自己紹介。
星空との出会いのきっかけ。
そこから始まった今への繋がりなど、振り返りつつ自己紹介です。
基本情報
名前:さんたさん(小学校時代のあだ名)
年齢:アラフォーもそろそろ終わり
家族:妻1、子2
住い:北の大地の大きな街
職業:へたれシステムエンジニア
趣味:天文、カメラ、自転車、キャンプ、化石(息子の影響)
夢:自前の観測所(天文台もどき)を持つ
星空との出会い
星空を見る直接のきっかけは、C/1996 B2 百武彗星です。
大学受験を終え、暇を持て余して夜中にゲームなどをしていたのですが、ふと外へ出ました。
3月の北海道はまだ雪が多く、寒かったのを覚えています。
そして見上げた空に輝いていたのが百武彗星でした。
当時、Windows95がリリースされた直後で、インターネットもまだまだ始まったばかり。
彗星の存在はニュースで知っていたかもしれませんが、「いつ、どこで見える」なんて全く知らなかったと思います。
そんな偶然の出会い。
夜空で長大な尾を引く彗星の姿に驚いたのを覚えています。
幼い頃から自他共に認める理科好き少年。
『学研の科学』の付録を夢中で作り、実験道具を組み立てては色々な実験をし、紙や木での工作に夢中になり、壊れた時計やらラジオやらを片っ端から分解もしました。
もらった顕微鏡で植物を見たり、科学館に通い運動力学の実験装置でボールが転がる様子をずーっと見ていたり、ハンダコテを持って電子工作をしたり、と理科大好き少年として色々なものに夢中になったりしていました。
小学4年生の時だったと思います。
学研の付録だったと思いますが、紙筒の望遠鏡で月を見た記憶があります。
思い返せば、当時はハレー彗星が回帰していた頃ですが、こっちは見た記憶がありません。(暗かったですからね、この時は)
もう一つ、学研まんがの「宇宙生活・スペースシャトルのひみつ」が大好きで表紙が取れるまで読んでいた記憶があります。
そして出会った百武彗星と、進学した大学で一般教養として受講できた天文学の授業。
担当教授が海外に長期出張していた関係で後期集中開催となり、例年とは違う形で募集され受講できた天文学のゼミ。
そこで学び、星空を見上げる楽しさを知りました。
そして、「もっと星が見たい」と思っていた矢先に出会ったのが『天文指導員』というボランティア活動でした。
天文指導員との出会い
『天文指導員』とは、地元の青少年科学館が行っている『移動天文台』という事業を手伝う学生を対象に募集していたボランティアです。
「これだ!!」と思い、募集を開始する日、時間になった瞬間に大学最寄りの駅で電話をかけたのを覚えています。
そこで望遠鏡のイロハや星の知識を学び、移動天文台で、小学生や町内会の人たち、時には(学生なのに)学校の先生相手に望遠鏡を使って星を見せ、解説したりしました。
様々な大学の学生が集まっていることで、いろんな分野の友人と知り合い、その繋がりは今も広がりながら続いています。
そういう意味では、掛け替えのない仲間と一生をかけて打ち込めるものを得ることができた、人生のターニンングポイントだったことは間違いありません。
学生の集まりということもあり、星見やキャンプ、飲み会や普段の遊びなど、大学生活よりも熱中していました。
月食観測の計画を立て、雨が降っていたのに十数名で数台の車に分乗し、無駄に走ったこと。ペルセウス座流星群観測のために山でのキャンプを計画し、悪天候で予定を変更し、祖父の古い家にみんなで泊まったこと。
キャンプに行き、晴れていたのに焚火をしながら飲んで星なんて一つも見なかったことなど、全ていい思い出です。
天文指導員の活動は大学の卒業と当時に修了となりましたが、1年置いて、天文講師として6年ほど活動しました。
そういえば科学館の移動天文車が更新されるときに紹介記事を書いてと頼まれた知人から「代わって!」と頼まれて書いたこともありました。
記事が載った雑誌は手元にありませんが。。。
そして仕事の関係で関東へ行き、戻ってきて今また、同じ活動をしています。
出戻りですね。
カメラと双眼鏡
指導員活動中(学生時代)に科学館の職員さんに「写真撮ってみないか?」と誘われ、バイト代7万円(5万だったかな?)を握り締めてカメラ量販店へ行きました。
そこで店員さんと相談して買ったのが、Nikon FM10です。
天体写真を撮りたいと言ったので、50mmの単焦点に三脚、レリーズ、フードなどセットで買ったのを覚えています。
それと前後して、双眼鏡を買いました。
買ったのはVIXENのULTIMA 8×56で、手持ちで使うには今じゃ大きすぎるかもしれません。
三脚固定用のアダプターも買って、月や天の川、散開星団などを見ていた記憶があります。
この双眼鏡は今も持っていますが、ラバーコーティングの外装がボロボロになってしまったので、三脚とセットで車に常備されています。出番はあまりありませんが。
変わりに移動天文台などで子供たちとの一番星探し競争に負けない為に最近買ったのが、ケンコー・トキナーの SGEX 8×26 OP WP です。
26mmしかありませんが、視野が7度と広く、一般的な望遠鏡のファインダーと視野が同じなので、一次的な星探しに便利です。
天体写真の方は、フィルムカメラでしかもマニュアルフォーカス。
露出と絞りを紙にメモしながら、シャッターブレを抑えるためにレリーズをつけ、カメラ前に黒画用紙を貼ったうちわをかざして「うちわシャッター」を切っていました。
残雪の残る時期、宵の空で2惑星(金星と木星?)が接近したときに50mmのレンズでフィルム24枚分、絞りと露出を変えつつ撮り、天文雑誌 スカイウオッチャーに投稿し、初心者投稿ページに載ったのを覚えています。(雑誌は残念ながら捨ててしまいました。。。)
写真は結構撮ったんですが、全てフィルムですので、今は防湿庫で眠っています。
撮影データが残っていないので、写真として整理しようがないんですよねぇ。。。
憧れの望遠鏡
天文指導員として学生時代に活動していたとき、主に使用していた望遠鏡が五藤光学のMark-X(8cm屈折F12.5)でした。
指導員の先輩に五藤光学の関係者がいたことと、科学館のプラネタリウムや設備が五藤光学であったこともあり社員さんと馴染みがあったことなどが幸いし、「在庫のMark-Xを放出する」と聞き、速攻で購入を決断。
6.5cmの屈折鏡筒を含めてフルセットを購入しました。
このとき、社会人一年目の初ボーナスを全部注ぎ込んで、親に呆れられたのを覚えています。
その後、鏡筒は
五藤6.5cm屈折 → BORG 77EDII → タカハシ μ-180C
と変化していますが、Mark-Xは今も現役で使っています。
星だけじゃないカメラ
天体を撮る為に買ったカメラも、やはり風景なども撮りたくなり、Nikon FM10からCanonへ鞍替え
Canon EOS 7 → EOS 20D → EOS 50D → EOS 5D Mark IV
と変化しました。
レンズもLレンズは頑張ってひとつ買ったのですが、広角から望遠まで明るいレンズはないですが、揃えました。
流石にEOS 7は出番がありませんが、20Dも50Dも時々使っています。
(20Dはシャッターユニットが逝ってしまい電源ONと同時にシャッターを切りまくるという壊れ方をしたので、分解の上、廃棄しました。2022.3追記)
全部天文絡みの海外旅行
海外へは通算4回行ってますが、全て天文絡みです。
1999.2。金環日食を見にオーストラリアへ(晴れました)
2001.6。皆既日食を見に南アフリカ、ザンビアへ(晴れました)
2003.1。いろんな伝手を頼ってすばる望遠鏡を見にハワイ、マウナケアへ2009.7。皆既日食を見に中国・上海へ(雨でした。。。)
皆既日食はまだまだ行きたいですし、オーロラも見たいですし、スミソニアン博物館なども行きたいですねぇ。
今後、、、
天文指導員の活動は環境が許す限り続けるつもりでいます。
移動天文台で望遠鏡を持って小学校などに行き、子供たちに星を見る楽しさ。
今、まさに届いた星からの光を見ているという感動、不思議さ。
サイエンスとしての天文学、宇宙物理学・宇宙工学としての宇宙、文学・民俗学としての天文、人類最後のフロンティアとしての宇宙などなど。
未来ある子供たちに何か一つでも将来のきっかけになるものがあれば、という思いで最も下のレベルで宇宙開発、天文学を支えて行ければと思っています。
その為に、知識・考え方に偏りが出ないよう、天文指導員以外の部分で、知識・経験・技術を得る必要があると思い始めています。
機会があれば、星空案内人(星のソムリエ)認定講座も受けてみたいとも思っています。
宇宙・天文は裾野は広く、詳しく知らなくてもなんとなく興味がある人が多い分野だと思っています。
広く人のつながりを持って、楽しく星を見て行けたらと思います。
今晩、空を見上げてみませんか?
定期的に続けていること(2023.1.18追記)
北海道の天文台・プラネタリウムマップ
google map上で北海道にある(またはかつてあった)天文台やプラネタリウム施設の情報をまとめています。
個人が独力で調べているものですので、不足や誤りがあった場合は<@trapezium_orion(Twitter)>まで教えていただけるとありがたいです。
アイヌの星座
先住民族アイヌの見ていた星空、星座についてまとめています。
主に以下のマガジンでまとめていますが、国立天文台 4次元デジタル宇宙プロジェクト(4D2U)で開発したシミュレーションソフトMitaka上で再現するスクリプトや、YouTubeでアイヌの星座を紹介する動画等を公開しています。