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【観劇記録】第2期帝劇 ラスト『レ・ミゼラブル』
はじめに
“私の人生がはじまった”場所
私の原点にして頂点だなと改めて。
“私の人生がはじまった”のは、忘れもしない2017年7月11日帝国劇場ソワレ公演『レ・ミゼラブル』。この日が無ければ今の私が無いと言っても過言ではない。
当時高校2年生だった私は、演劇部に所属しており「演劇を作る楽しさ」こそ知っていたものの、商業演劇の持つ力やエネルギー、そして何より『レ・ミゼラブル』という作品のもつ大きなうねりのようなメッセージ性に、ただただひたすらに圧倒されて涙が止まらなかった。まさに雷に打たれたような衝撃で、「これが商業ミュージカルか!」と胸の高鳴りを抑えられなかった。
あれから、はや7,8年。100公演以上観劇をして、お気に入りの作品にも数多く巡り合ってきたが、それでも「帝劇で見るレミゼ」という体験は私にとってある種の里帰りのようで、初心を思い出す時間のようで、単なる「観劇」という枠には収まらない時間となっている。
まさかこんなにも早く、私が青春を共にした第二期帝劇に別れを告げる日がくるとは、そしてその作品がレミゼになるとは思っていなかったが、日に日に公演日が迫るチケットを見つめながら、その時間さえも愛おしく感じていた。
ご縁あっていただいた4公演。その感想をここにまとめようと思う。
今期観劇記録
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2024-25帝劇レミゼで見えたもの
レミゼって初心者向けなの?
今期レミゼの公演期間で話題になっていた「レミゼって初心者向け?」という問い。結論から言うと、私は「YES」と答えたい。
思い返すと、レミゼとはじめて出逢ったあの日、「ミュージカルってたのしいの?」な観劇超初心者17歳の私は、レミゼの本質…どころか、ストーリーさえよく理解できていなかったように思う。当時の感想記録を読み返すに、大きな民衆の叫びに圧倒されたこと、エポニーヌの悲恋、そしてマリウスかっこいい…!の乙女心に共感したという内容が綴られており、バルジャンの葛藤やジャベールの忠誠心なんてまったく気づきもしなかったことが良くわかる。
高いチケット代を払うのだからめいっぱい作品の美味しいところを知り尽くしたい!「なんとなくよかった」だけでは勿体ない!という気持ちはよくわかる。例えばバルジャンがマドレーヌ市長になっていく展開の速さは初見だとわかりづらい。マリウスの指輪のバックボーンや、ラマルク将軍って誰?など、知っていた方がストーリーを理解しやすいという一面は多い。実際ストーリーを掴むという点では、2012年公開の映画版の方がわかりやすい。こうした「予習した方が楽しめる」という点では、確かに初心者向けとはいいがたいのかもしれないが、私が思うにレミゼの面白さはもっと根底にあるのだ。
(そもそもレミゼのストーリーは、深めようと思えば探求が止まらないのだから、レミゼヲタクになってから探求し始めても遅くないのでは?とも思っている。)
それは、老若男女誰でも共感できる感情がそこに息づいているということ。つまり想いを馳せたくなるキャラクターがいるということだ。17歳のわたしがエポニーヌに心を打たれたように、ファンテーヌの子を守る母に共感する者もいるだろうし、子が愛する人のもとへ巣立っていくバルジャンの想いに胸を打つ者もいるだろう。また、年齢を重ねながら、自身の観劇経験を重ねながら再び作品と対峙したとき、見える世界や心を寄せるキャラクターが変わっていくことに気づくことこそ、レミゼの醍醐味なのではないだろうか。
私は今期「革命の青臭さ」を知ることが出来て、自身の成長(老いともいう)を感じることが出来た。今までは「若者だって世界を変えられるんだ!」という思いに共鳴して、「私も夢に向かって頑張る!」と応援されたような気持ちになっていたが、今年は「後先考えず、その場の勢いで突っ走って崩れていく様は美しいといえるのか?(美談にして良いのか)」のような視点で見ていて、同じ作品でも観客の立場によって感想が全く違うのだなぁと改めて感じる機会となった。
私は「観劇」という体験を「心を豊かにする事」だと思っていて、「心を豊かにする」とは、「多くの感情を知ること」だと思っている。令和の日本を生きる20代女性では出逢うこともなかった、「革命に燃える心」や「仲間を失う気持ち」、「自分の人生を変える決意」など、ミュージカルの「心を歌う」という比較的わかりやすい手法でもって展開された感情を知り、自分事として捉らえ、共感し、心が揺さぶられる。
こうした「心を豊かにする」経験が、老若男女誰でもできるチャンスがある…といった意味で『レ・ミゼラブル』は「初心者向け」といえると思う。
神の教えは「正しい」か
人々の生死を群像劇として描く本作。個人的には、今期帝劇公演期間中に祖父が亡くなったこともあり、いままで以上に「人の生死」を考えながら観劇したレミゼであった。
誰かを愛し、“神さまのおそばに”逝けた者たちは、こと切れたとき白いスポットライトが当たる(ピンスポではなく、単サス?)。それが、黄泉の国からのお迎えのようで、どこか美しくもあり、魂が天へ昇っていくようにもみえる。
また、今まで疑問に思っていたエピローグでのファンテーヌとエポニーヌの登場について、バルジャンの死がトリガーとなって生死の境界線が朧げになった時、コゼットのずっとそばにいたファンテーヌとマリウスのずっとそばにいたエポニーヌが可視化されたから、という意見を聞いて腑に落ちた。
一方自ら命を絶ったジャベールは、白いライトなど無く、漆黒の深淵へと飲み込まれて死んでいく。その対照的な演出が、“神”を描かずとも“神”の存在を感じさせるようで、背筋がゾゾッと震えるものがある。バルジャンのように神に魂を差し出して生まれ変わる者もいれば、ジャベールのように強い信念を持つがゆえに命を絶ち、神に迎えられない(地獄行きの)者もいる。誰もが必死で人生にしがみついて今日という日を生きていて、ジャベールもその一人だったはず。監獄の中で生まれ、その生い立ちが彼にとっての“鎖”となっていたからこそ、正義を追い求め続けた生涯であった。甥っ子の為とはいえ窃盗という罪を犯し、脱獄という罪を重ねたバルジャンが、善人に生まれ変わり、誰かを助け、誰かを愛したことで神に受け入れられるのならば、なぜジャベールにはその“鎖”を断ち切る機会が無かったのだろう。誰よりも神に忠誠を誓い、正義を司って罪を裁いた彼が、なぜ最期に神に愛されなかったのか。これまでの人生を覆すほど「自殺」は罪なのか、その教えは正しいといえるのか?と改めて考えさせられた。(もっと突っ込むと、グランテールは自殺に含まれないのか?ということも)
砦で多くの若き亡骸を目にして「己の正義」を突き詰めた先に広がる景色がこれかと、一方で罪人であるはずのバルジャンがまたひとり命を救おうとしている姿を見てしまったら、「俺の世界は消え失せた」と彼のアイデンティティが崩壊していくのも無理はないと思った。これを「自身の正義を曲げない傲慢さ」と論じてしまうのは、あまりに酷なのではないか。バルジャンに生かされる前に、どこかでバルジャンを「許す」という行為をとっていたら、誰かを「想う」という経験をしていたのなら、彼は神に愛されたのだろうか。
バルジャンの「暗い秘密」の持つ、焦燥感は小説や映画版(2012)の方が迫るものがある。「3人の影」の監視の目から逃れることや、マドレーヌではないことがバレてしまうのではなかという緊迫感。それらが最も表れるのはWho am I ?にて「名乗れば牢獄、黙っていても地獄」の言葉のように思うが、悪く捉えるのであれば、噓に嘘を重ねて積み上げて産んだ新たな自分は、例え善人として正しい行いをしたとしても「罪」にはならないのだろうか。ファンテーヌはバルジャンを「神が遣わした人」と呼ぶが、幼きコゼットに近づく貧民たちの手を払いのけることは「罪」にはなり得ないのか。完璧な人間などいないと理解はしていても、生まれ変わったバルジャンに一切の罪がないとしてしまうのは、どこか疑問に感じる節がある。
この表裏一体のバルジャンとジャベールという存在の面白さを、今期のレミゼでまざまざと見せつけられた。魂を差し出して生まれ変わるバルジャンと、自ら地獄へと堕ちていくジャベールが、同じ旋律で心を歌うのもまた一興である。
人の痛みに共感できるか
工場で働く「ファクトリーガール」たちのいがみ合いは、あまりに劣悪なものである。一方で、カフェソング直前の「教えなかった死ぬことなど」とABCの仲間たちの偲ぶ彼女たちは、服装から見るに身分(立場)もバラバラで、貧富の違いに関わらず支え合って死を悼んでいる。また「Lovely lady」たちも、暴行されたファンテーヌを庇おうと団結しているようにも見える。こうした描写の違いはどこからくるのか。強いてあげるとすれば、「他人の痛みがわかること」なのではないか。この他人の痛みに寄り添う姿勢は本作の軸になっているように思え、「痛みへの共感」が物語を動かしているように感じられる。「痛みへの共感」が他者へ手を差し伸べるきっかけとなり、その救いがまた自分に返ってきたり、あるいは他者への救済へとつながっていく。そもそもこの六月暴動も困窮する市民を救うべく若者たちが立ち上がった結果だ。こうした「痛みへの共感」が「列に入る」ということなのでは、と解釈した。
反対に、工場長や「Lovely lady」へ暴行した者たちなど、「痛みへの共感」に欠如した者たちであればあるほど悪人のように映る。(人の心がない者ともいえる。)ではテナルディエは悪人といえるのだろうか。愉快で楽しいテナインの雰囲気も相まって、面白いキャラクターとして記憶に残りがちだが、ブラックジョークな演出も多く、まったくもって善人と呼べるキャラクターではない。かといって極悪人だと思うほど重々しいキャラクターでもない。テナルディエとは「この世は生き地獄さ(中略)天国を見上げても丸い月が見下ろすだけ」の歌詞に表されるように、そもそも神を信仰していない、神の庇護下にいない人物なのではないか。生き地獄の中で生き延びるために嘘をつき、自身が心の臓まで汚れても「自身の生」に執着し続けるさまは、かえって爽快感を覚える。(そうした姿は、どこか『ミス・サイゴン』のエンジニアとも重なるような。)行いは最低最悪なのにどこか憎めないのは、ある種“神”に翻弄される人々の中で、彼が唯一無神論者だからなのかもしれない。
(ガブローシュの父だなんて、全く信じられないよね)
夢にまで見た、帝劇最前
最後の最後に、ご縁あって帝劇最前に座らせていただきました、1階A列4~番。
本当は『ジャージー・ボーイズ』で座る予定だったけれど、コロナで全公演中止となり紙切れと化した幻の最前。まさかここで返ってくるとは思わず…。
1階A列4~番(席番ややぼかしてます)は、正直とても見にくい、味わい深いお席でした(笑)。夢やぶれての冒頭など、舞台奥の演者は全く見えず……そして上手のお席なのでかなり鋭角に見ることになり、「0番」ことセンターラインは想像以上に遠く。首が痛くなるほど見上げることはないけれど、役者さんと目線が合うことのないお席です。
(MR!でも痛感した、帝劇の舞台の高さよ…。やや見上げる感じ。)
ただ1ベル後、舞台奥から聞こえる鎖の音にはゾワゾワ鳥肌が止まらず。上手花道「コゼット思い出す~、コゼット変わった~」のエポニーヌは真横!何より、砦で死にゆくアンジョルラスの微笑んでいるようなご尊顔をこの目で見れただけで…贅沢は言うまい。
そして、幸か不幸か鋭角な視野なので、新鮮な視界が多く、オペラ越しに「この視界!ブロマイドにしたい!」と思う瞬間は5億回くらいあった(笑)。エポニーヌの横顔越しに見るマリコゼのいちゃいちゃとかね…。
今日も帝劇は生きている、と感じざるを得なかった。
「推しキャスを1ミリでも近い距離で拝みたい」作品や客降りアリならアツいお席だが、レミゼのように俯瞰したい作品だとかなり物足りないな、という印象。(特にレミゼ1幕がかなりつらい。)
こうした不満もいえるのも、はじめて座ったからこそ分かったこと。贅沢な悩みだと思いつつも、この味わい深い席が思い出として深く刻まれたのは確かだ。
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キャスト別感想まとめ
※書ききれないため箇条書き。
※敬称略失礼いたします。
◆飯田バルジャン
・囚人、市長、父。全てで満点を取ってくる王道バルジャン。10年目バルジャンですか?
・彼で初レミゼの人羨ましい。
・伊礼ジャベとの相性が最高すぎる。
・歌詞の染み込み具合が半端ない。
・公演数を重ねるごとに〜独白の獣感が増し増し!
・コゼットへの愛たっぷりなところも大好き。
・自分の老いに気づいたとき、この先コゼットを誰に託すのか?自分は彼女をもう守れないのかと自覚する瞬間が、BHHに繋がっていくのだなと納得だった。
◆佐藤バルジャン
・もともとバルジャンの「暴」の部分を持ち合わせていないというか、本来とても優しい清い人なのに、周囲の環境で「神」を見失ってしまっていたゆえの過ちなのだなと感じさせるバルジャン。
・あの雲の上に〜からのラララ〜親子ハモリの優しさが大好きで、ここ聞くたびにしゅがバル良いなぁと思う。
・天使のようなBHHはしゅがバルの真骨頂だと思う。
・本当にコゼットを愛しているんだなと思う姿が大好きで、エピローグでおうちにハケるコゼットをいつまでも目で追いかけてるの本当に美しい。愛が強いのよね、憧れのパパ。
◆伊礼ジャベール
・折れる、曲がるを知らない堅物度合いが絶品。
・正義が揺らぐその瞬間を一瞬の狂気のように見せ、精神が壊れていくジャベ。
・正しさを突き詰めても苦しいのでは……?と考えさせてくれる、「葛藤からの解放」の言葉が似合うジャベール。
・強さゆえに、「対決」での首絞め→気絶して暗転ハケでも、暗闇の中で芝居を続けてるの良いいいいい(これは2021からやってたはず)。
・敗戦後のバリケードにて、松明が消えて「クソッ!」→部下の松明とチェンジの流れがスムーズで麗しかった(?)
・ガブローシュはじめ革命で逝った学生たちの亡骸をみて、急速に己の正義や神を問う姿。バルジャンに生かされてから、どんどん壊れていく表現が秀逸。
・瞳孔が開いた、目かっぴらきの狂気ジャベを間近で見れたこと、本当に忘れない……。
・長年信じ続けてきた己の正義が揺らいだ時、人はこうも狂えるのかという恐怖と説得力。
・彼を超えるジャベに、第3期帝劇で出逢えるのか?
◆石井ジャベール
・人の心無い(褒めてる)黒か白、グレーという色を知らない男。
・眼光の鋭さがすごい……。“職務の奴隷”感が強い。
・Starsは警棒とハットの組み合わせなのいいなぁ。伊礼ジャベはひざまづく→胸で十字きるだが、石井ジャベは左手シルクハット、右手警棒広げる→警棒を胸に星に忠誠を誓う〜が新鮮だった。
◆昆ファンテーヌ
・死に様の美しさたるや………………!\優勝/
・心も身体もボロボロなのに、胸の奥に秘めた炎の煌めきは決して失わない女性の美しさ。
・キムとも違う、母として子を託して散っていく美しさがとても良かった………。
・馴染みすぎて初役な気がしないんだよなぁ。
・“母強し”なファンテ。ジャベールの警棒に全然掴まれそう。「罪もないのにあの子は死ぬわーーー!(強)」がまだまだファイトモード。
◆生田ファンテーヌ
・女神。
・汚れが似合わない麗しい女性が、堕ちてしまった感。
・エピローグのファンテを見て、"女神"としてのファンテを体現する生田絵梨花があまりに美しく、ファンテに選ばれた意味を感じた。
◆木下ファンテーヌ
・全てを兼ね備えた聖母ファンテ。どんな言葉を並べても陳腐な気がするくらい良かった。
・わたし史上1番の最適解ファンテだった。
・聖母、娼婦、女神、全てを成し得るファンテって存在するんだと感動。
・強さはある、でも儚さと母としての優しさみたいなものがずっとあって、そして何よりビジュが完璧すぎて理想すぎるファンテでした。
・エピローグでパパに駆け寄るコゼットをうっすら微笑みながら、バルジャンを黄泉の世界へ導くのすごいよかった。エピローグの女神さにはびっくり。
◆ルミーナエポニーヌ
・やっっっっっっっばい強者きた。
・歌うますぎて?!スコーンと帝劇に抜けていくお声の強さと美しさ。
・怒りを常に持ち、怒りを原動力にしていくエポニーヌ、凄く良かったな。
・逆に恵みの雨が悲劇に感じないというか、少しは報われた(と思いたい)ね、、と声を掛けたくなるような。
・可哀想な子って要素が少ないのが良い。
・私の求めるエポ像と近い気も。
◆清水エポニーヌ
・BJのリディアを見たときから絶対次のエポだ!と信じて待ってた。やっぱりエポ似合う子だ……。
・恵みの雨で、最後マリウスにキスしようとしてたの良かった…。
・みーしゃエポはマリウスに頬(というか首?)撫ムーブが多いなぁと思うなど。
◆屋比久エポニーヌ
・前より更に歌上手くなったね????
・恵みの雨の、めちゃくちゃ死にそうな歌い方ほんと良かった。歌詞をぶつぶつ切って歌った方が、やっぱり芝居としてはいいな。死にかけなのにそんな息継ぎせずなめらかに歌えるもんか?と毎回疑問だったので。
・バリケード(が現れるとき)を見つめる姿のシルエットが、ちいさな体で多くのものを背負って、覚悟を決めているように見えて美しいとさえ感じる
◎エポニーヌ:3人全員みたが、全員安定。抜群の歌唱力に芝居。ただ今季エポが全員同じ属性でトリプルキャストの面白さが半減しているような気も。以前のふうかエポのような「可愛くて強い、悲恋味のある少女漫画エポ」がおらず、「怒りを軸に、怒りを原動力に」エポが3人集結した状況。もちろん各々細かい点では違うけど、全くタイプの違うエポ!とはならないのだなぁ。演出の意図なのだろうか。
怒りを原動力に突き進む感じが私の解釈と一致してて握手…なのだが、複数回みる勢としては、各々のエポの個性というよりも単なる歌唱力比べになってしまい、トリプルキャストの醍醐味という点では勿体ない気も。
◆三浦マリウス
・今期は過去2期のマリウスよりも、愛情が控えめというか、クールな印象。
→恋愛が令和っぽいという意見を耳にして「なるほど?」と思うなどした。
・相変わらず可愛くて、すっからかんな坊ちゃんで……(めちゃくちゃ褒めてる)
・わたしが人生で一番回数見てるマリウスです☺(暫定)
◆山田マリウス
・後ろ斜め45°から見た姿、海宝マリ思い出すんだが幻影かこれは(?)(?)
・ほんとに中身スカスカそうで、何も考えてなさそうな坊ちゃん感が溢れる(最大の褒め言葉)。
・心は愛に溢れての「僕はマリウスポンメルシー」で紳士お辞儀してたの良かった。
・カフェソングで蝋燭掲げてる姿みて涙出た……こんなだったっけ……。
・エピローグのコゼットハグで大泣きした。幸せにしてあげて欲しい(夢)。
・早めにバルジャンの存在に気づいて立ち上がるのめろい。
◆加藤コゼット
・りりこぜーーーー!高音ビブラートたまらねぇーーー!!!最高ーー!!!
・結婚式で終始マリウスのことチラチラ見て、「大丈夫かしら?」って気にかけてずっと目で追ってたいんだなってのが新婚感あってなんかかわいい。
・どこまでも清純で純潔なコゼットちゃん。りりかのもっと明るくてパワフルな要素をしまった状態なのか……と知って寂しくもあるけど、やっぱりリリコゼ好きだな。
・プリュメ街が完全に反抗期娘でした~~~。
・とはいえ、なんだかんだパパへの愛を思う存分感じさせてくれるから大好き。
・エピローグの「パパっ(涙)」が最高。
・そして、パパ絶命→コゼ号泣→マリ介抱→コゼ涙でお手紙読む→最後はマリコゼ笑顔でフィニッシュ!。
・りりコゼみたいな愛され少女になりたい人生~。人生の目標。
◆水江コゼット
・お淑やかお嬢様コゼットではなく、本当は元気いっぱい!快活おてんばお嬢様だけど、パパの前ではいい子です♡なコゼット。
・はじける若さ!恋!
◆染谷テナルディエ×樹里マダム
・染谷テナよがっだよォォォ!
・おじさんすぎないテナで、めちゃくちゃ新鮮で良かった〜〜〜
・側転したり倒立したり、やりたい放題なのも最高。
・一番すきなテナルディエになりました。
・お二人ともスタイルがいいからこそ、身なりの不衛生さという"汚さ"よりも、金や執着心など人間としての汚さが全面に出ているように思えて、“生き延びるための”最悪な人間像が際立っててめっちゃ好き。
◆駒田テナルディエ×森マダム
・嗚呼、我が故郷…みたいなテナで懐かしいまである。「あーこれこれぇ!」の安心感。
・駒田さんのお声が特徴的だから面白い、ってのもあるかも?
・もりくみマダムと駒田テナとの馴染みのよさ。本当の熟年夫婦のようで、アドリブの差し込みなど安定感が半端じゃない。
・もりくみさんにカテコで手振りかえしてもらえて嬉しかった!☺
◆駒田テナルディエ×谷口マダム
・何気にお初な谷口マダム。
・声量やがはがは感(伝わる?)の加減が見やすくてよかった!
◆斎藤テナルディエ×森マダム
・お初な斎藤ペッペ!さすが芸人さんw
・歌の安定感はすごい。
・カテコで斎藤さんだぞぶっ込んでくるのはずるいwww笑っちゃうじゃんそんなのwww
・もりくみマダムとの相性でいえば、やっぱ駒田さんかなぁとは思いつつ…。
◆木内アンジョルラス
・本当にめろめろになって、オペラグラスで追いかけ続けたアンジョルラス。
・週を重ねて色気増してませんか?リーダーの素質が高すぎでクラクラする。
・圧倒的メロい!!!!メロすぎる!!!助けて!!!!苦しい!!!!
・優柔不断なマリウスとの対比が輝き、情熱の輝きが美しい。
・民衆の歌を歌う前にいったん静かにさせて、自分を注目させてるテクニックなど、リーダー像があまりに完璧でしなやかで美しい。
・ただスター性があるだけじゃない、ABCの仲間をこまかく見てすべき対応やかける言葉をきちんと選んでいたり、皆の士気を上げるためにどうすべきかを常に考えている姿が本当に本当に大好き。
・「ラマルク将軍が死んだ!」に「よくやった!」みたいな感じでニコニコ褒めてくれるアンジョォォォ!(心の中で叫んでた)
・Drink with me でグランテールが「死に意味はあるのか?」と問う場面で、右手でぐっと彼を抱き寄せ、耳元で何かを伝えるアンジョが素敵すぎて息の根が止まった。「大丈夫だ」みたいなこと言ってる?聞き取れない……聞き取りたい……。
・ガブの死、アンジョの絶望感ある表情やばい。
・ガブの亡骸を抱える姿、自身が撃たれて死ぬ姿はまるで宗教画。後ろから白いライトが当たることで余計そう見えるのか……。うっすら微笑んでいるようにも見えて…。
・完璧な活舌~スコーンと届く声の強さ、堪らん。
・強いアンジョであればあるほど、結婚式のお給仕姿が大好きすぎて胸が苦しい。目の前でマダムテナがガバガバシャンパン飲むのをニコニコ止めてて心臓止まった。メロい。
・帝劇最前で見た、バリケードから落ちてゆく宗教画アンジョがどうしても忘れられない。もう一度みたくてオペグラ構えてみてたけど、真正面からみると逆光過ぎて何も見えない…という事実に気づいてしまって涙。帝劇最前上手って、アンジョの宗教画を拝む席だったんだ…(嘘じゃないもん)。
◆民衆のみなさま
・杉浦フイイが好きでずっと目で追っかけてました、楽しかったです!
・町屋ファクトリーガールのファンです、だいすきです。
・今更ながら、グランテールの良さに気づいてしまった。
・最後の最後、My楽に田川モンパルナスに恋に落ちてしまい苦しいです。逢いたい…。
・田川モンパ……拳銃ぐるぐる回してスカすのはずるいよ…(罪)
◆その他
・竹内マリウスの亡霊です、助けてください、逢わせて…せめて別れを告げさせてくれ…
最後に
もっとキリスト教の世界観や、『レ・ミゼラブル』のストーリーを勉強しておくべきだった、小説をもっと読み返しておくべきだったなと反省しつつ。名残惜しさはあるけれど悔いはない。
個人的には、第2期帝劇で2017年、19年、21年、そして今回と、数々の革命と出逢えたことに感謝しかない。まさに"わたしの人生がはじまった"場所。
次レミゼを見るときは、誰の視点で見るのだろうか。誰がキャスティングされるのだろう。何回“列に入れる”のだろうか。第3期帝劇では2度目の新演出版を見届ける日も来るのだろうか。またたくさんの心の旅行をあの場所で続けたい。
全ての関係者の皆様に感謝を。
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最後までご覧くださり、ありがとうございました。
拙い感想でお恥ずかしい限りですが、お読みいただき感謝いたします。