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納得できずなんとなく
昔から「なんで?」って聞かれるのが嫌いだった。
いつも「なんとなく」としか答えられない自分が嫌いだった。
自分の気持ちとしっかり向き合えば、自分が選択してきたことに対する理由は「なんとなく」ではなく明確にあるはずだ。
でも、なんとなく、のまま進んできた。
なんでこの大学を選んだの?
なんとなく。
でも本当は、高校受験は安全圏を狙ったから、大学受験はとにかく上を目指してみたかった。第一志望は不合格で、受かった中で一番偏差値の高い大学を選んだ。正直、この大学への憧れとかなくて、本当にただ偏差値だけを見て決めました。
なんでこの会社に入ったの?
なんとなく。
…でもこれじゃさすがにまずいから「昔からテレビのセットに目を奪われていて、自分でも作りたいと思っていたから」と答えるようにしていた。
聞かれたら答える用に準備していた、取り繕った回答。
本当は、エンタメ業界でやりたいことがあり、まずは何でもいいからエンタメ系の企業に入っておきたかった。でも就活はなかなかうまくいかず、その時期にまだ募集していたのがたまたまテレビの美術関係の会社で、正直、仕方なく、成り行きで、結果的にこの会社に入りました。
「なんとなく」としか答えられなかった私は、自分の気持ちと向き合うことを避けていたんだと思う。
そして、それを周りに正直に言うことを恐れていたんだと思う。
「こういう目的があって、今こうしてます」じゃなくて
「こうしたかったけどできなくて、今こうなってしまいました」という後ろ向きな理由だったから。
理由はちゃんとあるのに、正直に向き合うことで、人に言うことで、自分が情けなくなる。自分の今の状況に納得できないから、自分のプライドを守るため、「なんとなく」と言っていた。
私ってなんとなくで行動してきたんだと勘違いしていた方が楽だった。
最近は「なんで?」に答えられることが増えた。
仕方なく入った学校や会社ではなく、自分が心の底から好きでやりたいことをやっている。
だから納得できるまで考えてから動くし、もし自分がやりたいと思うことが叶わなくても、「やりたかったけど出来なかったので、代わりにできることを考え、今こうしています」って言える。
私にとって、聞かれて答えられないことは、納得できていないこと。
何かをするときは一度自分に「なんで?」と問いかけて、「なんとなく」を抜けて答えられるまで、動くしかない。