悪者
最近、気になることがある。
息子がやったことに対して私が「それはやめて欲しい」ということを言うと「僕は悪くないもん!」と返ってくるのだ。
またはギャー!となって「自分は悪い子だ!警察呼んで逮捕してもらって!」というようなことを言う。
私が言っているのはあくまで「これからはやめて欲しい」であって、息子という存在を否定しているわけではない。
これから同じことを起こさないために、こうしていきませんか?という提案をしているのである。
私は親で、だから息子よりも強い立場ではあると思う。いくら息子を尊重しよう、平等でいよう、としても、注意したり、「こうした方がいいと思う」、もっと強く「こうして」と言う場面もある。
ただそれはあくまで「改善のための提案」であって「息子を悪者にしたい」という意図は全く無いのである。
でも息子の言動を見ているととても極端というか、「注意された=悪者」で、注意されたことでその人の全てが「悪」と認定されているかのように受け取っている気がする。
はっきり言って私からすれば、それが「いいか悪いか」という「善悪」はどうでもいいのである。そんなものは時代や立場によってどうとでも変わるし、「あなたは悪ですね」「善ですね」と私が認定してそれが何になるというのだろう。
私にとって大事なのは「これからどうするか」。何かが起こった。それは自分にとって望ましくないことだった。だからもう起こって欲しくない。ならどうすればいい?
ただそれだけの話。たまたま「息子にも私の考えを聞いてもらった方がいい」と判断した時には「息子への注意」という形になることもあるけど、「息子を悪者にしたい」と思ったことなど一度もないのである。
息子に限らず。「自分は悪くない」思考の人は一定数、いや、かなりの数、存在すると思う。
まぁ実際、私もその人自身のことを「悪者」と言いたいわけではないので「自分は悪くない」はある意味間違ってはいないのだけれど、問題は話がそこで終わってしまうことにあると思う。
自分を攻撃されたと思ってガーっとやり返して、その嵐が過ぎ去ったからOK。では、起こったことに対して何の解決にもなっていない。
あなたが悪いか悪くないかはどうでもいいのである。ただ、目の前に起こったことがあるのだから、それは望ましいことでは無かったのだから、自分にできることはないかと自分の頭で考えて改善していきませんか?と。ただそれだけの話である。
私はそういう方向を目指したいし、だから「自分は悪くない」「○○が悪い」で終わって考えない人とは合わないし、話していて楽しくない。なので段々関わらなくなっていく。それはそれでお互い考え方、生き方が違うのだから、自然な形だと思う。
ただ、何で誰かを悪者にしたがるのか?悪者を作りたがるのか?何がどうなってそういう思考が身についているのか?それは不思議なところだなと思う。
私は息子に対して「失敗は悪いことではないし、何かしたからと言って息子が悪い子ということではない」というのは常々言ってきた。少なくとも私自身が生まれ育った環境よりは、「悪者思考」になりにくい環境なハズ。なのだけれど。
実際、そうでもないというのは、一体どこの何が影響しているのか。もちろん私の対応だって完璧なわけがないし、これからも手探りだなぁと思う。
自分を悪者にするにしても、人を悪者にするにしても。「悪者」を作り上げようとするのは、個人的にはしんどいし楽しくない。自分と考えが違う人は、「悪者」ではなくて「合わない」だけである。合わない人と無理に関わる必要はないし、離れていればいいだけ。ただ、今の段階で息子と離れる、ってのはまた違う気もするので。「こういう考え方もあるんだよ」って事は伝えていきたいな。
ではまた明日。