2018年のかんがえこと
ただその日のできごとや感覚を記録していくことがとても意味のあることだと、年の瀬に、一年間使った手帳を見返して、気づく。そして何のことをかいたのか思い出せない記述にも、何も書かれていないページにさえも、そこに自分がいた事実だけがあって。
1月
大殺界、に入ったらしい。
春太の病院と看病、死。大雪、雪かき。感情は止まったままだけれど本屋にはゆき、いつかの自分へのことはかんがえを止めず進んでいたようだった。ブログを書いたりなどしていた。
2月
本屋に行ったり、美術館や展示イベントへたくさん行く。感受性の行き場を探すようにあてどもなく感情を書きなぐっている。死ぬことと春が来ることをかんがえている。春に流れる曲は毎年おんなじで、毎年おんなじことを思い出すばかり。
3月
年末に上司とぶつかって以来ずっとかんがえていた、しごとのこと。やめようかな、とつぶやいたら、不思議と心がスッと軽くなった。そう、無理にしがみつく理由はなかった。そんなタイミングでおとずれた、新潟お仕事イベント、からの本屋入門。ちょっとしたきっかけで、すべては変わる。そしてきっかけは来るべくして来る。
あたたかくなり、帰省の読書旅。初めての本屋にもいくつか行く。
4月
誕生日。毎年恒例になった青山墓地への花見通勤。本についてや本屋についてなどをずっとインプットしつづけている。同時に新しいところへ足をはこぶことに心がついていかず、致命的なことにも気づきはじめた春。
5月
GWは実家に帰らず過ごす。新しい本屋さんのDIYに行ったり、カフェを開拓しはじめたりする。
月末には友人と長野へ1泊旅行。「友だちと旅行」はじめての語彙。
6月
あいかわらず本と、本屋と、人のことをかんがえていて、古本市にも初めて出店してみる。本をよみ、ことばもかきたくなっている。平日の心の拠り所、青山ブックセンターが閉店した。
7月
前に進んでいるようで、まだ春太の用品の片づけに悩んだりしている。
新潟市・北書店へ行く。
8月
お盆も帰省せず。けれど夏季休暇は旅行(およそ帰省という意味)して普段とちがう時間の流れにするのが必要なのかもとも実感したり。fuzkueに行く。日記をかきたいと思ったり感じたことをいろいろ書いているみたいだけれど、かんがえているのは何を書くかより何に書くか、つまりノートのことばかりかんがえている。
9月
地方の本屋へ行ったり、展示へ行ったり、間借り本屋、古本市、読書会、トークイベント、本と本屋にまみれた、良い月。野球観戦は実に2年ぶり。日記も書き始め、良い月。あそびすぎたおかげで月末は忙しさと疲労でダウン。
10月
のんびりした1か月。本を買い、本を読み、本の話を聴き、本のはなしに集まり、小さく本も売る生活。クライマックスシリーズとは、果たしてどのような意味のもとに行われるのだろうか。
11月
新潟へ本屋めぐり。
イベントで本を買い、イベントで本を売る。ゆるく小さくつながり、少しずつ、育てていきたい。など。
12月
暖かく、あまり年の瀬感がない師走。繁忙期だけれど平日休みが入ったり、気分転換はできている。春には勤務先を辞めることもつたえ、いちいち作業に、お客に、思いふけっている。
境目のない日常は新しい一冊に更新され、おわりのないかんがえことは、つづいてゆく。
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