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州の権利|第1章 イングランドのアメリカ難民|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


州の権利

独立宣言で表明され、各州の憲法に具体化されているアメリカ政府の原則は、「すべての政府は、被支配者の同意から正当な権力を得る」というものです。しかし、そうはなりませんでした。600~800万もの国民が、たった10個や12個の主権国家の憲法上の組織を通じて行動し、満足な大義名分もなしに、自分たちの政府形態を変えるとは考えられません。

連邦が破壊され、湖と湾と二つの海に囲まれたあの偉大な帝国がばらばらに砕け散るのを見て私は悲しみに暮れました。私には、国の一部が他方を服従させなければならない権利など見当たりませんでした。20の州が残りの州に団結を強いる理由も、それができなければ侵略したり、征服させたり、絶滅させたりする理由も理解できませんでした。

少数派によって選出され、暴力的な派閥によって支配されていたリンカーン氏が戦争を決断したとき、私は何をすべきだったのでしょう?私の忠誠は憲法に対してあるのであって、大統領に対してではありません。

私の考えでは、あの戦争こそ違憲だったといえます。それまで私が学び、教えてきた政治的原則とは相反するものでした。私が何か意見を言うとしたら、間違いなくそれは政府の行動を非難するためのものです。もし私が何か書くとしたら、それは兄弟間での殺しあいや自殺行為につながる戦争に抗議するためのものに違いありません。

連邦のための戦争だ!仲間になるか、それとも死ぬか、どちらかひとつを選べ!兄弟になるか、さもなくばお前を殺すかだ!私たちと団結しなければ、お前たちを絶滅させるぞ!

ジェファーソンがアメリカに自由の基礎を築いたのはこのためだったのでしょうか?ワシントンが着のみ着のままで飢え、凍てついた軍隊を率いて独立戦争を乗り越えたのは、このためだったのでしょうか。

独立戦争とは何だったのでしょうか?われわれが最も偉大で、最も自由で、最も幸福な国家だと自負していたのは何だったのでしょうか?すべての自由、すべての栄光が、ここにあったはずです。結局は同胞に戦争を仕掛けるというなんとも惨めな行為に至ってしまいました。父は息子に対して武器を向け、兄は弟に対して手を挙げたのでした。

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