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絵本日記DAY20 おつきさまこんばんは
きょうは新月だけどまんまる満月の絵本のことを書くという、ちょっとヘンテコな日記にしたいと思います。
わたしが人生ではじめて”絵本にふれた”とはっきりと自覚があるのは、林明子さんの『おつきさまこんばんは』です。
「だめだめ。くもが かくれちゃう」
舌ったらずで、いっちょまえに朗読しているビデオが、今も実家にのこっています。白い手はぷくぷくとして、顔はまるでふうせん、腕にはわごむをはめているのかしら思うほど。
わたしのお月さまずきは、ここからはじまったのではないかと、最近ようやく思いあたりました。月並みな言葉だけれど、やはり子どものころ無性に好きだったもの、理由なく好きでしかたがなかったもの、というのは、やはり自分の根底になっていることが多いですね。幼稚園の頃ダンスが好きで、40代になってやっぱりわたしあのときからダンスが好きだったんだ、と気づいたという友人の話も、このまえ聞いたばかりでした。
セーラームーンはとにかく好きだったし、なんなら大人になった今もあのシナリオは宇宙に基づいていてすごいと思うし、(というかあの物語は対象年齢大人だと思う)こじつけだけど、名前の一部に「月」がはいっていることを数年前に発見して、そこから三日月モチーフのピアスとかを集めるようになりました。
座右の銘はこれ、とか、好きなモチーフはこれ、とか、なにかひとつそういうものをもっていると、人はあんしんするのかもしれない。
「自分」というものがちゃんとあるように感じられて。
3歳児とか、幼稚園に入園したてのころは、もちろんひらがなが読めないというのもあるけれど、自分のロッカーや下駄箱にはそれぞれのマーク(どうぶつとか、乗りものとか、女の子はフルーツとか花とか。担任の采配によって、年度の最初にその子のイメージでえらんでました。選択権なくてごめんネ)がつけられます。
それって、お母さんが世の中のすべてだと思っていた子どもたちが、ある日突然大人数のトンデモない社会に放りこまれたときの、ある種のお守り的な要素もあったんじゃないかなあって、すこし思います。
毎朝、これからなにが起こるのかわからない世界に登園し、そして一番大好きな人としばしのお別れをするとき、昨日と同じマークをみることは、きっとだいじなことなのだと思う。
大人もたぶんおなじで、なにか変わらない好きなもの、自分のシンボルみたいなものがなければ、とてもじゃないけど満員電車に揺られたりするこの世界では、生きてゆかれないと思うのです。
それが毎日眺めるものかどうか、ときどきこうして思い出すものかどうかは、別として。
つまり、わたしにとってのシンボル絵本は、『おつきさまこんばんは』なのでした。