剥離

昨日ふっと思ったこと。あまり人にわかるように上手く書ける気がしないけれど、私にとっては大事な気付きなので書いておく。


自分が剥離していっている実感が出てくるようになってきた気がする。

剥離、というか、2極化の方がわかりやすいのだろうか。人が2方向に段々と離れていっているとして、自分と違う側に行きつつある人とは、おそらくもう日常的に頻繁には交われないだろうな、という感じである。

どちらの考え、生き方が「いい、悪い」じゃなくて。物事を判断する前提が違ってきすぎて、目の前で起こった出来事の見方も、それに対して感じることも全然違ってきてしまって。交わろうにも交われない。そんな所まで離れてしまった感覚、と言えばいいのだろうか。


例えばの話。

「クラスで仲のいい子、いつも一緒に固まって話せる子がいなくて」という悩みを持っている人がいたとする。

以前の私なら、「仲のいい子がいないといけない」という価値観に自分自身がどっぷり浸かっていたor自分はその価値観を持っていなくても、世間的にはそういう価値観が主流だからな、ということはわかっていたので、その上でその子に何かしら助言をするなり、接するなりできた、と思う。

だけど今の私は、そう接することができなくて。「まぁそのくらいの距離の方が楽だよねー」と平気で言ってしまいそうな感じ、なのである。

「クラスに仲のいい子がいた方がいい」という相手の前提が完全に頭からすっぽ抜けていて、おそらく相手からしたら意味のわからない方向からの言葉になってしまいそうな気がする。


ただ、私の中ではちゃんと根拠がある話で。「何がなんでも常に一緒にいなきゃいけない、って縛られる相手がいるのは窮屈なのでは。自由に動きたい時に動けないよね」とか「お互いが自立した人間関係ってもっとドライなものだよね」という前提があるのである。

決して「仲のいい人がいなくていい」のではなくて。「お互い気持ちの上で繋がっていて、大事には思っていて、何かの時に話す人」は必要だと思うけど、常にベタベタする必要はないし、クラスの中にいる人と常に一緒にいるために無理をしなければいけないくらいなら、適度な距離でいられる方が楽だよね、という。そういう前提に立った上での「そのくらいが楽だよね」なのである。

でもたぶん、相手とは前提が違いすぎて、出た言葉だけだと意味不明だろうし、それなりに理解してもらうには結構な言葉の量を重ねなければいけないと思う。


前提が、根本が、離れてきてしまっている。今までとは離れた前提に私が完全に浸かり始めたから。「ちょっと足湯で浸かってみようか」くらいから「全身どっぷり、完全にお風呂に入る」くらいになってしまったから。

新しい前提が自分に馴染むと共に、以前までの前提を忘れつつあって。以前の前提をふまえて考えることが難しくなりつつある。


これが交わらない、自然に離れる、そういうことなのかもなぁ…とちょっと実感したのだった。

前提が違うのにがっつり交わるのは無理だ。お互いかなり無理をして、相手のことを知ろうとしないといけない。でも、そこまでやるくらいなら、似た前提の人といる方がずっと楽だし楽しいのだろうなと思う。

だから自然と交わらなくなっていく。同じ出来事があっても、見るものが全く違ってくる。そうしてどんどん、離れていくのだろう。


言葉として、理屈として触れてはいたものの。何かふっと実感したのだった。



ではまた明日。