※学生版※【完全版】非専門家がゼロから企業研究職になり最短最速で出世するためのロードマップ
学生版について
こちらのnoteは『【完全版】非専門家がゼロから企業研究職になり最短最速で出世するためのロードマップ』の学生版です。
中身は完全に同じですが、経済的な困難を抱える学生向けにnoteの最低料金である100円で販売しています(無料だと全ての人が閲覧でき、情報流出の恐れがあるため)。
当初は一律の値段設定としておりましたが、それにより経済的困難に起因する情報格差を助長させる恐れがあると判断し、このような対応となりました。本文に書いてありますが、私自身が学生時代には経済的な理由からいくつかの学びの機会を諦めねばならずに悔しい思いをしていたので、同じ思いをする学生さんを少しでも減らしたいと思っています(まぁ私程度のnoteではあるのですが…)。
【対象】
「給付・貸与を問わずに奨学金を受給しており、経済的困難を抱えている大学生・専門学生(大学院生は除く)」
*なお、大学院生については「既に同年齢で社会人として働き始めている方もいる」という公平性の観点から対象外とさせて頂いております。
なお、本noteの購入に際しては特段の証明を求めませんが、不正が発覚した場合は厳格に対処させて頂きます。購入者の良心を信じて事前確認なしで購入できる形で公開させて頂いておりますので、何卒宜しくお願い致します。
上記の対象以外の方はこちらより正規版をご購入ください。
本章
このnoteは次のような方に向けて書いています。
そして、このnoteが目指すゴールはこちら。
きっと今お読み頂いている方は私のことを「誰だお前は」と思われる方が殆どだと思いますので、noteの詳細をお伝えする前にまずは自己紹介から始めさせてください(さらに突っ込んだ自己紹介も、無料公開している第一章でお読み頂けます)。
こんにちは、すきとほる(@iznaiy_emjawak)です。
私は30代前半で外資系製薬企業のグローバルチームの管理職、そして国立大学の研究職として働いています。医学研究に関する修士・博士を有しています。
年収は本業・副業を併せて約1,700万円です。
30代前半の企業研究職のキャリア・年収としては周囲と比較しても悪くはないと思いますが、実は数年前まで私は研究とは縁遠いブラック企業の社畜をしており、
「私の人生、このまま片田舎の無名企業の社畜として終わるのかな…」
「そんなの嫌だ、でも何から始めればいいのかわからない…」
と自分を卑下する毎日を送っていました。大学の学部に入るまでは猛烈に勉強を頑張っていて、無事に入りたい大学に入ることもできたのですが、そこでバーンアウトしてしまったんですね。
しかしブラック企業で社畜として生きる人生と決別するため、覚悟を決めて大学院に進学、研究の「け」の字も知らなかった社畜が企業研究職に転生し、3年で2回の昇進と年収1,400万円のアップに成功しています。
具体的なキャリアは次のとおりです。
また、企業研究職3年間でのキャリアに関する業績はこちらです。
このnoteは、私がなんの専門性もないブラック企業の社畜から2年で企業研究職になり、さらにそこから1年半でグローバルの管理職、そして年収を1,400万アップするためにやってきたことを、「専門性が欲しいけど、何から始めたら良いかわからない」という非専門家の方でも再現可能なようにロードマップ形式でお伝えします。
「でも専門性なんて何もないよ…」
「そもそも大学院だって卒業してないのに…」
ご安心ください、このnoteは「ゼロから企業研究職として管理職になる」ことを目指して書かれているので、効果的な専門性の選び方に始まり、大学院の探し方、そして在学中にやるべきことなど、「専門家になるためのはじめの一歩として何をすべきか」ということからロードマップ形式で解説していきます。全体で約6万字と大ボリュームになっていますが、実際に私がキャリアをあゆむ中で「あそこはこうすべきだった」、「あの選択は正解だった」と思案し尽くしてきたことを体系化し、ステップごとに具体的に解説しました。
ただ、以下3つの注意点があるので、購入前に「本当に自分の役に立つかどうか」を慎重に吟味して頂く方が良いと思います。
企業研究職になるためには基本的には基礎学力としての国数英が必要であり、その土台がなければ修士2年間の修行のみでの企業研究職への転生はかなり厳しい(例、修士に入って英文法から学び直すようでは間に合わない)
また、その土台がある場合も修士2年間はフルコミットで研究に向き合う必要がある(私の場合は週14時間のバイトと睡眠時間以外は朝から深夜まで研究漬けで、楽しかった反面かなり精神的にはキツかったです)
理系全般の研究職の方のお役に立てるように幾つかの業界の理系研究職の方の意見を頂戴して一般化に努めたが、一方で文系の研究職の方にはフィット感がある内容にはなっていない可能性がある
企業研究職は経験者採用が基本となるため、「第三章・第四章:就職活動」は中途採用にフォーカスした内容となっている(それ以外の章は新卒採用にも適用できます)
ロードマップは次のように進みます。それぞれのステップでは、このnoteを読めば『今すぐ実践できる』というノウハウにフォーカスして解説するよう努めました。
なぜ私は企業研究職を選んだのか(無料公開)
1-1 美味なるかな、サイゼリヤ
1-2 いざゆかん、ブラック企業
1-3 新天地へ、その名も大学院
1-4 初々しき、スペシャリスト大学院進学 - 専門性の選び方・身につけ方
2-1 適正と市場価値の2軸
2-2 後悔しない研究室の選び方
2-3 就活を成功させるために在学中にやるべきこと就職活動 - オファーの勝ち取り方
3-1 履歴書を作成しよう
3-2 カジュアルミーティングを使用
3-3 ポジションにアプライしよう
3-4 面接の対策をしよう就職活動 - オファー交渉の仕方
4-1 入社時期
4-2 年収
4-3 福利厚生
4-4 入社時ボーナスやRSU入社直後 - 組織を理解する
5-1 企業と所属部門のヴィジョン&ゴールを理解する
5-2 各種承認のプロセスを理解する
5-3 過去・現在・未来のプロジェクトを理解する
5-4 人を理解する入社直後 - 年間ゴールを設定する
6-1 所属部門のヴィジョン&ゴールにアラインさせる
6-2 優れた年間ゴールを設定する
6-3 年間ゴールを上司と握る
6-4 所属部門の年間ゴールを作成する入社直後 - 人間関係を構築する
7-1 上司との関係構築
7-2 所属部門の同僚との関係構築
7-3 他部門のシニア・同僚との関係構築
7-4 外部との関係構築入社後 - 昇進・昇給に繋げる
8-1 成果を出す
8-2 成果を認知させる
8-3 認知を昇進に繋げる転職
9-1 転職を検討すべき時
9-2 転職先のポジション
9-3 現職の上司への転職の切り出し方
そもそもなぜ私がこのnoteを書いているかと言うと、大きく理由は三つあります。
「専門性を持たずに生きる人が、新たに強みを身につけ人生を変えるお手伝いをしたい」
「企業研究職の方がさらに職位をあげて、やりたい研究を実現するお手伝いがしたい」
「研究者としては優秀でも、調整力やリーダーシップなどのビジネス戦闘力が低いために活躍の機会を損失している方が本領を発揮するお手伝いがしたい」
一つ目の理由、「専門性を持たずに生きる人が、新たに強みを身につけ人生を変えるお手伝いをしたい」について。
ブラック企業の社畜として働いている時、胸が張り裂けるような日々を送っていました(無料でお読みいただける第一章で詳しく書いています)。自分の考えを述べることも許されず、上司の怒鳴り声に怯えながら、存在を消すことばかりを考えていた毎日です。
しかし、そこから専門性を身につけ、企業研究職へ転職したことで私の人生は大きく変わりました。
会社の人たちが次々と相談にきてくださり、収入が増えたおかげで家族にしてあげられることも増え、そしてこれから歩むべき道への迷いも消え去ったのです。
「これが私の生きる道」、そう胸を張って言うことができます。
数年前まで、私にこんな人生が訪れるなんて想像できませんでした。全ては大学院で身につけた専門性のおかげです。だから、同じように苦しい日々を送っている方がいるのであれば、専門性の身につけ方・その発揮の仕方をお伝えしたい、そう思っています。
二つ目の理由、「企業研究職の方がさらに職位をあげて、やりたい研究を実現するお手伝いがしたい」について。
企業研究職についてのキャリア相談を受ける際、必ずと言って良いほどアカデミア志望の方から「でも大学と違って自由に研究できませんよね?」と質問されます。
確かに、企業で研究をする以上は企業のゴールにマッチした研究テーマであることが求められるため、大学と比べて「何でも研究できる」ということはありません。一方、企業には非常に潤沢な予算・人手があり、大学ではよほど大型の予算を獲得しない限りは実現できない規模の研究に取り組むことができます。つまり、大学には研究テーマの自由が、そして企業にはリソースの自由があり、それぞれ自由を享受しやすい分野が異なるだけなのです。
そして、当然ながら企業研究職として偉くなればなるほど、研究テーマの選択において意見を反映しやすくなります。極論を言うと、企業のゴールを決められる側の人間(シニアリーダー)になってしまえば、「企業のゴールと自分のやりたい研究テーマをオーバーラップさせる」ということもできるわけです(もちろん、企業に資する研究であることは大前提ですが)。
ですので、「企業の潤沢な予算・人手をもとに研究しつつ、さらに自己実現の一環である研究テーマにチャレンジするには、最短最速で管理職へ昇進すべき」と言えます。
次に三つ目の理由、「研究者としては優秀でも、ビジネス戦闘力が低いために活躍の機会を損失している方が本領を発揮するお手伝いがしたい」ということについて。
研究職になるために大学で学ぶスキルと、ビジネスマンとして活躍するために必要とされるスキルには大きな乖離があります。それどころか、そうしたビジネススキルの獲得を忌避する研究職も珍しくありません。つまり、リーダーシップやコミュニケーションスキル、調整力、マネジメントなどの『ビジネス戦闘力』へのステータス振りを避けがちになるということですね。
そうしたビジネススキルを悪い言葉で表現するなら、”根回し”、”上司への媚び売り”、”自分をよく見せる”と言えるかもしれません。しかし一方で、研究職としての自己実現というやや高尚な目線で語れば(本質は同じでしょうが)、そういったビジネススキルは「やりたい研究を実現するための手段」と表現することもできます。
ですから私は、研究力とビジネス戦闘力は企業研究職が養うべきスキルの両輪だと考えています。
にも関わらず、前者だけに集中し、後者の育成をおそろかにしてしまうと、「自分にはこんなこともできるのに、会社がチャンスをくれない」と不平不満を嘆くだけの研究職になってしまい、せっかくの研究力が日の目を見る機会を失ってしまいます。それって、ちょっと勿体ないですよね?
さて、本ロードマップの強みは以下です。
ここまで読まれて「どうせよくある情報商材みたいに、中身がペラッペラなんじゃないの?」と思われる方もきっといらっしゃると思います。
胡散臭いnoteも沢山ありますので、購入を躊躇される方もいらっしゃると思います。私自身も、「勉強だ」と思っていくつか有料noteを購入してみましたが、その中には内容に乏しく、どこかで見たようなテクニックを焼き増ししただけのnoteがあったことも否定できません。
ですから、このnoteを購入頂いた方には「この値段でこれだけ学べるのか」と期待以上のサプライズを提供できることを最低条件として全力で書き上げております。私も研究者の端くれとして、モノ(論文)を書いて飯を食っている人間ですので、中途半端な書き物は世に出さないように最新の注意を払いました。
このnoteをお読みくださった方々の声を掲載させて頂きます。
ちなみに、このnoteの前に「素人が企業の疫学専門家になりたいと思った時に読むノート」を公開させて頂いておりましたが、前作は私の専門性である疫学専門家に特化し、疫学専門家の志望者向けの大学院、勉強方法、お勧め就職先、そして働き方を解説しました。
一方で今作は疫学や製薬企業に限らずに視野を広げ、「企業研究職」全般をターゲットにしたキャリア形成のノウハウをお伝えできるように経験を体系化しています。また「ゼロからの専門性の選び方」を解説するとともに、前作ではあまり触れなかった「社内での立ち振る舞い」として、組織理解やゴール設定、人間関係の構築に、そして「昇進・昇給に繋げる」としていかに企業研究職として成果を出し、それを昇進・昇給に繋げるのかということに4つの章を立ててどっぷり解説しています。
ですから、前作を購入して頂いた方にも新鮮な気持ちでお楽しみ頂けるはずです。
とはいえ、素性もわからぬ人間の書き物にお金を出すのは抵抗感があると思いますので、まず無料公開の第一章にて、私自身がブラック企業の社畜から企業研究職に転生した物語をお伝えしたいと思います。そちらをご覧頂き、このnoteにお金を払う価値があるかどうか、ぜひご判断頂けますと幸いです。
なお、第一章は性質上、物語形式で展開しますが、第二章以降はロードマップの様相を呈し、ビジネス書に近い形式で展開します。もし「すきとほるの物語なんて興味ないから、すぐにロードマップを読みたい!」という場合は、第一章をスキップ頂いてもそれ以降の読解には問題ございませんので、一気に第二章までお進みください!
さて、長い前置きもこれにておしまい。
では、物語のはじまりはじまり、です。
目次
第一章:ブラック企業の社畜だった私が企業研究職に転生し、人生を変えた話
1-1 美味なるかな、サイゼリヤ
1-2 いざゆかん、ブラック企業
1-3 新天地へ、その名も大学院
1-4 初々しき、スペシャリスト
第二章:専門性の選び方・身につけ方(大学院進学)
2-1 適正と市場価値の2軸
2-2 後悔しない研究室の選び方
2-3 就活を成功させるために在学中にやるべきこと
第二章の終わりに
すべて表示
第一章:ブラック企業の社畜だった私が企業研究職に転生し、人生を変えた話
1-1 美味なるかな、サイゼリヤ
私は、日本の片田舎のとある町で生まれ、育ちました。
恥ずかしながら家柄は決して良い方ではなく、数ヶ月に一度の外食でサイゼリヤを訪れ、家族がそれぞれ一人一品を頼んで美味しく頂くことが数少ない楽しみでした。
もちろん家族で旅行する余裕などはなく、18年ほどを家族と一緒に過ごした中で、唯一記憶にある家族旅行は私が小学生の時の県内のホテルに宿泊したそれです。当時の私はホテルなど泊まったことがなかったので、夢のような時間を過ごし、頬が落ちるような美食を味わった覚えがあります。
ついこの間、「あのホテル、どうなっているのかな」と思い楽天トラベルで調べたところ、表示されたのは私の記憶にある豪華絢爛なホテルとはまるで違う、田舎の寂れたホテルでした。一人一泊朝食付きで7,000円。両親がなんとかやりくりしたお金で頑張って連れて行ってくれたのだと思うと、感謝とほんの少しの胸の苦しさが込み上げます。
とはいえ、幼い頃から「あー、うちお金ないんかな」ということを自覚していたわけではありません。田舎町ですから、お金の使い道なんてどの家族も限られましたしね。みんなしまむらかユニクロを着て、みんな軽自動車に乗るんです。私立は「勉強ができずに入試に落ちた人がいくところ」でしたし、塾だって通信教育のZ会か小さな個人塾しかありません。
そんな私が初めて「あれ、うちってなんか違くない?」と気づいたのは大学へ進学し、東京に移住した時でした。
私が進学したのは東京のとある国立大学で、なんというかまぁいわゆるお受験競争をバリバリやってきた”エリート”が集う大学でした。そんな大学になんの間違いか入学してしまった私は、さっそく入学初日のオリエンテーションで目ん玉をひん剥くことになったのです。
隣の子は超がつくほどの美人だし、さっそく女の子を口説いてるホストみたいな奴もいるし、英語はもちろんフランス語を話せるやつ、家から学校まで徒歩で通うやつ、お父さんがここの大学だから僕もここにしたとか言うやつ、鉄なんちゃら会のつながりで入学初日からクラスを超えてつるんでるやつ。
豪華絢爛、お家柄に顔面偏差値、そしてもちろん学力と、エリートによるエリートのためのエリートの環境です。
一方私はと言えば、入学当初から学費と生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れます。今思えば、大学名を活かした個人家庭教師などの高額ビジネスもやりようがあったかもしれませんが、当時の私は田舎の教養のカケラもない家庭で育ったガリ勉、「まかない食べさせてくれるし、バイトするなら飲食かな」と情弱100%の思考力しかありませんでした。
ちなみに家は家賃1万円の学生寮、なんと大学までは自転車と電車で片道1時間もかかります。外観は廃墟と見間違うがごとき年季の入り様で、ベッドと机で全てが埋まる居住スペースは部屋というよりもはや収容所と言った方がお似合いでしょう。トイレとシャワーは一体化しており、なぜかトイレの真上にシャワーが設置されているので(ユニットバスとかそういう次元ではなく、マジでトイレの真上にシャワーがありました)、シャワーを浴びると便座がずぶ濡れになります。入居して数週間は律儀に拭いてましたが、それ以降はめんどくさくなったので濡れた便座の上にダイレクトで座ってトイレを使ったのでした。
経済的には苦しい時代でしたが、だからこそ得られたものもあると信じています。このnoteで紹介するビジネス戦闘力こそまさにそれ。
奨学金をとる、少しでも家賃を安くする、自分が他人よりパフォーマンスを発揮できるフィールドを探すなど、生き抜くために必死でした。今思えばあまりにも自己愛に溺れすぎた日々だと思いますが、日々のご飯代を心配するような生活の中で、他人を思いやるだけの器が私にはなかったんですね。思い出してみると、恥ずかしいことを沢山した日々だと反省しております。
1-2 いざゆかん、ブラック企業
さて、そうして時は経ちます。
大学を巣立ち、次なるステージを探す時がきました。
そう、就職活動です。
エリート達が選ぶのは当然ながらエリート企業。
マッキンゼーにゴールドマンサックス、五大商社にGAFAにと、誰もが羨む企業へと就職を決めていきます。
一方私が目をつけたのは山と田んぼの中にある誰も知らない中小企業。
その地域の風土と、その会社が掲げる「地域に貢献する」という理念に惹かれ、何を血迷ったか「ここが私の生きる場所」などと盲信してしまったのです。親に友人にと、全方位から「絶対にやめておけ」と止められましたが、それも無駄。むしろ「あーはん、こいつらエリートはチャレンジってやつができないんだよ、私が地方から日本を変えてやるよ」と180度間違った方向にネジを閉め続けていました。
無事に入社。
そして案の定、浮きまくります。
居酒屋に行けば次の日には「きみ、昨日の夜あそこの居酒屋いたでしょー」と言われ、普通に話しているだけなのに「これだからエリートは」と笑われる始末。
その会社の社風、というかその地域そのものの風土に馴染むことができず、そして仕事にも馴染むことができませんでした。「地域で生きよう」と意気込んでその町に移住したにも関わらず、愚かにも「私はこいつらとは違う、エリートなんだ」という虫ケラのような自尊心で自分を必死に支えていました。
結果、上司には嫌われ、パワハラを受けることになります。
その当時のことはあまり思いだしたくないので詳細は書きませんが、皆がいる職場で「てめー何やってんだよ!」、「お前俺のこと嫌いなんだろ⁈」と大声で怒鳴られるなんてのは日常茶飯事でした。
職場には朝の7時30分には到着して仕事開始、時には15分の昼休憩だけで夜の10時まで働くことも珍しくありません。そして年収は300万円です。
身体も心も疲弊し、毎晩「いきたくないきたくない」と布団の中で震えます。眠ってしまうと朝がきてしまうから、深夜までYouTubeを観続けていました。そうすれば朝が来ることなく、ずっと布団の中にいられると馬鹿らしくも真剣に考えていたのです。
そうした生活を、長らく続けました。
そうしてある日、転機が訪れることに。
いつものように上司に怒鳴られ、いつものように無感情で家へ帰る。田んぼで囲まれた田舎道に街灯などはなく、真っ暗闇の道を車のハイビームだけが照らします。
家に到着し、そのまま布団に寝転がり、スマホを開きます。その時、グーグル検索のニュースページに私の目が釘付けになりました。
「X氏の小説××が○○賞を受賞」
Xは、私の同級生でした。高校と大学の。
その瞬間、重油を胃の中に流し込まれたかのような劣等感が私を襲いました。同じ町で、そして同じ街で肩を並べて勉強してきたはずのあいつが。あいつは新進気鋭の小説家としてメディアの脚光を浴び、そして私はこんな田舎の誰も知らないような中小企業でですら活躍できず、上司の怒声に怯えるだけの日々。
「なんで、どうして」
悔しくて悔しくて、スマホを握りしめたまま、1時間は呆然とし続けていました。
その日からです、「ここじゃない環境に行くべきなんじゃないか」と考え始めたのは。
そしてどうすべきかと考えること数週間、故・瀧本哲史氏の著書「僕は君たちに武器を配りたい」を読み、天啓を受けました。
その本が説くのは単純明快、「コモディティではなくスペシャリティになれ」ということです。
この書籍を読み、心打たれます。
「強く生きるには専門性だ」
そして私は、専門家になるべく大学院の門を叩くことを決意したのでした。
1-3 新天地へ、その名も大学院
大学院では、母校の医学系研究科に進学しました。
実のところ、学部時代に暇つぶしに受けた疫学(私の専門分野です)の講義が非常に面白かったことを覚えており、「専門にするなら疫学をもっと学びたい」と思っていました(”効果的な専門性の選び方”については第二章以降で解説します)。私自身の学部時代の所属は「公衆衛生とか国際保健とかバイオなどを広く学ぶ」というヘルスサイエンスのごった煮のようにな学部であり、その中でほんのりと疫学に触れていました(とはいえ、学部時代の私はロクに授業にも出ていない不良学生だったので、大学院進学を決意した時点ではほぼ初心者のようなものでした)。
調べたところ、母校の公衆衛生大学院が国内では最も高いレベルの教育を提供していると思えたので、そこに進学を決意(この過程で学んだ、”失敗しない大学院の選び方”も同じく第二章以降で解説します)。
入試会場では「私がこの会場で一番馬鹿なんじゃないか、でもこれ落ちたらあのブラック企業でもう一年か、死ぬな」と思い、汗ダラダラで英語の問題を解いていたことを思い出します。
無事に合格し、上司に退職を告げたところ、もれなくパワハラ上司には「逃げるのかよ笑」と失笑されました(今では多分上司の4倍以上の給料を稼いでいるので、ザマァみろです!)。
しかしもうそんなことはどうでも良いのです。だって私には新たな人生が待っているのだから。
大学院の2年間は必死でした。「この2年で人生を変えるために必要な全てを学ぶんだ」、そんな思いを胸に日夜研究に励みます。
母校の公衆衛生大学院には様々な研究室があり、「疫学」だけでも社会疫学、臨床疫学、栄養疫学、環境疫学と千差万別に細分化していきます。
その中で私が選んだのは「臨床疫学」。
これは、主に医療現場をフィールドにし、疾病や医療行為の分布や、治療と疾病の間の因果関係を調べる学問です。
なぜ臨床疫学を選んだのか。
正直にお伝えします、それが一番お金になると思ったからです。
そうです、邪念100%です。
その当時、私の家族の状況はさらに過酷さを増しており、私の両親はもはや経済的に自立して生活することは困難になっていました。ですから、私にとっての「人生を変える」とは、「家族全員分の生活費を私が稼いで、そんで余った金で贅沢できるようになる」ことと同義だったのです。
視野狭窄と笑われるかもしれません、自分の器が小さいことは自覚しています。しかしながら、「まずは家族が満足な生活を送れるようにする」、それ以上の目標が今の私には見つからないのです。
まずは生活の充足、そう考え「公衆衛生大学院で学んだ専門性を最も金にできる手段はなんだ」と必死で考えました。そこで浮かび上がったのが、医療ビッグデータの専門家、つまり臨床疫学家です(この過程で学んだ”需要の高い専門性のリサーチ方法”は第二章以降で解説します)。
あとは臨床疫学家になり、そして少しでも年収・ポジションの良いオファーをゲットするために努力するのみ(ここのノウハウも第二章以降で解説します)。
在学中に5本の英語論文を筆頭で執筆し、海外の国際機関でインターンを行い、時間の許す限り専門家として自分を鍛え上げました。
就職活動の成績は上々、戦績は
外資製薬2社
外資コンサル1社
ベンチャー3社
で全戦全勝です。給与も前職から500万円アップ(ここでの企業選びにも戦略がありますので、後ほど解説します)。
詳しいノウハウは第二章以降で紹介しますが、「自分が立てた戦略は間違ってなかったんだ」と確信しました。
そうしてついに、2年間の修行期間を終え、私のスペシャリストとしての新たなキャリアが始まったのです。
1-4 初々しき、スペシャリスト
そして私は歩み始めました、外資系製薬企業の疫学専門家というスペシャリストキャリアを。
その後の業績は冒頭でお伝えした通りです。
・企業研究職への転職時に5社アプライして全勝
・企業研究職の1社目で年収500万アップのオファー獲得
・企業研究職の1年目の年末評価で特別賞与の対象に
・2年目の転職時に3社アプライして全勝
・2年目の転職で年収500万アップ&管理職&グローバル採用のオファー獲得
・企業研究職の3年目の年末評価で特別賞与の対象&昇進
この背景にあるのが「企業研究職としてどう勝つか」と徹底して考え抜くなかで磨かれてきたビジネス戦闘力です。繰り返しますが、企業研究職の自己実現を支えるのは、確固たる専門力と、それを発揮する環境を構築するためのビジネス戦闘力です。どちらが欠けても企業研究職のパフォーマンスは発揮できません。
ここから先のロードマップ、つまり第二章以降でお伝えするのが、こうして私が身につけ、自己実現のために活用してきたビジネス戦闘力です。
「あなたが研究職キャリアに足を踏み入れ、さらにそれを数歩先に進めるお手伝いがしたい」、そんな想いで微に入り細を穿つように執筆致しました。
本ロードマップの強みを再び記載します。
本ロードマップが、あなたが企業研究職として自己実現し、「これが私の生きる道」と胸を張って仰れるようになるための一助となりましたら幸いです。
では、続きはこちらからどうぞ!
まずは「専門性って言ったって、何を身につけたら良いの?」という方に向けて、効果的な専門性の選び方、大学院の選び方などをお伝えしていきます。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?