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電車で見た人

その一、私が今までの人生で電車で出会った人(インパクト二位)について


この本を今読んでおりまして。
精神科医の斎藤環先生が結構ヤバめ攻めた発言をされていました.

しかし、ラッセンの絵がダメであるとして、ならばそれに比べて、同じくらい日本人に愛されているであろう東山魁夷や平山郁夫らの絵が圧倒的に優れているのかと言えば、僕は首を傾げざるを得ないのだ.むしろ技法的な平坦さやモチーフの平凡さ、徹底した自己模倣ぶりなど、共通点ばかりが眼についてしまう。

「ラッセンとは何だったのか?」原田裕規 Chapter2より

いやいやいや斎藤先生、その加熱した文章は危険な領域に以下略ではあるのですが、その他にも大野佐紀子さんという方がこのように記載されていました。

たとえば西尾維新と太宰治と村上春樹とドフトエフスキーと嶽本野ばらが並んだ本棚、ユニクロとシマムラとポール・スミスとギャルソンとコスプレ衣装が釣り下がったクローゼットは容易に想像できるのに、フェルメールと印象派とウォーホルとダミアン・ハーストとラッセン(のポスター)が同居する室内空間が想像しにくいのはなぜか?とこの展示が暗に問うていたからに他ならない.

「ラッセンとは何だったのか?」原田裕規 Chapter2より

ここで出てくる「西尾維新」とラッセンと言うキーワード、妙に親和性があるなと。うまく言えないのですが多分キーワードは屈折感。

ちなみにはるか昔、私も話題ということで「クビキリサイクル」読んだ事がございます。

…まあネタバレというかオチはかなり無理があるけど読めないことはない、ということで「クビシメロマンチスト」読んで頭が痛くなりまして.
いーちゃんただのイキりじゃん!と。

まあこれを好んで読むような人は…と頭の中で色々と妄想と偏見が育つわけです。

ここまでが前置きで、リーマン前の話ですが上司と一緒にロシア関連の打ち合わせをする用事があり新幹線で東京まで出てそこから神奈川方面行きの電車に乗ったとき、まさにそのクビキリサイクルシリーズを読んでいる少年以上青年未満が向かいの席にいまして。その子がまさにその、私の脳内偏見と完全一致していて、打ち合わせを控えているのにスンッ…という気持ちになったこと、これが十数年経った今でも忘れられません。


その二、すごくでかい人が隣りに立っていた話


その一のもっと前で、多分20年くらい前です。
仕事帰りにスーツ着て(関東圏の東京より)の電車に乗っていたら、すごくでかい男の人が隣にいまして。でかいといっても太ってるわけではなく、胸板が厚くて冷蔵庫的な体型の方です。その人の隣にはおしゃれな女の人が。

隣にいてその方の声がどうしても聞こえてきてしまいまして。
情報1.今度都内のクラブ(踊る方)で格闘技の試合が行われる
情報2.9時位には終わるのだが、実は深夜に隠し試合が2試合ある
情報3.自分は第一試合の出場者

…聞いていて「世の中にはいろいろなことがあるものだなあ」と驚きました。






…同時に「世の中には奇遇なこともあるものだ」と。
私はその第二試合の方のセコンドをする予定なんだけどなぁ。と。

確かにその方、第一試合にバッチリ参加されていました。
初見のはずなのに初見じゃないというこの謎の感覚。
これが私の人生での「電車で出会った人」インパクトぶっちぎりの第一位です。多分死ぬまで不動の順位かと思います。

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