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「拝啓 母君〜青春のザンジバル〜」アフリカ大陸縦断の旅〜タンザニア編⑮〜
2018年9月8日、無事にKANE HOUSEに到着した私たちは、荷物を置くや否や、すぐさま海へと向かいました。透き通った海と見上げる木々に囲まれ、これまでの疲れを癒した私たち。日が暮れるまで、緩やかな時を過ごしました。晩御飯は現地のサッカー少年たちに教えてもらったレストランにて、ザンジバルピザを食し、熱狂的日本アニメファンのスペイン人と会話。サッカーやアニメのような、コミュニケーションの手段になり得る趣味も大切であると実感しました。そして帰り道にビールを購入し、時を忘れて男7人ではしゃぎました。
2018年9月9日、朝8時起床。ビーチで朝日を見る予定でしたが、それは叶わず。昨夜の盛り上がりのせいか、癒えた心がもたらした安眠のせいか、揃いも揃って全員が寝坊。散らかった荷物を片付けて、チェックアウト。本日宿泊予定の宿、パラダイスビーチバンガローズに向かうため、移動を開始。
「めっちゃ楽しみですね!」
「部屋の目の前、海やろ?最高やん!」
「念願の日本食にありつけるぞ。」
ほんの数分で到着した、パラダイスビーチバンガローズ。その名にふさわしい空気と景観。北海道出身の日本人女性がオーナーであり、豊富な日本食を堪能させていただける素晴らしい場所。チェックイン時間よりも随分早く到着してしまった私たちを、スタッフである現地人男性2人が快く受け入れてくれました。話によると、オーナーは買い出しに行っているそうで、彼女が戻ってき次第チェックインできるとのことでした。
案内された日陰の休憩所の椅子に腰を下ろしました。赤と白のチェック模様の大きなテーブルクロスの上には、メニュー表が置かれていました。
「あのー、今ご飯注文することってできます?」
「オーナーがいないから少し時間はかかるけど、それでも良いなら。」
「全然大丈夫です。お願いします!」
久しぶりに見る日本語で書かれたメニューは、どこか光沢感がありました。数あるメニューに目を奪われながらも、ここはやはり評判の、
「冷やし中華7で!!!」
待つこと約1時間、私たちの目の前に待望の冷やし中華がやって来ました。屋根の木々から差し込む光は、もはやスポットライト。夏の自然に囲まれた最高のロケーション。動かずとも汗の噴き出る若干2日酔いの7人の体に、冷やし中華が染み渡りました。
「いやぁこれは格別やな。」
「ほんまに、ありがたい!」
勿体無いとは思いつつ一瞬で平らげ、一滴残らず汁まで飲み干しました。一度こんなものを胃に入れてしまったことで、他のメニューへの欲望が溢れ出しましたが、それは晩餐のお楽しみに、となったのでした。
間もなくして、オーナーの日本人女性が到着。私たちの母親と同じぐらいの年齢か、彼女は柔らかくも私たちを迎えてくれました。挨拶を交わし、部屋を案内してもらうことに。白い砂浜を歩く先、海岸に弧を描くように建てられたウッドベースの宿。その背後に並んだヤシの木が、ちょうど太陽の光を遮断し、室内は清涼感に包まれていました。扉を開けると、もうすぐ目の前は海。昨日と変わらぬ景色にもまだ真新しさを感じていた私たちは、海に突っ込んで、日に焼けた体を海水で冷やしました。
「めっちゃウニおるやん!」
「そういえば、ザンジバルでウニ採って食べたみたいな記事見たな。」
「僕らも食べてみます?」
昨日より潮が引いていたせいか、深く潜る必要もなく、波の上から見回すだけで複数のウニが揺れていました。一度部屋に戻った私はバックパックから、ウニ捕獲用として使えそうな洗濯ネットを取り出し、再び海へ。トゲトゲ回避のためにサンダルでウニをすくって、洗濯ネットに放り込んでいく私たち。もちろんシュノーケルなどという都合の良いものは持ち合わせていませんでしたが、何度も潜って人一倍楽しんでいる私を見て、Y氏が一言。
「どこでも生きていけそうやな。」
しばらくして私たちは岸に上がり、棒でウニを叩き割りました。サイズの問題もあって、身の量こそ少ないものの、異国の地で自分たちが調達したものが食べられるという状況に、喜びを感じていました。しかし、問題は誰がこれを食べるのか。というのも、下痢で病院にお世話になったY氏の姿を知っていた私たちにとって、このよく分からない生のウニを口に入れるのはあまりにリスクが高すぎたのでした。
「・・・どうします?」
「もうウニ割ってもーてるからなぁ。命を粗末にできん。」
「ウニには申し訳ないけど、じゃんけんだね。」
話し合った結果、罰ゲーム用にいただく訳ではありませんよ、というウニへの謎の配慮のもと、じゃんけんの勝者2人が食べる権利を得られることになりました。
長らくあいこが続いた後に、勝者となったのはM氏とH氏。両者ほぼ飲み込む形でウニ3つずつを完食。
「全然美味しくはない。でも、ウニの味はするよ。」
塩辛すぎたのか、水分を求めて2人が部屋に戻っていったことを機に、ここから夕刻まで各々自由行動となりました。
それぞれが海で遊び、宿でゆっくりし、隣町に出かけることを選ぶ中、私は夢中で磯遊び。日差しの暑さなど忘れ、ギリギリ海水に浸かる場所でカニやらヤドカリを捕まえては、砂浜に作った城へ連れて行くことの繰り返し。海に浮かんだり、砂浜に寝転がったりしていると、いつの間にかビーチには私以外誰もいませんでした。
何時間か経った頃、カメラマンY氏の監督の元、写真撮影が開始。巨大な2本のヤシの木の間に設置されたハンモック、背景には夏の大自然が全て揃っていました。ハンモックの上でタバコをふかし、明後日の方向を見つめる上裸の私。Y氏が演出したものではなく、セルフ構図というところが何よりの激イタポイント。こんな私に負けず劣らずのポーズが続いた若き写真撮影会は大いに盛り上がりを見せました。
充実した時間が過ぎ去るのはとても速く、もう日が落ちる時間。7人で過ごすザンジバル最後の夜。星空の下のお食事処で、どのメニューを注文しようかと談笑していました。餃子、チキンタツタ、ビーフシチューなど、この先数ヶ月は口にできないことが確定している私たちの注文には歯止めが効きませんでした。そして昨晩より量の多いビールをテーブルに並べて、晩餐の充備完了。
「「「乾杯!また日本でも会おう!!!」」」
〜拝啓 母君〜
いかがお過ごしでしょうか?こちらは元気でやっております。タンザニアはザンジバルという島で男7人で、少し遅れた青春を謳歌しているところです。私は幼い頃より病気が多く、通っていた幼稚園ではほぼ幽霊生徒。兄弟の中でも1番手がかかったとお聞きしました。特に肌に大きな問題を抱えていた私は、いくつもの病院を訪れていました。しかし、どの医者も勧めてくる治療法は同じ。私の将来に響かぬよう薬に頼らなかった貴方様は、海のミネラルが肌に効果的であるという、とある医者のアドバイスから、年に数回、沖縄の方まで出向き、幼い私のために自然治癒合宿を開催してくださいました。まだまだ軟弱ではありましたが、小学校入学の頃には健康面は特に問題はなく、運動もできるようになりました。
今日では、各国を巡ってきた旅人に「どこでも生きていけそうやな。」と言われるまでになりました。貴方様からいただいた価値ある健康を証明できつつあるのかもしれません。そして、あの頃のおかげで今でも海が大好きです。少し成長しすぎたかもしれませんが、暖かく見守っていただければ幸いです。
強く生きていく所存です。
敬具