〈コク〉とはなにか
『コクのあるカレー』や『コクとキレのあるビール』という具合に味の表現として頻出する〈コク〉。このコクとは一体、どのような味わいでしょうか?
じつはこれ、答えるのが非常に難しい問題です。その理由はこれまで〈コク〉という概念は定義されてなかったから。「コクがあっておいしい!」とよく言いますが、コク=おいしいではありません。
明確な定義はない、とはいえコクは一般的に「濃厚感や広がり、複雑さ」などを表現する際になんとなく使われています。例えばカレーやチーズ、シチューやラーメンなどには「コクがあっておいしい」という表現が使われ、逆に果物や刺身などはおいしい食べ物ですがコクは感じないでしょう。では、コクの正体とは何か?
先日、コクの研究の第一人者で、こちらの本の著者である女子栄養大学食品栄養学研究室の西村敏英教授からお話を伺ったので、こちらでもちょっとまとめておきます。この本を読めばばっちりわかるのですが、とりあえず僕の理解の範囲で。大きく間違っているところはないか、と思いますが、心配な人は本を読んでください。
コクの定義から
まずは整理していきましょう。さきほど述べた通り、果物、生野菜、刺身などは「コクがない」食品で、カレーやシチュー、ラーメンなどは「コクがある」食品です。他にチーズやみそなどの発酵食品も「コクがある」食品で、ここに異論を挟む人はいないはず。
一方、みそは「コクのある」食品ですが、湯に溶いた「湯溶きみそ」はやや水っぽく「コクがある」とは言えません。そこに顆粒だしや味の素を少し入れるとググッと「コク」が出てきます。
カレーは「コクがある」食べ物ですが、鼻をつまんで食べるとなんとも「コクのない」味わいに感じられます。これは鼻をつまむことで味が減ったわけでなく、香りが弱くなっている状態で、それによってカレーの「複雑さ」や「持続性」が減るのです。他にも野菜は単独ではコクがない系の味ですが、ピュレにすれば「コク」を感じます。それもきめ細かいほうが味が持続する=「コク」が強いでしょう。このように考えていくと「コク」は味だけではなく、香りや食感とも関係していることがわかります。
そこで提案された「コクの定義」は
というもの。これはなかなか画期的なことでして、これまでのおいしさの認識は
というものでしたが
コクを定義すると、このように変わるわけです。著者らはコクはおいしさという主観的なものではなく、味、香り、テクスチャーなどと同様、客観的評価が可能としています。
コクの三要素
味には五味(六味になるという話もあります)がありますが、前述の本の筆者らが提唱するコクの三要素は
複雑さ complexity
持続性 lastingness
広がり mouthfulness
です。
複雑さは一般的に加熱や発酵、熟成などによって形成されます。お馴染みのメイラード反応や脂肪や糖の分解によって、香気成分が多く生成されるからです。例えばブイヨンは長く煮込むほどコクが増します。食材からの味は1〜2時間程度で出切ってしまいますが、レシピによっては4〜6時間と長い時間をかけているものがあります。
これはなぜか、というと食材から抽出された成分間で反応が進むので、多くの香味成分が生成され、複雑味が増すからです。チーズなども熟成期間が長いほど、コクが出ます。タンパク質が分解され、遊離アミノ酸やペプチドが増えるからですね。ペプチドには苦味があり、それが複雑さにも繋がっています。
持続性は食品の風味が口の中に残り続けることを指します。いわゆる余韻の長い味という表現もされますが、実際に感じるのは風味(味わい)なので、科学的に考えるとちょっと正確ではないかもしれません。持続性と関係しているのは油脂とうま味物質です。油脂を加えるとコクが出たり、香りの感じ方が長くなるのは経験則的にもわかりますよね。
最後の広がりをもたらすのはコク味物質、うま味物質、香り成分です。コクの研究はそもそも1990年、味の素社の研究チームが料理にコクを付与する物質として、ニンニク由来のアリイン、タマネギ由来のS-propenyl-L-cysteine sulfoxide (PeCSO)、γ-L-glutamyl-PeCSOなどの含硫化合物がうま味溶液に対して厚み、持続性、広がりを付与することを報告したことからはじまります。その後、酵母由来のペプチド、糖ペプチド、メーラードペプチドなどにもうま味の持続性や複雑さを強める効果があると報告されていますが、代表的なコク味物質としてグルタチオンやグルタミンバリルグリシンが知られています。
例えばグルタチオンは味蕾に存在するカルシウム感受性受容体(Calcium-sensing receptor;CaSR)と反応し、うま味、塩味、甘味の溶液の濃厚感や広がりを強めることが示唆されています。ただコク味=コクではありません。ここがややこしいところです。
グルタチオンやグルタミンバリルグリシンはそれ自体は酸味があるだけですが、うま味や甘みを持つ食材に閾値以下の濃度で加えると〈味わいが増強される〉というもの。いわばコク味物質は「隠し味」に似ていて、コク味=コクではなく〈コク補強物質〉みたいな存在です。
「なぜコク味はコクとは違う意味の言葉なのに、同義語のように使われているんですか?」
と西村先生に質問したところ
「2010年にコク味物質が結合する受容体タンパク質(CaSR)が特定されたときにコクが第六の味である可能性がある、と報道されたことからコク味という新しい味として認知されたように誤解されたのでは」
とのことでした。
さて、にんにくや玉ねぎを料理に加えると明らかに味にコクが出るのは料理をする人なら経験則的に感じるところ。アリインや硫黄化合物がコクと関係していることは前述しましたが、玉ねぎに含まれる植物ステロールもコクに関係しています。
植物ステロールとは油脂の一種で、それ自体に香りはないのですが、香りの持続性を長くする働きがあるそうです。他にコクを与える物質としてグリコーゲン、ゼラチン、デキストリン、β-グルカンなどが挙げられます。このあたりは料理に応用できる考え方です。
一方、うま味物質を適量加えると口中香りが優位に感じられるという報告もあります。
こちらは西村先生たちが学会誌に掲載した論文からの引用ですが、チキンスープを連想させる4つの香り物質を水に溶かした「チキンの香り水」を作り、そこにうま味物質を加えていくと「香りが強くなる」という報告です。うま味と香りは相互に関係しているのです。
それを踏まえた上で面白いのはセロリのフタライドがコクに関係している、という話です。フタライドはセロリの特徴的な香気成分ですが、チキンスープに微量添加すると肉や脂肪の臭みが抑えられ、味わいとして「持続感」や「広がり」が増加します。
昔ながらのミルポワ(香味野菜)に玉ねぎ(うま味と硫黄化合物、植物ステロール)、にんじん(糖)、セロリ(香気成分)が入っているのにはやはり理由があるわけです。逆にセロリは香り成分が重要なので料理の最初に加えるのではなく、いい頃合いに入れた方が効果的かもしれません。(それでも食材から抽出された成分間で反応が進むだけの時間は必要ですが)
一方、最近ではミルポワを使わないで肉だけでスープをとるシェフが増えましたが、それは「コクを必要としていない」からかもしれません。多皿コースの場合、味の持続感は短いほうが、次に出てくる料理への影響を減らせますし、食べ飽きない可能性があります。最近はソースに使う油脂の量が減っていますが、それも香りの持続性を減らすためかもしれません。
コクという言葉を使うには少なくとも定義を理解しておく必要があるので、まとめてみました。あと、間違いやすい言葉としては旨味(旨いの名詞系)とうま味(グルタミン酸やイノシン酸などのうま味物質の味)がありますが(僕も含めて)みんな結構曖昧に使っている部分があるので、ちょっと注意して考えていきたいものです。あと、前述した本には他に「トロミとコクの関係」など興味深い記述がたくさんあるので、参考になるでしょう。一晩経ったカレーのおいしさはコクから考えれば説明がつく……かもしれません。
撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!