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4年ぶりのシャンプー

 冬空を、自転車を漕ぎながら美容院へ向かう。その途中、私は、自分の好きな髪型にできる、そんな当たり前のことが嬉しかった。その日は、4年ぶりの美容院だった。

 高1の冬あたりから、私は自分の髪を抜き始めた。はじめは、数学の授業についていけない焦りだった。進学校で、月に一度は小テストがある。その点数が、夏から月を追うごとに下がっていき、12月、ついに平均点を割った。中学ではテストの順位はずっと一桁だったのに……。プライドが自分自身を追い詰めていった。

 宿題がわからない時に一本、テストが憂鬱な時にまた一本。毛根までそっくりきれいに抜ける感覚が快感で癖になった。はじめは一日に数本で済んでいた。が、次第に罪悪感と痛覚が麻痺してくる。勉強中、無意識のうちに抜いていて、気がつくとゴミ箱を毛が覆っていることもよくあった。受験のプレッシャー、クラスや部活の人間関係と、ストレスを感じるたびにエスカレートし、高3で頭頂部のハゲがグレープフルーツくらいの大きさになった。以来、私はウィッグを被って生活していた。

 抜いていない部分が伸びたら、母に切ってもらった。リビングでゴミ袋を頭から被り、切り落とされる毛の塊を受け止めながら考える。どうして抜いてしまうのか。友達と泊まりがけで遊びに行きたい。風を気にせず自転車に乗りたい。美容院の帰り、いつもと違うシャンプーの香りと首元の涼しさに、新しい自分になったようなあの感覚が好きだったのに。停滞感と終わりの見えない我慢に苛立ち、それも全て自分のせいだと思うともっと嫌になった。

 大学でも一進一退を繰り返し、2年生の2月、ついにボブにできるほど髪が生え揃った。

 美容院を予約した時から、ずっと不安もあった。抜毛とウィッグのことは、ずっと家族以外には話してこなかった。人前で外したこともない。嫌な顔をされたり、同情されたりしたくなかった。

 当日、三角屋根の小さな店に到着すると、30代くらいの女性の美容師に促され、鏡の間に腰かけた。心を決めてウィッグを外す。後ろ髪は脇まであるのに、少し前まで抜いていた頭頂部だけがとうもろこしの髭のようにちょんと短く立ちっている。そして、無理に刺激したせいか、そこだけ細く柔らかい赤ちゃんの毛のような毛質だった。普通でない髪型に、彼女もやはり一瞬驚いたように見えた。自分で抜いちゃう時期が長くて、と些細なことのように話そうとしたが、彼女の反応がどうしても気にかかる。「そうなんですね。そういう方、たまにいらっしゃいますよ」。そんな軽やかな言葉も、仕事だから気を遣っているんだ、本心では不快だろうと素直に受け取ることができなかった。

 「先にシャンプーしちゃいますね」。私の被害妄想をよそに、彼女は素早く私の首にタオルを巻きつけ、シャンプー台へ誘導して言った。

 「それにしても、よくここまで伸ばしましたねえ!」

 顔を覆うタオルの下で、驚きで言葉が出なかった。髪を抜くことに引け目は感じても、伸ばしたことを褒められるとは思わなかった。

 それから彼女は惜しみなく出したシャンプー液でたっぷりと泡を作り、滑りが良くなった頭皮を、指の腹でくるくると、たまにしっかりと揉むようにマッサージしてくれた。ほんのりシトラスが香り、柔らかい泡で頭を包まれているだけで安心する。暖房の効いた部屋に、ぬるめのお湯が心地良い。一つひとつの動作が丁寧で、誰かにしてもらうシャンプーがこんなに気持ちいいとは知らなかった。

 「よく伸ばした、よくここまで来た」。心の中で泣きそうな自分に語りかける。今日から、私も、私をもっと大切に扱いたいと思った。

 帰り道、おまけで巻いてもらった毛先が風に吹かれ、視界の隅で踊っている。化学繊維のウィッグには、高温のヘアアイロンは使えなかった。新しいシャンプーは何にしよう。自転車を漕ぎながら、そればかり考えていた。

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