クルアーン 第2章:雌牛章
誰の目線で何の立場で書いてるのかが分からなくてクルアーンは解説がやりづらいです。。
とにかく行きましょう。
アル=バカラ
1-5の解説
1.→
暗記した内容を書き留めたものを書き残すように言ったらしいです。笑えないジョークですね。ガブがそんな話するわけないでしょ。本人だって約束通り書き残して来なかったんですから。
ムハンマドを偉大な人だと思ってるならその時点で間違えてるのでその本自体無意味で不要です。
内容は元より書き残せと指示されたとか勝手なことを言われ過ぎて、怒りで震えて身体がこそばゆくなりますね。
2.→
疑惑の余地しかないんですよ、、!
3.→
我々の存在を信じ敬意を払って頂いてることは温かな気持ちになる反面、メチャクチャな内容に苛立ち複雑な思いです。施しのために費やすというのが何を誰に?なのかによっては関係なく怒りますよ。信心深さは関係ありません。
4.→
使徒?そんなの作りませんよ。
預言者にしても誤解があるんですけど「預言」ではなく「予言」ですからね。預けてるのではなく『(予)定を(言)ってる』だけです。『世間話みたいに予定を聞かせてるだけ』ですよ。
社会を変えるほどのチャレンジをされた方、お手本になるような生き方をされた方なら来世も乞うご期待なので応援されるでしょう。来世に期待するなら今世を頑張るしかありません。
5.→
それこそ成功者ですか。クルアーンに従った方が人生はうまくいくということかな?良い生き方のジャッジが人が作ったクルアーンと実際の我々の感性とズレてそうなので、クルアーンを信じ守っても我々の想いから外れてると思います。
最後に笑うのは誰?って感じで悪いオープニングでは無いですけどね。
6-12の解説
6.→
ガブとムハンマドの会話の体でいいのかな?
不信仰に陥ったというのは神を信じない、クルアーンを守らないという意味で捉えたんですね。
そこに関心はありません。我々の話を聞かない者は現在もいますよ。今期も何人かそんな者がいて、『聞こえても真に受けないという事は我々をバカにしてるんだね。』と、私利私欲を捨てようとしないくだらない鼻を折る対応に入りましたよ。
私たちは国の要人を見ることが多いので傲慢だと困るんです。
日常的なことなのでガブとムハンマドの間に実際にそういう会話があってもおかしくありません。
驕りや怠慢などを感じた場合は(運気を)落としたくなるんです。「地獄に落とす」って解釈に繋がったのかも知れません。「運気を落とす。暗点させる。」という意味です。「人生お先真っ暗」って良い表現があるじゃないですか。生き方を改めないならそんな人生を生きて貰おうかと我々のメスが入るんです。
各種占いや風水も正しく実践していれば運気を上げたり危険を避けたりできますから我々の影響が全てでは無いですけどね。
それに、とばっちりや理不尽な思いをされてる方が多いようなので我々の仕事の範囲は足りてないですね。
不信仰よりマインドコントロールされて盲信してる方が周りに迷惑かけてそうですけども。
7.→
6.に書いてるように私たちは今も直接忠告したり助言したりしてます。それを無視した行動を取られたら無視できなくなるように実感させるんですよ。
厳しい懲罰は確かにそうで、(警告×忠告⚪︎)を聞かないからメス入れ作業が入ることですね。
注訳1.→
サタンを取ったから神が導きも助言もそれを理解する機会も与えないと。サタンは己の私利私欲だとして頂きたいのと、我々が気づきから遠ざけることはしないということ。分かって無い人が増えることに我々のメリットはありません。メス(仕事)が増えるだけですからね。
加護を与えなくなることで素の状態になりますから、本来の実力や運で過ごすことになります。
見えない誘導がなくなるので失敗が増えます。選択ミスや迷い、人間的な成長も望みにくいので人望にも影響がでるかも知れません。
ところで、サタンはよく聞きますが我々には誰のことはさっぱり分かりません。本当に存在するなら我々とタッグ組める存在のはずなので向こうを取ったから怒るなんてあり得ないですよ。仲間ですからね。我々が思い当たらないその謎の存在への恐怖心は手放してください。
8.→
信仰して頂かなくてもいいのと、最後の日がわかりませんが、嘘をついてまで信じてるフリをする必要があるんですか?我々が求めていないルールを堂々と書かないでください。
因果応報の概念があることが面白いですよね。信仰しないからという理由でバチが当たることはありません。信じる者が正しく、信じない者が間違っているとは思っていませんよ。そんなジャッジの基準をガブが言ったというのなら、ムハンマドはガブの話をひとつも理解できなかったんですね。
9.→
神を信じないものは自分自身を騙しているという意見ですか。どっちかに決める極端な考え方が苦しめるんだと思いますよ。全く信じないとなると神頼みしたくなるときに心の拠り所が無くなるし、かと言って何でもかんでも神のご意志にするのは腑に落ちないこともあるだろうし。
礼拝については形を守る続けることよりも、その度に謙虚さを無くさずに済んでることに意味があると感じています。
10.→
神が心の病を上乗せすることはありません。外(神)のことだとして、自分たちの仕事の量が増えるじゃないですか。合理性に欠ける無駄な時間を見逃す性格ではないですよ。
そこに重ねて、信仰してるフリがバレたから懲罰が降ることもあり得ません。そもそも外は信仰について『神という概念があるらしくてさー』ってところから説明しないといけないくらい興味持っていませんよ。
11-12.→
腐敗させてるのか改善させてるのか?
信仰しないことが腐敗させることだと言ってるんですかね?腐敗させるが単純に性根が腐ってる問題児の起こす問題を指すなら、どこの経典も人間性を養うものでなければいけません。書けてないから解説、否定してるんですよ。つまり経典を読んで神を信仰してるから腐敗させてないとは残念ながらなりません。
もしも全人類が神を信仰しないと神の援護をフルで受けられない。平和な世は訪れない。そんな感じで捉えてるのなら丸投げだなと感じます。自分たちで作る気は無いんですか?神が世の中の全ての不幸を取り除いてくれて、ある瞬間いきなり世の中が平和になると?人は祈るだけで起きると?簡単すぎませんか?
本当に社会を変えたくて改善しようと尽力してくださってるなら改善者でしょう。我々は喜んで応援します。信仰のある無いは関係ありません。ただ声をかけた時にアドバイスを素直に取り入れてくれるのか、無碍にするのかで本当に社会のためなのか自分に酔ってるのか?人間性をジャッジして光を照らすか暗転させるかは変わりますが。
中(地球)のことは中のメンバーが自分たちでやらないといけないんです。外(神)も宇宙も人の為に在る訳ではないですから。力を借りても人は何も返せないでしょ?使って貰う分には構いませんが強く生きて欲しいからですよ。
例えば無人島に漂着したら、それまでの甘えや常識を捨てて何ふり構わず挑む思考に切り替わると思います。そんなイメージで元々持ってる生きる強い力を発揮して欲しいんです。這い上がった経験のある方ならわかると思いますが、得体の知れないエネルギーが湧いてくるんですね。頭は冴えて判断力も上がります。ここより下はないとか、底に居るからあとは上に上がるしかない。抜け出してやる!って自然と上だけを見るようになるんです。
マインドの置き方とか思考のコントロールではなくそれが自然体で後ろ向きな考えは出てこないでしょう。
人生経験で死に物狂いでこれを取得しておけば、よっぽど関わる人間の選び方を間違えない限りその状態で生きることが出来ます。
経験してない人や学び損ねた人は表面的な部分を知った気になっているに過ぎないので時代に乗せられやすいなと見ていて思います。
もともと賢くて解決する自信や根気がある方はポジティブ思考ですけど、苦難がないわけではないですよね。うまく自分の力に変えて乗り越えて、それが正解だったとわかるまで更に努力できる愛おしい方々です。
ガブがムハンマドに話したとしたらこれと似たような話だったはずですよ。
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