無礼者には法律も味方しない
こんにちは。
「何よりも信頼が大切だ!」と、以前からビジネスの世界では繰り返し強調されてきました。実際に、以下の著書による研究成果では、会社に相手の信頼を損なう態度をとる無礼者がいると、周りの人に対して①健康を害する、②経済的損失をもたらす、③思考力や集中力を下げる、④認知能力を下げる、⑤攻撃的にさせる、などの悪影響があることが指摘されています。
たしかに、「おまえは無能か!辞めちまえ」と言われたら、内心では「仕事を全力でこなすのは無理だな、ちょいと手を抜いておくか」といった気持になりますよね。
また、以下の著書では「悪は徒党を組むが、誠実な人は決して徒党を組まない」と書かれています。
同じように法律でも、相手の信頼を損なわないように誠実に行動することが求められています。
この規定は信義誠実の原則(略して信義則)と呼ばれているのですが、かなりざっくりとした規定ですよね。しばしば契約書の中でも「この契約の解釈をめぐって紛争が生じた場合にはお互い誠実に協議・解決する」といった条項が入っていることが多いです。
なぜ、このような規定が必要だったのでしょうか。もともと民法典は1898年に施行されたのですが、そこには信義誠実の原則の規定は存在しませんでした。しかし、約50年経過した1947年の民法改正によって、この規定が追加されることになりました。
1900年代初頭の日本の様子を知るうえで、渋沢栄一の『論語と算盤』(1916年)が参考となります。
日本で商売をしていた外国人が「何で日本人は約束を守らないんだ。儲かったら何でもありなのか?」と言われたことに、渋沢は非常にショックを受けたようでした。
渋沢は、当時の日本人に対して「お金儲けのノウハウ」と「誠実さ」の両方を兼ね備えるべきだと説いていたのです。
すると大審院(戦前の最上級審)も、相手の信頼を裏切らないように誠実に行動することが大事であると、日本で初めて宣言しました。
買戻しに必要な契約費用が不足していれば、法律上は買戻しができません。ところが、土地の売主が再三にわたって「契約にかかった費用を教えてくれよ~」と尋ねていたにもかかわらず、買主がそれを伝えなかったことが原因で、支払った買戻し金額にわずか2円8銭の不足が生じました。大審院の裁判長は、契約費用を伝えなかったにもかかわらず、「2円8銭が足りん」と大騒ぎする無礼者には、法律は味方をしないと宣言したのです。
その後も、多くの裁判長はこの信義誠実の原則を適用していきます。
例えば、大阪地判平成元年4月20日では、一度他人に贈与した物は取り戻すことができないとする規定とは異なる解決をしています。
ある父親が、「娘の旦那が歯科医師になれば娘を幸せにしてくれるはずだ」と期待して、758万円を娘の旦那に贈与しました。ところが、その旦那は歯科医師試験に合格するやいなや、不倫の事実を明らかにして離婚を申し出たのです。
裁判長は、このような無礼者(信頼を裏切る者)に対して信義誠実の原則を適用することで、父親による金銭の返還を可能にしたのです。
しかしその反面で、信義誠実の原則によって法律を無視できてしまうという点には危険な側面があります。実際にドイツでは、経済的危機や政治的に混乱している時期に、信義誠実の原則が数多くの事例で適用されました。
第一次世界大戦後のドイツでは、ハイパーインフレが起こります。250マルクのパンが、1年以内に150万マルクに跳ね上がったのです。すると150万マルクを貸していた人が、そのまま150万マルクを返してもらったとしても、パンを買える程度のマルクしか受け取れないので、大損をしてしまうことになったのです。そこで、ドイツの裁判所は信義誠実の原則を適用して、ハイパーインフレに対応した金額で返済することを命じたのです。
さらに、ナチス政権になると、ユダヤ人が企業に求めていた退職年金の支払いについて、信義誠実の原則を適用することで、支払いを認めないという判決まで登場していたのです(22頁)。
賢者の石とは、鉛から金を作るための触媒だとされています。ここから、信義誠実の原則が法律の世界における賢者の石だと表現する人もいます(8頁)。
信義誠実の原則は使いようによっては、血も涙もない法律に血肉を通わすことができる反面、悪用される危険性もあります。そのため、今後も注意を払いながら、監視していくことが重要でしょう。
では、今日はこの辺で。また。