従することなく自然を愛し、音楽やサ―フィンや東洋思想に拠り所を模索した。
そして先住民たちからも非都会的な自然と共に生きる知識や知恵を学んでいった。
白人たちの中には大地、海や川を愛したが、大いなる存在とひとつになろうとする際には煙や粉を多用する者もいた。
現在もこの周辺地域には、当時のヒッピー文化の象徴である禅やヨガ思想、薬膳をはじめとする東洋医学や有機栽培農法などが普及しており、
それらはオーストラリア国内にある他地域よりもかなり深く根ざしている。
周辺住民の思想も反国家、反社会的な一面がある。
各家庭のガーデンに少なくとも1体の仏像やガネーシャ像がかなりの割合で鎮座している様は、この地域特有のモノであり、当時のヒッピーたちが夢中になった東洋思想からきた産物であろう。。。
アラクワル人が持っていた世界観とカウンターカルチャーの中から白人たちが見つけ出した東洋的思想、それらと合理的思想等が複雑かつ巧みに混ざり合いながら周辺地域に点在し独自の気を構成しているようである。
そうして混ざり合った思想は、この先の未来の人間たちが必ずや必要とするであろう本質なのかも知れない。
腹を立てるでも嫌悪感を抱くこともなく他者の個をはっきりと認め、
称賛するでもなく呑み込まれるでもなく
互いがそこにしっかりと存在し、過去と現在すべての事象を許し合いながら、ただ真実の道へ向かって手と手を取り合い 協調しながら進むのだ。
僕が好きなネイティブアメリカンインディアン ソーク族の言葉⬇⬇⬇
私の前を歩くな
私が従うとは限らない
私の後ろを歩くな
私が導くとは限らない
私と共に歩け
私たちは一つなのだから。。。