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スイスで出産しました!

長らくnoteを使っていなかったですが、久しぶりに人生忘れることのない経験をしたので書き記そうかと思います。

バックパッカー生活から早5年、スイスへの移住、コロナのロックダウン、現地のマーケティング学校、就職などなど、、いろいろなことを経験してきたけどなかでも今後一生忘れない記憶になるだろう出産。
今回はそんな出産当日について時系列で書いていこうかと思います。

4月16日
予定日4月10日からすでに6日間過ぎているため、
病院にて定期検診。2週間を過ぎると胎盤の機能が悪くなってしまうため、4月21日に陣痛促進決定。

4月19日
15時
予定日から9日経過しているため、定期検診。CTG(胎児の心拍数と胎動のチェック)を行うと、異常が確認される。触診の結果子宮口もほぼ空いていないため、急遽担当医を呼び出すことに。

17時
担当医と話し、陣痛促進を急遽この日の20時から行うことになる。

17時半
一度家に帰り、夕食と入院準備をし再度病院に向かう。

20時
病院に戻り、陣痛促進開始。陣痛を促進する薬のついた紙のようなものを子宮に入れる。
念の為、いつでも点滴をできるように管を腕に準備。

21時半時
宿泊予定の部屋に移動し陣痛待ちをする。その間に再度CTGを行い胎児の健康を確認。前駆陣痛に加えて、今までは感じたことのない子宮の痛みが何度か来る。胎児の心拍数の高低差が激しい。(最高180 最低90)

22時
CTGの結果を確認した助産師から帝王切開の可能性を告げられる。担当医と電話をしその場で帝王切開確定。陣痛促進剤を支給から抜き出し、手術服に着替える。その瞬間から足の震えが止まらなくなる。

22時30分
ベッドに乗せられたまま手術室に運ばれる。
通い慣れているはずの病院の景色を下から見ているにで、不思議な気持ち。急にドラマの主人公になったような気分になる。

23時
全身の震えが止まらないまま、背中から麻酔を注入。すぐに足がしびれてきて感覚がなくなってくる。腹部が見えないように、ブルーシートで覆われる。震えていたため、ブルーシートの中には暖かい空気が流れてくる。
冷たい鉄の器具当てられ、足の感覚がないことを確認される。旦那が手術室に入ってきて、麻酔の先生から手術が始まっていることを告げられる。(感覚がないため、手術が始まっていることにも気がつきない。)痛みなどはないが体が揺すられるため、施術が行われてる衣ことを実感する。強いて例えるならば歯医者の親知らずを抜く時のような感覚。
段々と震えも収まってきて、隣にいる麻酔の先生たちと、「いつからスイスに住んでるの」などの世間話かできるくらいの余裕がでてくる。
手術開始から20-30分くらい経ったところで、お腹をぎゅっと押される。

23時40分
水を吸う音のようなものが聞こえたな、と思ったらすぐに産声が聞こえ無事に娘が誕生。
一瞬だけ顔を見せられ、そのまま娘は裏の洗い場に直行。旦那も付き添いをする。

23時45分
娘が戻ってきて胸の上に置かれてカンガルーケア。
近すぎて顔が見えないけど、娘の動きは胎動で動いていたのと同じような感覚。本当にこの子が入っていたんだな、と実感する。

12時
手術が終了。娘、旦那とともにお産室に戻る。
その後は娘は私の胸の上に乗ったまま、段取りが進んでいく。お産室でしばらくすると、母乳を飲ませようと言われる。多分でないと思うけど、、と言ってるうちに母乳が出ることを確認でき、娘は早速母乳を飲み始める。
飲み終わると同時に私の上でうんちをしていることに気が付き、そのまま助産師さんが娘の沐浴をする。

2時
宿泊予定の部屋が2人部屋で、同室のお母さんが起き次第移動ということでお産室で待機。
全て一段落したので、旦那は2時ころ一旦帰宅。

3時
部屋の準備が整ったので、宿泊する部屋に移動。
初日は母子別室かと思いきや、そんなに甘くはなく早速母子同室で赤ちゃんとの生活が始める。


時間は正確ではないかもしれませんが、ざっとこんな感じだった気がします。。
たった5日間しか経っていないけど目まぐるしく変わる毎日に既何週間も立ってしまったような気分です。
授乳のたびに少しずつ書いた文章なのでめちゃくちゃかもしれませんが、人生の一つのターニングポイントとなった日を忘れないために自分のためにも書き残しておこうと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

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