自叙伝No.4
前回までのあらすじ
テレビ通販で失敗 25億円の負債を抱えて、民事再生法申請後のお話から
サラリーマン時代時代へ
民事再生法適用から復活出来た会社は少ないそうです。
私の会社もご多分に漏れず 返済猶予は、一時的には出来ましたが一番のダメージは、信用を失ったことです。
テレビ通販枠も抑えることも出来なくなり、やれることとしたら一度購入して頂いたお客様 テレビ通販お客様リスト50万人、ネット通販お客様30万という財産リストにアプローチしていくことだけでした。
最終的には、銀行融資 復活援助資金2億5千万を借りる為に責任をとり、75名のリストラと伴に辞職することとなりました。
残った役員に後はお願いして辞めた訳ですが、そもそも私と弟のアイディアで回っていた会社だったので上手く行くはずもなく、私共が辞めて2年後に倒産しました。
全盛期は、グループ全体で75億円の売上までいっておりました。
私と弟で25億円の負債を背負うこととなりました。
勿論、そんなお金は何処にもあるはずがなく、破産するしか道はありませんでした。
個人破産をして、今年で丁度7年経過しました。
金融機関には、大変ご迷惑をお掛けしました。
その後、弟は、東京の友人を訪ねて、再起業を果たしましたが、私は、先輩に頼んで先輩の会社に就職。
人生初のサラリーマンでした。
仕事内容は、これまたやったことが無い仕事で最初にさせて頂いたのが還元水素水という一台20万程する浄水器を売る営業でした。
最初から部長という役職まで頂いたので私なりに必死に売り歩いたことを今でも覚えています。
ひと月に10台売り社長に褒められたこともありますが、水素水ブームは、直ぐに終わりました。
私が働いていた会社は、幾つかの部署に分かれていて、一番の稼ぎ頭は、太陽光発電事業でした。
その部署の部長が辞めることになり、私が水素事業部と併せて太陽光発電事業部も部長となりました。
電気工事のイロハもなく太陽光についても何にも知らない人間が部長になったので最初は、必死に勉強しました。
仕事内容な普通の民家(25キロ程)やアパートや工場の上(100キロ程)に付けてもらうための営業と併せて、大きな敷地面積に設置するメガ太陽光設置の営業(10000キロ以上)飛び込み営業でした。
この時は、政府も、これまでの日本のエネルギー需要を原子力だけに依存せずに、少しでも再生可能エネルギーに変える取り組みが始まったばかりでしたので補助金も手厚く、太陽光を設置したら、投資金額の倍以上は儲かる話だったのでかなり売り易かったです。
300万くらいの家屋根用太陽光から、1500万程の野立ての太陽光をバンバン売って回りました。
お蔭で、2年後には、4億の売上の会社が10億円を超え4年後には、30億円を超える会社に成長させることが出来ました。
今日は、ここまで 面白い話かどうかは、判りませんが実話なのでお許しを
頂き、次回も読んで下さったら幸いです。
まだまだ未熟者ですが、今後とも、どうぞ宜しくお願いします。 感謝!