初めて聖書に目を通した時、「モーセは作り話だしモーセの名前が出てくる所は全部飛ばして読むとこ減らそ〜」と思って一切読まなかったんですよ。
解説していく事になってから怒りを感じながらも読み進めてきたんですけど、まさかイスラム教の方でも読む事になるなんて思いませんでした。
ガブが関わってるなら絶対に私と同じように無視するはずですからね。
無駄な枝葉は広げなくていいんです。
では行きます。
53-57の解説
53.→われらがムーサーは居ないので忘れて下さい。啓典なんて作った覚えもないものを授ける事はありません。
54.→ムーサーが我が民と言ってるんですか?いつ誰に任命されて治める人に?いきなり自分からリーダーを名乗り出た人の指示に従うような大人しい人たちが神に背くとなるとよほどの事情ですね。仔牛崇拝あたりの意味はさっぱり分かりませんが、私(創造者モデル)は仔牛のことで悔悟を求めるつもりはさらさらありません。善悪の基準を勝手に作られて不愉快です。
55.→この表現は神が稲妻を使って人を打ったと言う感じですよね。稲妻は水の仕事ですよ。一方的にアッラーがアッラーがと言われても信じない人もいるでしょう。我々が気にしてないことを勝手に怒りの鉄槌が下ると擦り込まないで下さい。
56.→生き返りません。成り済ましは何でもありですか。感謝を強要するほどみんな小さくありません。
57.→私たちが用意した恵ではないんです。動植物への敬意がないんですね。
58-62の解説
58.→どこまでも上から目線ですね。従順さを強要するこれを書いた人の厚かましい思想には吐き気がします。褒美の上乗せ?なぜそんな細々した作業の約束を勝手にしてるんですか?ここに誰かが勝手に書いてるからと言ってそのルールに我々が合わせて動く理由はないですよ。
59.→そもそもデタラメなので御言葉を聞こうと聞くまいと同じです。
60.→水と仕事してたら水が覚えてますよ。私たちからするとこんな流れあり得ないですね。杖?岩を叩く?あら不思議!って感じですかね。
水と大地で連携をとって地形を考えて水場を見つけて動いていく。地道に一歩ずつあの子達は仕事をしてるんです。ここのアッラーは随分と自分の手柄にしたがるようなので崇拝するに値しないですよ。
61.→すでにこの世に存在している食物なら自分たちで育てればいいでしょう。ここに出ている食物とムーサーの言うより善いものがなにか知りませんけど、書いた人にそれ以下と名指しした食物を食べる資格はありませんよ。農家の方の苦労も食物の価値もわかってません。なぜ蔑むんですか?他の村が自分たちで育ててるものを自分たちはアッラーを便利に使って楽して手に入れようとした態度こそ怒りの元ですよ。アッラーへの反抗心から預言者の命を奪うまでしたのかな?人として度を越してるのに戻って来られるの普通なら嫌です。戻ってきたことを受け入れてるのはお話の登場人物としてみてる感じですね。
62.→アッラーと最後の日?ある日突然みんなが楽園にいるような人生になる日が来ることにでもなってるんですか?主の褒美が何か分かりませんが貰いたがりますね。やっぱりサンタさんポジションですよね。
ずっと怖れも悲しみも知らずに笑顔で生きて欲しいとは思ってますよ。でも痛みや別れはどうあっても無くせないんです。
息を引き取るとき、それでも自分は幸せだったと思って欲しい。周りへの愛情を感じながら感謝を感じながら、自分を認め愛しながら、充実感に満ちた最後を迎えて欲しい。
そう願ってきました。
でもその願いに相応しくない者をできるだけ我々は間引いていきたい。間引くのが仕事ですから。きっと誰よりも我々は酷い。だから楽園なんて我々が作れやしませんよ。
期待しないでください。