【短評】「陪審員2番」映画の極地にいる、油断も隙もない94歳からのシンプルすぎるメッセージ。
「陪審員2番」は94歳のクリント・イーストウッドが撮った法廷サスペンスである。普通、94歳というとボケててもおかしくない、というかボケてる方が自然な年齢かもしれないが、この映画はサスペンスとして細部まで冴え渡っている。
ニコラス・ホルトといえば「マッドマックス 怒りのデスロード」の他、「X-MEN」シリーズなどのコミック映画でもお馴染みで、とりわけ手堅いパフォーマンスで毎度作品のクオリティを支えるが、この「陪審員2番」でも正義の天秤の上で揺れ動く青年の葛藤を見事に表現していて、やはり同世代では抜きん出た存在であることが分かる。(レックス・ルーサーを演じる今夏公開予定のジェームズ・ガン版「スーパーマン」も楽しみ。)
同じくアメリカの陪審員制度を描いた「十二人の怒れる男」を彷彿とさせるのは言うまでもないが、その真犯人が自分かもしれないというスリルを持って、イーストウッドは観客に「正義とは何か」という問いを穏やかに、冷静に突きつけてくる。元ギャングの容疑者を庇い真実を告げるのが「正義」なのか、生まれてくる赤ん坊と家族のために真実を墓まで持っていくのが「正義」なのか。
と、仰々しく言えばそんなところであり実にイーストウッドらしいテーマでもあるが、実はもっとシンプルな物語であることを、J・K・シモンズ演じる元刑事は映画の中盤で検事に向かって伝える。
この映画の登場人物は揃って怠惰なのだ。大して調査もせず容疑者を断罪する検事(面会もしない)、家庭の都合で大して議論もせず有罪票を投じる陪審員たち。しかしJ・K・シモンズは引退した元刑事であるにもかかわらず2日程度で真犯人の糸口を見つける。
みんながちゃんと働けば1時間ぐらいの映画で終わったことをJ・K・シモンズ(≒クリント・イーストウッド)は伝えてくれる。思えばこの世界の問題や事件、悩みや葛藤は全部誰かの「怠惰」によって生まれてくるものなのかもしれない。このシワ寄せが様々な歪を生んでいるのではないか。
映画の極地から94歳のイーストウッドが言ってくること。
「しっかり働け」。
はい、今年こそは頑張ります。