かんがえこと-29 12.16
12.8(日)
お世話になっていたクリーニング屋の大将が体調を崩して店を閉めてから、クリーニング難民になってしまっていたけれどもようやく別の店へ。セーター2枚で2,000円とられる。「うちはプロだから。」とのこと。
その後カフェアースへ。アースへ行くときはいつも開店直後の一番乗りで。もっといつでも行っていろんな人たちと交われればいいのかもしれないけれども、できない。なぜできないのかは、わからないけれども、おしゃべりする時間をひとりじめしたいのは常で。どんな読んだ言葉に学ぶよりもありがたいものを、今日も抱いて、帰ることができる。レイキ、をあててもらう。
12.9(月)
これからは早めに出勤してオフィスで勉強でもしよう、といまさらながらに思いつき、わたしがしたいのはこういうことなのだと、ギアを入れて、入ってきた電車に飛び乗る。少し前までは緊張せぬよう、ちょうどよい時間に着くように帳尻合わせてたというのに。
川上未映子を抱いて、歩いている。「ビエネッタ」私もすきだ。刺繍もすき。
12.10(火)
新しいコートは薄手だけれど暖かい。試着して、裏地が付いてないからー、など言っていた自分はおばさんだったなとハイライトする。
郵便局に寄り、年賀状お歳暮クリスマス、と年の瀬にあることに気づく。前の職場の頃はいやでもどんどん季節が流れ込んできて、でもそのおかげで自分の感覚の世界とは別の、実体のある世間を実感できていたのだなぁと。
12.11(水)
遅刻。始業2分前。いつも私より遅い男の子に「まだ2分もあります。」と言われ、いや2分しかないけれども、そうか私はそういう思考なのだな、と脳が裏返される感覚。悪くない。
12.12(木)
今日も川上未映子を抱いて出勤。見返しの柄が私のストールと同じ柄だね、と誰に言うでもなく。小説の名前の付け方に関する話。
名前は、そう呼ばれた名前の人になると思っていて、思えば私は6歳ぐらいからずっと「林さん」で、決して〇〇ちゃん、ではない、「林さん」になった。最近使っている名前もひらがなにしているけれども紛れもなく「林さん」であって、でも不思議とみんな はやしさん、と書いてくれるのでなんだかうれしい。だから私はあるところでは はやしさん、であってそれはまた新しい私がつくられてきたということ。
12.14(土)
ドトールは今日も満席。パンが食べられるパン屋、へ入る。本を読もう、と思うのに結局スマホを触りはじめて時間を取られてしまう。効率よいアイテムのようで実は時間を奪われてくし、人とつながるにも会うより気をつかっていて。とにかくラインの返信などに時間を使いすぎる。言葉を選びすぎる。話すスピードでなど書けない。言ってしまったことがもとに戻せない苦しみのようなものばかりかんじているから、文字にするとよけいに重みをかんじるから。
12.16(月)
なんとなく「育てよう」と思って買った観葉植物を眺める。
そう今はまだ芽が出たばかりで監視してしまう時期なのだ。根元にすこし変わった様子を見つけて不安になり、水をやりすぎても、かまいすぎてもだめなのだと。
お世話になった上司へお歳暮を贈る。のしに「御歳暮」と名前など入れることにとてもそわそわする。そういえば御歳暮など贈るのは初めてで、形式として贈るのはやはり苦手で。ほんとうに感謝と、これからも変わらず、と伝えたいと思った時、しぜんに湧き出てくるものがあって。届くのが楽しみ。そういえばもうすぐクリスマス、プレゼントを「かんがえる」のは苦手だけれども、そういうふうにしぜんに思えたなら、しぜんに贈り物をしたくなるだろうか。義務ではなく。
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