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僕の小学校時代

こんにちは、YUTOです。
簡単な僕の小学校時代についてです。
大まかになので、部分部分の詳細は以降少しづつ。


小学生時代

低学年 in Paris

入学は日本の地元の公立小学校に通っていた。
小学1年生の12月に父の転勤でフランスパリへ。
最初はせっかくの友達たちとの別れ、期待感の反面、憂鬱感に苛まれた。
現地校ではなくパリ日本人学校に通うことになった。
家からスクールバスで高速に乗って1時間。三半規管とお腹が弱い僕にとっては地獄。毎日とても憂鬱だった。一号車はトロカデロ行き。二号車はモンパルナス。三号車はオートイユ。四号車はポン・サンクルー。今聴くとかっこいい笑。滞在中にテロがあったこともありゴツい警備員が乗っていた。
そしてクラスメイトたちは海外勤務のお坊ちゃん、お嬢様ばかり。
全く感覚が合わない。最初はいじめもあったが何とかやり過ごした。

パン教室に連れていってもらった。これがお菓子作りとの出会い。
惣菜パンや菓子パン、パウンドケーキなどを習った。先生に会いたいな。
夏休みや冬休みは国内のニース、ボルドー、ディジョンやモナコ、スペイン、ドイツに行った。パリだけでなく、旅先でたくさんの刺激を受け感覚が研ぎ澄まされた。
良くも悪くも舌が肥えてしまったが、味の違いがわかる男になったような気がする!?
これらのパリの生活が僕の人生を大きく変えた。価値観や発想、視点など。

帰国

小学4年生で日本に帰国し、元いた小学校へ。パリ日が恋しい日々を送っていた。
そんな中、6年生の時には日本人学校で触れた将棋を生かして、将棋クラブを立ち上げた。
習い事は、プール、塾、フランス語。
アンスティチュフランセ東京に通わせてもらった。
残念ながら話せるようにはならなかったが。
食品系に興味があったこともあり、中学受験を決意し小学4年生の冬から塾に通い始めた。集団指導は性に合わないので個別指導。
そこで面白い塾長に出会った。この人との出会いも、僕の人生に大きく影響を与えている。
小学生ながら、土日には全国統一小学生テスト、首都模試、説明会、体験授業などなど。今考えると12歳にしてはすごいなと我ながら思う。
無事第一志望の中学に合格した。

アンスティチュフランセ東京

まとめ

やはり当時から〇〇長など、長になることが多かった。おかげで、人をまとめるような統率力は身についただろう。
このスキルがカフェ、会社経営に活きていくのかもしれない。
今思うと、自発的な意思決定による成功体験が大きかったのではないかと思う。もちろん、親と周りの環境があってこそだが。

最後まで読んでいただきありがとうございます!



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