Flight Of Idea 新宿南口ゲリラライブ『Talk Hard NIGHT20050119』から20年!
光陰矢の如し。初期Flight Of Ideaメンバーと録音した2ndアルバム『Talk Hard』のリリースから20年ということで、久々にこちらに備忘録を記すことにする。年末に1st『a Day』のアートワークを全編書き下ろして頂いた、漫画家・森田拳次先生とのことを書かねばならぬのだが。時系列が後のこの作品のことなぞを書くのは、ジャケット写真がこのインパクトある新宿南口で撮影された場所で、リリース日に作品のスタンスそのままに路上ゲリラライブを敢行したのがちょうど2005年の1月19日。今ならこの場所でやること出来ないだろう。やろうとするバンドもないであろうし。あれから20年、、、きみまろ風に言えば。当時のメンバーや撮影スタッフ等々、かなり寒い20時ごろの新宿、よく関わってくれたと今更ながら思う。
『Talk Hard』が誕生する経緯はひとつの物語として長くなってしまうので、別の機会に記したいが、当時の私は何もかもうまくいかない人生の辛酸を舐めすぎて半ばヤケクソ気味な刃を言葉に転化しようとしていた。それを緩和するために今もユーモアナンバーとしてインパクトを与え続け、人気が高い
「ネコネコタイム」とハンドクラップポエトリーのシニカルな「Demo TANGO」で、30分構成の扱いとしては1曲(3部構成)のメインの「狂い咲きⅢ」をサンドイッチしたCDアルバム。CDだからこそ着想し、パッケージ出来た1枚だ。「狂い咲きⅢ」をレコーディング直後に脱退したメンバー(ウッドベース助川久美子)の補充出来ぬまま、ギター(松本千香)、ドラム(永井朋生)とサックスを手にする前の私というスリーピースで再現しようとしたのがこの日の企てであった。なぜ路上ライブなんかをやろうと着想したのかは思い出せないが「街と相撲を取りたかった」のだ。
記憶を辿りながら、のちのソロでの「Tokyo Lockdown」シリーズの源流がこの日の路上ライブなのかもしれないなと。発電機、アンプ、ドラムセットを持ち込んでのライブは若いエネルギーでないと出来ないかもしれないね。
途中、マイクから音が出なくなるアクシデントにより、小さなメガホンをマイク代わりにして続けていく。
スタッフからライブ途中に耳打ちされる。
「そこの露天Tシャツ売りのおっさんの携帯に地回りさんから止めるよう連絡が入ったってよ。どうする?」
今は南口前でK-POP紛いの青年や地下アイドルがパフォーマンスする日常の新宿だが、まだこの頃は要らぬ横槍が路上には存在した。のちに同年4月に渋谷ハチ公前で路上ファイナルを敢行したのだが、その時はダイレクトに地回りさんが「ここは順番なんだよ」とかチャチャを入れて邪魔してきたこともあった。渋谷の話はドキュメンタリー番組の撮影も入っていたからやったんだけど、街と路上ライブのリアルが新宿にはあった。元を正すと今はバスタやインバウンドで外人が溢れているこの場所、闇市が広がっていたんだとさ。その名残がフラッグスタワーが建つ前までは確かにあったのだ。
もちろん迷わず最後まで思う存分やり切った。今ならきっと少しはバズったりしたのかもしれない。経年変化は街にも人々の現し方にも如実にあるのだ。
時代変遷と同じく、20年前とは在り方も何もかも全て異なる形態の
Flight Of Ideaという生き物。
忘れ去られた名作の風景を今だからこそ紐解ける時期かと、20年前の新宿の風景を思い出しながら書き残しました。
今年も2月23日代々木でライブ、やりますよ。詳細は改めて。
今回紹介した『Talk Hard』の30分三部作「狂い咲きⅢ」を2度と実演することはないだろうが、アルバムを聴いてみてほしい。決して古びない音楽と言葉の鋭さ、今の時代にも何ら遜色なく映るはずである。
この日のライブを3カメで収めた記録映像、実は当時DVDリリースを目論んでいた。ある場所に預けてあるので今年は奪還しなければ。レコーディング手前のデモ音源はサブスクでリリースする計画もある(1stアルバムのdemoと併せて)。
今を生きて過去を保全、表出させる私の生き様、いい具合に時間が経ってきた。まるで芳醇熟成酒のように誰かに届けばいいな。
文責・東雄一朗