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ネイビーアイランドの占領、キャロライン号の焼失|第12章 バッファローの人々とネイビーアイランド戦争|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


ネイビーアイランド(google map より)

ネイビーアイランドの占領

しかし、マッケンジーらはイギリス領土に陣取る必要が生じました。これは、ナイアガラ川の滝のすぐ上にある、小さな無人の樹木の茂った島を占領することによって実現しました。その島は、アメリカとカナダ(イギリス)両国を隔てる海峡の境界線の西側にありました。ここでマッケンジーは暫定愛国者政府の旗を掲げ、ヴァン・レンセリアー将軍は島にある2軒の廃墟となった丸太小屋のうちの 1軒に司令部を置くことにし、愛国者軍の新兵たちが集まってきました。バッファローやそのほかの辺境の町の落ち着きがなく興奮しやすい冬の怠け者たちです。ロチェスターの志願兵部隊の隊長の一人は、ニューヨーク州の紋章を手に部隊全員で行進し、愛国者の奉仕に加わりました。大砲と弾薬は大胆にも兵器庫から持ち出され、ウェストポイント陸軍士官学校で教育を受けたアメリカ人が、島の防衛施設の建設を計画しました。彼がそうしたのは、海岸に集結したカナダの大軍を追い出そうとしていたためです。そして彼は「少年たち」に自らを守り、まともな戦いをするためのチャンスを与えたかったのです。


キャロライン号の焼失

実際、ネイビー島は攻撃するにも守備を固めるにも危険な場所でした。周囲の川は深く流れが速く、故障した船やボートは滝を転落し、乗員全員を全滅させるのは確実でした。精力的なスコットランド系カナダ人であるマクナブ大佐は、数人の半給のイギリス陸軍および海軍将校の支援を受けて、ネイビー島の反対側の川岸に砲台を設置しました。バッファローの蒸気船の船員たちは、バッファローで氷から小さな蒸気船「キャロライン号」を切り出し、開けた川を下ってネイビー島の対岸のアメリカ岸に着きました。そこでキャロラインは渡し船として運航し、島まで人員と物資を運んだのです。

ある夜、イギリス海軍士官が武装したボート 3隻で川を渡り、キャロライン号を奪って岸から切り離しました。川に流されるキャロライン号に火をつけ、船は炎に包まれながら急流を下り、大滝を越えました。双方の証言によれば、襲撃と混乱で2、3人が死亡したようです。特筆すべき反対勢力はありませんでしたが、これはイギリス国王の権威のもとで行動する武装したイギリス軍によるアメリカ領土への侵攻であり、国境全体が極めて興奮した状態に陥りました。周辺地域の民兵がバッファローに殺到したのです。アメリカ軍の最高司令官スコット将軍がワシントンから派遣され、辺境の中立を維持し、侵略から守りました。グランド島の下端を占領するために小規模な民兵部隊が派遣されました。誰もが、近隣の州の誰もが、多かれ少なかれとにかく必要なだけの 20万から 30万の兵士をカナダに送り込みました。両国間の将来の関係を問題提起すれば、必ずやイギリスと即時戦争が起こるだろうと確信していました。そして誰もがみなそう願っていました。キャロライン号に対する暴行は、反英感情を根底から揺さぶりました。

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