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私なりの絶望の震災 3

2011年

言わずと知れた東日本大震災が起きる年だ。

 2010年10月(震災の半年前)、営業部門に異動になった。営業部門には仲の良かった同期入社の同僚Sが所属していた。毎週のように一緒に遊び歩いていたそのSから引き継ぎを受け、社内でも特にニッチとされる特殊な仕事で独り立ちをすることが、そこでの私のミッションだった。会社は現場色の強い労働集約型産業だった。営業を含む管理部門は少数精鋭が集まっており、地域ブロックを統括するそのセクションへの異動は、社内においては栄転と言えば栄転だった。

 薄々覚悟はしていたものの、数ヶ月経った頃そのSが東京本社に転勤した時は、すごく焦ったことを覚えている。ほとんど絶望に近かった。こんなに複雑で難解な仕事が自分に務まるだろうか。

 そのニッチな仕事は国内では歴史のある産業に関連していて、業界の体質は必然的に古めかしいものだった。なにかにつけ、関係省庁との連携を密にとる必要があった。たいした現場の経験もない35歳に務まるだろうか。

 その頃の上司は、社歴も年齢もちょうど10年先輩のN課長だった。20代の頃から同じ現場に所属する機会の多かったN課長は、私の不安をすぐに見抜き、お前なら大丈夫、一緒に頑張ろうと肩を叩いてくれた。

 それでも現実は、私の淡い期待をよそに、音を立てずにひっそりと私を押し潰そうと肥大していたのだった。

 その一旦として大きな影響があったのはアシスタントの産休突入だった。日々のルーティンをサポートしてくれる、優秀なアシスタントが「妊娠が判明したのでいずれ産休に入ることになります」と報告してきたのが3月の上旬だった。

 震災の起きる約1週間前のことだ。

つづく

Photo by Thomas Griesbeck on Unsplash

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