見出し画像

「会話貧乏」な日本人男性と盛り上がれるか

前回紹介した「外国人男性と恋愛した方がいいか診断」では、質問項目のうち

◆ 男を立てるのにウンザリしている

◆ 職場のセクハラに辟易している

◆ 気が強いという印象を与えないよう気をつけている

について考えた。

今日は ◆ ゲーム、サッカー、仕事以外の話の出来る男性に会ってみたい◆

の話をしたい。

数年前、あるカフェで、夏休みを利用して日本を旅行したという20歳のオーストラリア人男性に会った。それは彼が帰国する前の日だった。初めて親元を離れて海外を旅行した彼には、全てが新鮮で素晴らしく感じられた。日本での数週間の経験、故国と日本の違いなどを、興奮気味に語る彼との会話は楽しく、30分以上も話し込んだ。まだ子供のような学生で、しかも海外に出るのは初めてという、人生経験も乏しい若者ながら、大人と楽しく会話が出来る。これが日本人男性となると学生はもとより、中年男性とでも、30分も会話を維持するのは並大抵のことではない。初対面なら尚更だ。それが可能になるのは、私がホステス役に徹する場合である。相手は自分がもてなされている(それも無料で)ことに気づかない。

内気で話し下手、住む世界は小さく興味の幅は狭く視野は限られている。他人と交流する方方法も知らなければその意欲もない。もう会話の成立しようがないのである。

……と、毎回日本人男性をこき下ろしているようだが、彼らにも美徳がある。それは一体に我慢強く人の話を聞くということだ。

これはコインの両面と言っていい。
外国人(と私が言う時は欧米人に限った意味ではなく、日本人以外全部を指している)は、日本人に比べると言語で自分の考えを表現するのに慣れた人が多い。そして考えを口に出すのを躊躇わない。但し、その分人の話に傾聴することが苦手である。忍耐というものを母の胎内に置き忘れている。立板に水と自分ばかり話して、口を挟む隙を与えない。人の話も遠慮なく遮る。相手も言いたいことがあれば自分を遮ってでも言うだろうと思っているので、止められない限りいつまででも喋る。止められても喋りやめない。

日本にもそういう人はいる。但し嫌われる。日本でそういうことをするのは普通グループの中の最上位者、つまりボス猿である。この社会ではアルファだけが口を開くことを許されている。外国人は、日本人が会議で話さないのは内気さのせいだと信じているが、この国では話す権利は力関係で決まるという原理を理解していない。

若年時、上位者の話を傾聴することを仕込まれるからか、日本人ほど辛抱強く人の話を聞く国民は稀である。但し、聞いた話を理解出来るか、それに共感出来るかはまた別の話である。

人の話を聞けるのは素晴らしい。だがその反面、自分が話すことが出来ない。それは遠慮のメンタリティと、訓練の欠如による話す力の不足、そして、小さな世界に住んでいることによる話題不足のせいである。

ゲーム、サッカー、テレビ、自分の業界と職場と家族、他に話題のない話し下手。こういう人と会話を弾ませようと思ったら、聞き役に徹する他にない。先ずはおだてて、自分が上位者だと思わせる。さなくば話す勇気など出ないからだ。聴いて、聴いて、話を抽き出して、抽き出して、いい気持ちにさせて、無限に話させなくてはならない。しまいには、君とは話が合うなあ、ほんとに楽しかった、是非もう一軒と言われることになる。話が合ったのではない。合わないものを私が職人技で合わせているのである。

私はホステス役を務めたのみ。私のしたい話は一言もしていない。楽しかろうはずがない。仕事なら致し方もない。しかしデートでは御免被る。

人の話を聴くのが苦手な諸外国人の中で、聴くと話すのバランスの取れた、会話上手が最も多いと感じるのはアメリカ人である。会話を盛り上げつつ継続するのは、当地の重要な社交スキルなのだ。スキルなので、会話が盛り上がったな、と思っても、表面だけのことで、それ程仲良くなれない場合も間々ある。だが、とても啓発的な会話が楽しめることも多い。

外国人の男性と意気投合することは時々あるが、日本人男性とは(小学校以来)起った例しがない。興味や価値観やノリの合う人が本当に少ない。日本で生まれ育っているのにどういうことだろうか。私の側のバイアスか。何にせよ、話の弾まない人と恋愛は出来ない。もし外国人の方が話が合うと感じるなら、恋もその方が上手く行くだろう。

次回は◆ 男性に対し知性、能力など優れた点を隠すのに疲れている ◆について考える。


いいなと思ったら応援しよう!