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こんにちは。
今まさに、世界の注目がロシアに集まっています。今後の日本とロシアとの関係を考える上で、まずはこれまでの歩みを確認しておくことが重要だと考えました。
ロシアがソビエト連邦だった1956年に、日本はソ連との間で国交を回復しています。それ以前の1952年には、日本の国会議員がソ連に出国することをめぐって問題が生じたことがあります。
いったいに何が問題となったのかを考える上で、今日は帆足計事件(最大判昭和33年9月10日裁判所ウェブサイト)を紹介したいと思います。
1 どんな事件だったのか
元参議院議員だった帆足計は、ソ連の計画経済に憧れ、マルクス主義を深く研究していました。あるとき、オスカー・ランゲ博士から招待状を受け取った帆足は、平野義太郎の勧めもあって、ソ連で開催される国際経済会議に出席するために、ソ連へのパスポート(旅券)の発行を求めたところ、当時の外務大臣吉田茂はこれを拒否しました。これにより会議に出席できなかった帆足は、国に対して約100万円の損害賠償を求めたのです。
2 帆足の主張
私が著しく国の利益や公安を害することはないし、世界各国間の経済関係の改善を研究する会議に参加することが、直接的に日本国の利益を害するわけではない。単に漠然と害悪は発生するであろうという推測のみでパスポートの発行を制限するのはおかしいのではないか。
そもそも、旅券法でパスポートの発券を制限できるとしていること自体が、憲法22条2項に定めた「外国に移住する自由」に反しているので、無効なのではないか。
また、私は外務大臣の故意又は過失により旅券の発給を拒否され、憲法が保障する海外渡航の自由ないし権利を侵害されたので、国家賠償法に基づき国に対して損害賠償を求める。
3 国側の主張
ソ連は昭和20年8月終戦直前に日本に宣戦したもので、昭和27年4月28日に効力が発生した平和条約にも調印せず、日本国とソ連とは未だ平和状態が回復されていないのみならず、ソ連には今なお30万余りの我が同胞が抑留されて居り、且つ終戦後今日まで、ソ連官憲によつて拿捕された漁船、漁夫の釈放されない者も相当数に上っている。日本政府はGHQを通じてソ連側に再三これについて問合せをし、また釈放を懇請しているが、ソ連側からは今日まで何等の回答に接していない。
このような事情を無視して、自由世界に混乱と分裂をもたらさんとする新たな共産主義者の工作である国際経済会議に出席し、これに協力することは、それ自体が共産主義国と対立する自由世界の一員として発足しようとする日本国の利益又は公安を害するものである。
4 最高裁判所の判決
憲法22条2項の「外国に移住する自由」には外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきである。そして旅券発給を拒否することができる場合として、旅券法13条1項5号が「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定したのは、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ、この規定が漠然たる基準を示す無効のものであるということはできない。よって、帆足計の上告を棄却する。
5 海外渡航が制限される場合とは?
今回のケースのように、日本では外務大臣と法務大臣が日本の利益や公安を著しく害する恐れがあると判断した人に対して、パスポートの発行を制限することがあります。
また、前科があれば海外旅行ができないのか、という疑問を抱く人が多いようですが、この点について旅券法13条を参照してみると、渡航先の国で入国制限をされている人や、懲役2年以上の罪の疑いで逮捕または起訴されている人、禁錮以上の刑で執行猶予中または仮釈放中の人、パスポート偽造などで有罪判決を受けた経験のある人などが、パスポートの発行を制限されるようです。前科があったとしても海外旅行は絶対にできないというわけではないことに注意する必要があるでしょうね。
では、今日はこの辺で、また。