トランスローカル論の実践:多彩なチームでの共同フィールドワーク後編
昨年9月に秋田県五城目町で実施したトランスローカル論のフィールドワーク。7カ国から研究者が集まり、ひとつひとつのインタビュー結果に対して意見を出し合った。喧々諤々の議論というよりは、秋田の自然を満喫しながら、お互いの背景・専門性を尊重し合いながらの対話の場になった。個別の活動のなかでの気付きについては共同フィールドワーク前編に書いたので、今日は少し俯瞰した視点からのまとめ。これがトランスローカル論の実践についての後編。そして一旦の完結編。
1.共同フィールドワークの意味:同じ経験を用意する
5日間のフィールドワークは、6組のローカル・アントレプレナーへのインタビュー、データの分析、結果についてのディスカッション、全体で何を学んだのかについてのリフレクションで構成された。聞く(インプット)と話す(アウトプット)がほぼ同量の、濃度の高いものだった。
参加者は五城目町を舞台に起きている多様な企てについて学び、特に個人が、「想い→行動」のプロセスをどのように辿ったのかを一緒に見ていくことができた。共同フィールドワークの意味は、別々の国や専門から集まった者が同じものを見て、それぞれの視点からの解釈を共有し、チームとして同じ経験をすることにあった。ひとりで見ていただけでは、どんなに気をつけても自分の関心のあるところに目がいって、そこだけを見てしまう。そうして見つけたテーマについて掘り下げてくのが通常の研究スタイルなら、トランスローカル論の共同フィールドワークはこれを回避して、広い視野を得る手続きだった。
同じ経験をしたあとに、個人での振り返りの時間が豊富にあったことも今回のプログラムの特徴だった。グループでの振り返りは色々な視点を獲得する場だったが、個人での振り返りは自分自身がどんな期待や前提を持ってこの場に来ているのか、もっと掘り下げて、どうして研究をしているのか・どうして今取り組んでいることをしているのか、というような本質のところを問う時間になった。特に印象的だったのは、八郎湖の湖畔で過ごした時間だった(下の写真はそのときのもの)。夕日が沈むまでの1時間ほど、自然の時間の流れに私たちの時間の感覚が合っていくプロセスだった。考えを効率的に、合理的に整理することをやめて、感じたことを湧き上がってくる順番に見つめる時間になった。秋田の美しい自然が、個々が内省するときのスピードを上手くコントロールする手助けをしてくれた。
2.多様性をベースにした学びを埋め込んでいく
トランスローカル論は多様性をベースにした学びの方法である。このような仕組みを社会のなかに埋め込んでいくと、より広い視野からのアイデアが常に見えるようになり、異なる視点を参照し合うことでイノベーションがポコポコと起こっていき、結果として寛容性の高い社会になるのではないか。私が研究テーマとしている農山村地域に関する議論では、その中心にいつも地域と住民がある。例えば地元学、農村社会学、地域福祉学のアプローチはその典型だ。生活圏のなかのことなのでそういう境界を設けるのは当然といえば当然なのだけれど、ある地域のことを地域の中だけで話しているだけでは議論に広がりがなくなってしまう。話が内側に閉じてしまうので、これでは新しいことを発想することが難しい。これを避けるために、多様性をベースにした学びの仕組みを地域のなかに内在化できないか。今回のプログラムは研究者向けに設定したものだったが、これを様々なジャンルの人たちに開くと、地域のなかに外から多様な視点を持った人たちが定期的に訪れることになる。これが適度なざわつきを起こすことにつながるのでは、と思った。
3.次の展開:世代間継承をどうやって実現するのか
トランスローカルな学びのあとで何が起こるのか。この多様性からの学びはどんな目標に向けて設計していくのか。トランスローカル論の想定は、学びを得た人たちが自分たちのローカルに戻り、プログラムを通じて得たアイデアを応用していくことだ。これと同時にもう一つ取り組んでいきたい問いに、「世代間継承をどうやって実現していくのか」がある。
今回のフィールドワークでは五城目の高校生たちと話し合う時間を持った。一見すると高校生の視野が広がったというように見えるかもしれない。けれど、実際に一番視野が広がったのは研究者の側だった。普段はフィールドを研究のために見てしまいがちな彼らが、次世代という具体的なつながる相手と対話したことで、一人の人として社会のなかで担っている役割を意識した。研究を通じてどこに向かっていくのか。「次世代と関わること・次世代に投資をすること」は、参加者全員が共通して考えたことだった。
4.一旦の終わりに
トランスローカル論の考え方から実践までの流れを一通り言葉にする作業をしてきた。今回の実践後編で、一旦トランスローカル論についてのnoteは完結。この論を文字にしていくプロセスで自分が本当に向かっている先は、「豊かさとは何か」という問いだったことに気がついた。歴史のなかで何度も取り組まれてきた問いなのは間違いないけれど、自分で手を動かしながら自分で考えていくことを続けていきたいと思う。