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受け入れ赦すという祝福✨
どれだけ時を重ねても、観ている世界を共有できないこともあれば
出会ってすぐに言葉を交わさなくても同じ景色を共有できることもある。
今朝は、そんな両極の世界を目撃しつつ、改めて「受け入れ赦すことの祝福」を感じています。
オーラソーマに出逢う少し前に読んだ
足立幸子さんの
「あるがままに生きる」という名著
本当にいつ読んでも古くならない、シンプルな宇宙の真理を感じます。
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そこには、次元が2段階以上違ってしまったら、同じ景色を共有することがむずかしくなると書かれていて、もう30年前の本だけどすごく共感✨
例えていうなら3階から見える景色と5階から見える景色は、時に共有することの出来ない建物や人や見える範囲が違うということにすぎない。。
何処に住めば心地良いのかは、みんなそれぞれの自由意志なんですよね。
自分のいる窓の景色を想像して貰えればとっても解りやすい。
けれど距離を置くのが難しい関係性や近すぎる関係性の中だと、どうしても私の見えている景色の正義に合わせて欲しい。。同じフロアーに住まないことへの罪悪感から、この人は何で解ってくれないんだろうとコントロールの世界入ってしまう。
だからこそ、ニュートラルにジャッジなく自分の今観ている世界、行きたい世界をあるがままに受容する。
それが出来た時に初めて、全ての人が同じ方向へ同じ目線で世界を観ているわけではないということを初めて知ることができるのですね。
30年前に読んだ時に共感していた内容は、未来今ここからのメッセージのような気がします。
「受け入れ赦すことの祝福」
身近な関係性の中で、
この人がこうあってくれたら一緒にいられるのに。。という期待はお互いの見ている次元に互いを縛り付けるだけでなく、自分が今いる場所から相手の次元に同期することに他ならない。
最近、目の前で起こることは、noteにメッセージを書く為に体験させられてるのかしら。。と感じるほどで。。
「手放し赦す」ということは
自分を楽にすることが相手を楽にしてあげられる全てなのだと感じます。
期待を手放し
あるがままを受容する
ただシンプルに「今に在る」ことで、周波数が共振する必要な関係性が誕生し育まれて行く。。
そんな新しい時代なのでしょうね♬
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それは私たち一人ひとりが幸せを生きるという選択と個性化があってこそ。
B11チェイン・オブ・フラワーは、みんな同じでなくてはならないというスピリチュアルエゴから自由になって、自分自身をあるがままに生きることからB89タイムシフトが起こることを伝えてくれている。
アートのメッセージが続けてやってくる祝福の時です。
〜愛と感謝の祝祭と共に〜
マルマリア♡妃出子