本。産めないけれど育てたい。

今日は本の話。『産めないけれど育てたい』(池田麻里奈、池田紀行、KADOKAWA)を読んだ。

特別養子縁組という制度がある。自分たち夫婦が産んだわけではない子どもと戸籍上親子になることができる制度だ。単純に「養子」だと養子の事実が残るが、「特別養子縁組」の場合は戸籍上も実の親子と変わらない書き方になると、以前どこかで読んだことがある。

以前はたしか子どもが6歳くらいまででないと特別養子縁組をできなかったと思うが、改正されて現在は15歳未満まで年齢が伸びたようだ。赤ちゃんの時から育てているならともかく、3歳、4歳くらいから育てるのだと、その子自身、自分と養親の血が繋がっていないということはわかっているかもしれない。その上で、「養親と戸籍上も親子になるかどうか」という選択を子ども自身が納得してするには6歳は幼いのではないかな、と思っていた。また、6歳以上になって養親と出会った場合、どれだけ相手を親と慕っていても戸籍上「養子」にしかなれないというのも、どうにかならないのかな、と思っていた部分だった。現在は15歳未満まで伸びて、選択肢が広がったようで良かったなと思う。

さてこの本は、不妊治療に長年苦しみ、けれど結局子どもはできなくて、その後「特別養子縁組」で子どもを育て始めた夫婦の話だ。不妊治療を経験した人、特別養子縁組をした人の1つのケースとして体験を本にしてくれている。

まず良かったなと思ったのは、著者夫婦が子どもを「かわいい」と思えたこと。そして、親戚がその子を「自分たちの親戚として受け入れてくれたこと」だろうか。更に周りの人々も概ね受け入れてくれたようで、ここがクリアできるだけで随分楽になるのではないかなと思う。

受け入れる子が生後間もない子だったというのは大きな要素だろう。実際に産んだ時と同じ期間病院にいて、退院時から著者の元にやってきた。周りからしたら親戚の子が産まれて初めて顔を合わせる、期間的にはそれと同じなので、受け入れやすかったのだと思う。

養子でも実子でも。赤ちゃんは可愛いし、けれど昼夜かまわず泣くし、お世話の大変さは変わらないのだ。一緒に生活していれば愛着はわいていくと思うが、赤ちゃんスタートならば尚更、すんなりいきやすいのではないかなと思う。

とはいえ、仮に赤ちゃんからでも親戚として受け入れてくれる人がいるとは限らない。周りでいろいろ言ってくる人もいるだろう。それは自分たちではどうしようもない要素で、受け入れてくれない人に何とかわかってもらうか、距離を取るかくらいしかできないわけだが、最初から受け入れてくれるのならばそれが一番いい。「養子を迎えるかもしれない」と話した時から概ね受け入れる感じでいてくれたことは、良かったなと思った。

その他、養子を迎えようと決断し、迎えて実子になるまでの過程や、不妊治療がどんなものなのか、死産の話等。貴重なご本人の体験を読むことができて良かった。育児以外は私は実際に経験していないから想像することしかできないが、「大変」や「辛い」という一言では言い表せないものを感じた。


実は私自身、以前から養子でなくとも里親になりたいなと思っていたりはするのだ。

息子が1人いるわけだが、息子を産んだ時に死にかけたこともあり(子宮内反症)、夫に2人目を産むことは反対されている。

子どもはこれからの世界を作っていく存在だ。なるべくなら、良い環境で育ち、力強く幸せに生きていける子を増やしたい。我が家で育ったからそれが可能なのかと言われると、そこまでの力があるかどうかはわからないのだが。少なくとも、何かあった時に相談に乗れるような、親まではいかずとも「他の人よりは親しい大人」にはなれるのではないかなと思っている。そういう大人が身近にいることは、子どもの成長にとって大事な要素で、学校や習い事ではなく「家」だからこそできることがあるのではないかなと思っている。

折角この世に生まれてきたのだから、その子どもたちを大事にしたい。その子自身を幸せに、その子が作っていく未来が良いものになる手助けをしたい。そういう気持ちもあり、ならば里親や養子はどうかなと思っているのだが、それもまた、夫から良い返事はもらえない。

やはり実子がいる分、どうしても対応に違いが出てしまいそうで、それはその子が不幸になるのでは、とのことだ。仮に私たち夫婦が良くても、親戚にも受け入れてもらえるかどうかというとまたわからない。私自身考えてはいるが一歩を踏み出せない状況だ。

そんな中で、この本を読めて良かった。いろんな人の体験を読んで、私なりにできることをしていきたいな。


ではまた明日。