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平底船の航行|第15章 ニューヨークからニューオーリンズへ|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


平底船の航行

私はオハイオ川の源流から数百マイル離れたところで、とても失礼な観光客として、オハイオ川に失望しました。オハイオ川をけなすようなことを言ったことを覚えています。オハイオ川は、その千マイルにもわたる長い流域のすべての場所が魅力的です。その半分から先、ルイビルより下流では壮大で美しい川となります。もし川が広くて深く、その長い距離と優美な曲線、そして絵のように美しい岸辺が素晴らしかったのなら、その心地よい思い出に影を落とすものは何もないでしょう。しかし残念ながら私はその流れを疑った瞬間がありました。川の水位は最低でした。最も高い時期には 50フィートの深さになり、海に向かって流れ落ちる大激流となります。

フォートウェインでは私たち全員がとても元気でした。船員たちは大いに盛り上がり、下で楽しそうに歌っていました。船室では、私たちは石炭の火を囲んで座り、おしゃべりしたり、本を読んだり、ポーカーをしたりしながら、もちろん翌朝にはミシシッピ川で目覚めるであろうと思っていました。そうして私たちが楽しく川を下っていった先に、砂州に沈んだ蒸気船プリマス号の残骸が見えたのです。この船は 2日前に別の船に衝突され、瞬く間に沈没し、デッキの乗客はオハイオ川の水中で目を覚ましました。20人の不幸な人が溺死しましたが、川の旅に慣れていた乗客たちはまったく無関心で、ごく普通の出来事として話していました。

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