一途じゃない自分を許すことにした。
私って、一途じゃない。
そのことを、すごく実感している今日この頃。
例えば、
本を読んで、
「あ、この人の考え方素敵」
「この人の元で学んでみたい」
って思ったりすることがたくさんある。
「これ始めたい」という趣味も同じだね。
今まで
ビジネス本の起業家さん、ホリエモン、宮本佳実さん、ヨガ哲学、心理学とか。
習い事なら、ヨガ、登山、カンフー、茶道‥
とにかくたくさんやってきたなぁ。
そうして、
ハマっていることについての本を買って読み漁ったり、
セミナーに通ったり、習い事を始めたり。
講座やオンラインサロンに入ったりもした。
そして一度その世界に入るとね、
私もう没頭度がすごいのね。
生活のほとんどがはまっていることについての
本を読んだり、音声を聞いたり。
ネットで調べたり。
そればっかりしてる。
そうやって脳に刷り込む、刷り込む。
だけど、それがあるとき
「あ、もういいや」が来て、突然終了しちゃうのね。
この期間も結構な短期間。
こういう自分が実はすごく嫌だった。
特に、
「これにしよう」と決めて、
一途に長くやっている人を見ると
「なんで私には継続することができないんだろう?」と疑問に思っていた。
自己嫌悪に陥っていた。
ヨガインストラクター講座も
すごくお金をかけたのに、途中でどうしても嫌になって辞めた。
起業やワークライフスタイリスト講座も、
それに通って身を立てることはできなかった。
それで、大きな罪悪感を感じた。
どうして
こんな罪悪感を感じたかと言うと、
「渡り歩くことは中途半端」とか
「一人に集中しないといけない」とかそういうイメージがあったから。
どうしても続けられない自分に罪悪感があったんだよね。
お金も時間も無駄にした、そういう気持ちも強かったな。
だけど最近ふと思った。
もしかしたら、
こうやっていろんな人の考え方や趣味を渡り歩くことも
案外悪くないかもしれないなって。
だって、私昔に比べると、
悩んだときにいろんな考え方が浮かんでくるの。
「あ、こうやって悩んだときって
瞑想がいいってヨガで言ってたな」
「久しぶりに登山して、すっきりしたいな」とか。
そうやってたくさんの
選択肢を選ぶことができるようになった。
そして、
人に対しても昔よりもはるかに寛容になれたし、
いろんな世界を知れたかな。
登山好きな人とも、茶道してる人とも、
音楽してる人とも話ができる。
昔はビジネス本とかスピリチュアル本とか
よく理解できなかったこともあったけれど、
全部楽しいなって思う。
これは、
いろんな考え方を渡り歩いたからこそ、かもしれないなって。
そう考えるとね、
むしろ、私の場合様々な人の考え方を渡り歩いて、
自分にしっくりなところだけおいしくいただいちゃって、
どんどん自分が「次これやりたい」と
求めている部分を、満たしていけば
1つのことを続けなくても、すぐやめても
別にいいんじゃないのかなぁって
思ったの。
そうやって、
自分心地を作っていくのってむしろ最高じゃない?って。
(※自分心地=自分にとってしっくりくる心地よさみたいな
今勝手に作った造語です💦)
自分の人生を、心地いいように
カスタマイズしているっていうことなんだから。
私の場合、ある人の考えだけを
いっぱい刷り込んでいても、
どうしても、自分の中で一部分「あれ、違うな」と
感じる部分があったり、
タイミングとして、「もう今はこの考え方、しっくりこないかも」と思ってしまう。
だけど
そういう自分って、
きちんと「考えて」いるんだよね。
「辞めるのって面倒だからこのままいよう」と
思わずに、
ちゃんと違和感を大事にできているということ。
それってちゃんと
自分の声を聞けているんだ。
惰性で、
もう合わないのに続けることよりも
結果、居心地悪いことをやめると
自分心地はすごくよくなる。
結局人生って、
自分心地が一番だって思う。
自分の人生を生きる上で、
ほかの人の意見って参考なだけなの。
だって、生きるのは自分。
ほかの人の意見が
自分に全て「しっくり」くるかなんて
わからない。
一番いい選択肢を、選んでいく、それだけなんだよね。
だから、何も罪悪感持つ必要もないんじゃないかって。
まぁ、今のところ
夫はきちんと
一途に(?)一人にしてるしね、とか
よく分からないことも思いつつ(^^;
最近、
そんな風に何事も飽きっぽくて、続かない自分も
それでいいかなと思えるようになったのでした。
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