見出し画像

料理道具コラム 『鍋』

料理をする時に必要な道具の話。

和食を中心に日々の家庭料理を組み立てたい、という場合が台所に揃えたい鍋は最低限

雪平鍋 15cm  18cm、もしくは18cm、21cm
ステンレスの片手鍋 15cm (ミルクパン) 
煮込み用の鍋(ステンレスの蓋付きか鋳鉄鍋)
フライパン(テフロン加工、または鉄製) 

の5つ。

アルミの雪平鍋はプロの現場でも最も普及している鍋。現場では取っ手がない丸鍋も広く使われている。写真の雪平鍋は足立区にある中村銅器製作所の製品。

鍋の種類は数多く、目移りするが、材質と使いやすい形で選ぶのが大事。目新しい取っ手やパイレックスガラスでできたお洒落な鍋は財布にゆとりのある人の娯楽だ。直火用の鍋はたいてい金属製で、金属の種類によって熱効率が違う。熱伝導率が高いほど加熱にムラがあっても、中身を均一に加熱できる。

最も熱伝導が高い金属は銀だが、材料としては高価なので鍋にするのは現実的ではない。銀の次に熱伝導がいいのは銅で、銀の91%。そのため銅鍋は昔から調理道具として重宝されてきた。

写真の鍋は浅草の千束通り商店街にある『銅銀銅器店』の製品で、底がやや深いのは関東型の雪平鍋の特徴だ。(参考、DIAMOND online『鍋界の"ロールス・ロイス"「銅鍋」が日常から影をひそめた理由』2013.9.4)銅鍋は内側を錫でコーティングされているのが一般的で、落ち着いた佇まいが魅力的。

実際に使ってみると野菜が色よく茹で上がるなど銅鍋は優れた道具だ。(参考『ほうれん草のお浸し考』)問題はこれも高価だということ。また、手入れも必要なことから徐々に姿を消しつつあるが、なくなってしまうのは惜しい道具ではある。

3番目に熱伝導がいい金属がアルミニウム。銀の55%の熱伝導率を誇り、銅よりも軽いというメリットもある。なによりとびきり安価な金属だ。

家庭では15cm、18cm、21cmの3種類か、家族なら18cm、21cmの2種類があればいいだろう。一人か二人暮らしなら15cmと18cmの二つという選択肢もある。15センチの鍋なら味噌汁2~3杯分、18センチなら4~5杯分くらいが目安。小さい方で汁をつくり、大きい方の鍋でおかずをつくるという形だ。それ以上の大きいと家庭用ガスコンロの火ではカバーできず、きれいな対流が生まれない。(業務用のガスコンロは火口が二重になっているので、大きい鍋でもカバーできる)逆にいうとスープをとるような対流を必要としない料理であれば大きな鍋が使える。(しかし、それなら寸胴鍋のほうが適している)

雪平鍋は底が丸く胴が上に広がっているので、火にかけると液体がうまく対流するので、煮炊きを中心とした日本料理をつくるのに最も適している鍋だ。湯が早く沸くし、軽くて取り扱いも楽。槌目で模様がついている理由は表面積を増やして熱伝導を高めるため、と説明する人もいるが、熱効率的にはおそらく誤差の範囲。叩くメリットはアルミニウムを叩くことで分子が不均一になり、強度を高めるためだ。

この動画は中村銅器製作所さんによる雪平鍋の制作風景だが、アルミニウムの一枚の板を叩いたり、絞ったりして形を作っていく様子がわかると思う。中国製の粗悪な雪平鍋には槌目をプレスしただけの製品があるが、それでは見た目が近くなるだけでまったく意味がない。

こうした職人の手仕事にも危機があった。1996年、毎日新聞がアルミ鍋がアルツハイマー病の原因ではないか、と報じた時のこと。センセーショナルで身近な話題だったことからテレビなども取りあげられ、一時期百貨店の棚などからアルミ鍋が姿を消した。

誤解を解くために説明しておくと、現在ではアルミニウムとアルツハイマー病との関係性は否定されている。アルミニウムは地球上で3番目に多い元素であり、我々が普段生活するなかで普通に摂取している。野外で息を吸うだけでも土埃からアルミニウムを摂取しているし、アルミニウムはほぼすべての食品に含まれていて、特に貝類や海藻に多い。その上で「アルミニウムは摂取しても健康な人ならほぼ体外に排泄される」という前提がある。この前提を共有できないと、話が伝わらない。

そもそもアルミニウムが疑われたのは70年代。透析患者に認知症が発生したという報告からだった。しかし、その後の調査で透析患者がかかっていたのは認知症ではなく、腎臓が機能しないことによって起こった透析脳症だとわかった。現在ではアルツハイマー病の発症メカニズムは徐々に解明されている段階だが、少なくてもアルミニウムがアルツハイマー病の原因ではないということだけはわかっている。

アルミを含む薬品(薬には大量のアルミニウムが含まれている場合がある)を長期的に摂取している人や、仕事でアルミニウムを扱っている人たちに特に多くアルツハイマー病が発症したという例もない。世界でアルミ鍋を規制している国もない。そもそも鍋から溶け出るアルミニウムの量はごくわずか。もしも、どうしても摂取量を気にしたい、という方は食べ物から摂取するトータルの量を計算した方がよっぽどいい。

もちろんアルミニウムはあえて摂取する必要性のない元素でもある。避けられるのかという問題はあるにせよ、避けたいと考えるのは自由だし、それでも危険だ、と主張する人と議論するつもりもない。しかし、優れた道具が消えるという事態になるのは賢くない。アルミの雪平鍋は日本料理の現場で必要不可欠な道具だからだ。

煮炊きに便利な雪平鍋だが、弱点がいくつかある。アルミは酸にもアルカリ(例えば重曹)に弱いのだ。酢やワインなどを煮ることは厳禁だし、泡立て器などの金属の調理器具も苦手。そんな特徴があるので、西洋料理には向かない。

日本の家庭では和食だけではなく、洋風の料理をつくることもある。そうした時に備えてステンレスの鍋を一つ用意しておきたい。アルミ鍋と違い、泡立て器が使えるのでソース作りにも便利だ。日本にステンレスの多層構造鍋を広めることに貢献した作家の丸元淑生氏は

熱の伝導がよいため、鍋があたたまると底からだけでなく側面からも熱が伝わってくる。しかも従来の鍋のように強い火を使いつづける必要がない(『丸元淑生のクックブック』文春文庫)

と書いているがこれは正確ではない。ためしにステンレスの鍋を火にかけてもすぐには熱くならない。物理学風に言うと「熱応答時間が遅い」からだ。(その弱点を補うため、いくつかのステンレスの鍋はアルミをサンドイッチしている)ステンレスの鍋は熱伝導率が銀の4%ほどと低く、実際は熱の伝導が悪い

ステンレスのメリットは熱容量が大きいことである。熱容量とは熱をどのくらいため込めるか、という数字で、冷めにくさとイコールの関係にある。熱容量は比熱×比重なので、質量が小さいアルミニウムは比熱が大きくても熱容量としては小さくなるのだ。同じ体積、同じ板厚の鍋で比較するとステンレス鍋はアルミの3倍の重さになるため、比熱が半分でも熱容量としては1.5倍程度になるから、単純計算ではステンレス鍋はアルミ鍋よりも1.5倍冷めにくい。

そういうわけで煮込み料理に向いているし、香味野菜を弱火で炒めるのもお手のものだ。また、ステンレスは非常に安定した金属で酸にも強い。ワインや酢などを使った西洋料理には適しているのだ。

というわけで蓋ができるステンレスの両手鍋が一つあれば煮込み料理に便利だ。煮込み料理の場合は鍋底が厚いものを選びたい。底が厚ければ厚いほど熱を均等に伝えることができるからだ。

高級なステンレス鍋にはステンレスと銅やアルミをサンドイッチ状にしている製品がある。ステンレスの熱伝導率の悪さを補う工夫だが、鍋の側面にも銅やアルミの層が入っている製品には注意が必要だ。ときに側面の温度が上がりすぎるため、水につかっている部分の温度は100℃を超さなくても、その上の部分の温度が上がりすぎて、はねて鍋肌にあたった部分が焦げややすい。

ステンレスの蓋付き鍋ではなく、鋳鉄鍋という選択肢もある。鋳鉄とステンレスの熱伝導率はそれほど変わらないが、熱容量は鋳鉄の方が大きい。代表的なメーカーはル・クルーゼ、ストウブ、シャスール、バーミキュラなど。どのメーカーにも個性があるので(万能だが錆びやすいストウブ、錆びにくいがこびり付きやすく〈焼く〉調理には向かないル・クルーゼ、密閉度が高く蒸し煮に最適だが底が平らではないため使いづらいこともあるバーミキュラという具合)最終的には好みで選ぶ。鍋の特徴は基本的に一長一短。万能の鍋は存在せず、基本的には調理用途に応じて選ぶ必要が出てくる、ということだ。

最後にフライパン。1つだけ持つなら20cmか26cmのフッ素樹脂コーティングされたアルミ製フライパンがいいだろう。理由は使いやすいからで、プロの現場でも広く使われていることがそれを証明している。さらに、小さめのフライパンが1つあると目玉焼きやパンケーキをつくるときに便利だ。

テフロン加工の鍋の弱点は表面が柔らかく、高温での調理に向かないこと。高温調理には鉄製のフライパンが向いており、それも鋳鉄製のフライパンが最適だ。熱容量が大きく素材を入れても温度が下がらないため、揚げ物などにも適している。もう一つ買うなら鋳鉄製のフライパン、という選択肢になるだろう。デメリットは重さと手入れの手間。また、熱と化学的に反応するためトマトなどの酸性の食材を煮てはいけない。そもそも高温で調理する必要性がある料理は少ないので(炒め物やチャーハンも高温は必要なく、高い温度が必要なのは牛肉のステーキを焼くときくらいだが、毎日ステーキを食べる人はいない)料理好きな人はどうぞ、という類の鍋だ。僕はもちろん〈好きな人〉なのでLODGE社のスキレットを愛用している。

日本の家庭料理は西洋料理や日本料理、時に中華料理やエスニックなどが混在している取り入れ型の食文化なので鍋の種類が増えがちだ。中国料理がつくりたければ中華鍋が、パスタを上手につくるためにアルミのフライパンが・・・・・・という具合に鍋は際限なく増えていく。購入する前にその料理を本当に家でつくる必要があるのか、ということを考えたい。例えば「中華料理は家でつくらず外で食べよう」という割り切りが必要なのかもしれない。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!