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小説「対抗運動」第10章 岡潔をめぐって

小説「対抗運動」第10章1 イラク中部のファルージャ

舞ちゃん「おいさん、停戦しとったはずじゃのに、米軍がファルージャを空爆したんやと。また戦争になるんやろか?」
おいさん「新聞には、こう書いとるね。昨夜の攻撃は〈武装組織への反撃と掃討作戦に限定したものとの見方が強い〉と。丁度、国連のブラヒミ氏が、安全保障理事会で暫定政府作りに関する提案を行なった日じゃったから、あえてアメリカ政府が、停戦合意をほごにするような軍事作戦を命じたとは考えにくいんじゃと。 」
舞ちゃん「今度ブッシュ大統領にイラク大使として指名されたネグロポンテ氏は、奇妙なことを言うとるよ。〈イラク暫定政府は主権を実践するが、軍事面ではイラク人治安部隊が多国籍軍の指揮のもとで活動する。〉〈イラク暫定政府がファルージャで続いているような戦闘に直面した場合、米国主導の多国籍軍には自衛や作戦遂行上の裁量が与えられ、暫定政府は米軍に拒否権を持たない〉んやと。 」
おいさん「舞ちゃん、アメリカ合衆国は圧倒的に強大やけど、国民国家の一つにすぎんのや。国民国家であるかぎり、国際正義を管理運用する能力があると言い張っても、帝国主義に陥るほかないんや。ハンナ・アーレントが言う通り、かっての帝国には万人に等しく有効な立法という権威があったけん、征服の後にはきわめて異質な民族集団も実際に統合されえたけんど、国民国家はこのような統合の原理を持たんのじゃ。 」
舞ちゃん「おいさん、前の湾岸戦争の時以来、アメリカが国際正義を代表しとるように錯覚しがちやけど、なんで国民国家はそんなことはできんの?」
おいさん「アーレントはこう言うとるね。なぜなら〈そもそもの初めから同質的住民と政府に対する積極的同意(ルナンの言う毎日の人民投票)とを前提にしているからである。ネイションは領土、民族、国家を歴史的に共有することに基づく以上、帝国を建設することはできない。国民国家は征服を行なった場合には、異質な住民を同化して「同意」を強制するしかない。彼等を統合することはできず、また正義と法に対する自分自身の基準を彼らにあてはめることもできない。従って、征服を行なえばつねに圧制に陥る危険がある.〉。 」
舞ちゃん「ふーん、そうなんか。もともと無理なことをやりよるんやね。」
おいさん「舞ちゃん、あちこちで抗議集会が始まっとる。行ってみよか。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2004年

小説「対抗運動」第10章2 みどりの日の西神田公園

舞ちゃん「おいさん、なんか恐ろしいね。」
おいさん「右翼の街宣車じゃね。 」
舞ちゃん「なんで右翼が、米軍のファルージャ攻撃反対集会を妨害するん?」
おいさん「舞ちゃん、違うんじゃ。この集会は『緑の日』に象徴される様々な動きに、異議申し立てをする集会で、いろんな運動体がここでアピールをするために集まっとるんじゃ。卒業式の度に、「日の丸・君が代」の強制に反対して抗議行動が起きとることは知っとるじゃろう。もう東京都では200名程もの不起立者等に対して、戒告処分を検討しとるそうなんじゃが、なんとかそういう圧力を撥ね退けたいと願う教職員の運動体とか、沖縄で基地反対運動を粘り強く続けている運動体とか、ジェンダー(性差)の強調によって男は外で仕事・女は内で家事、とこう決め付ける故のない圧力に抗して、自分の人生を自分で切り拓きたいと願っとる率直な人たちの運動体とか・・・」
舞ちゃん「うん、解ったよ、おいさん。何で劣化ウラン弾の使用に反対する人らや米軍のファルージャ攻撃に反対する人らがここでアピールしようと集まったんか。なんで右翼がこんな小さな集会に神経を尖らして街宣車を繰り出してきたんか。むつかしいね。自衛隊の派遣に反対する人らも、国際貢献じゃからと賛成する人らも一生懸命考えとるんや。本当にむつかしいね。」
おいさん「舞ちゃん、そうなんじゃ。ナショナリズムは両刃の剣なんじゃ。受身になった時、強大な力にさらされた時、紛れもないネーションの発露によって正直な人らは立ち上がる。誰もちっぽけな自分のことなんか省みることはしやせん。けど、自らが強大になった時、その同じ真情の発露が、こんどは弱い立場の人らを追い詰める暴力になるんも、また本当のことなんや。 」
舞ちゃん「おいさん、どしたらええん? なんとかならんの?」
おいさん「・・・おっ、デモ行進が始まるようじゃね。一緒に歩いてみるかい?」
舞ちゃん「うん、でもちょっと怖いね。」
おいさん「舞ちゃん、世の中に簡単なことなんか一つもありゃせんのじゃ。心底自分が正しいと思うて行動しても、他の人らからどんなに思われるか分らせん。自分のたてる予想は、どんなに冷静にたてても、どこか甘いとこがあるもんじゃ。けど、無闇に臆病になることはないんじゃ。先の先を考えんでも、目の前のことを一ひとつ率直に、自分がおうとると思えることをこなしていけば、たとえ失敗しても得るところはあるんじゃ。不幸にして誤ったことをやってしもうても、率直に間違いを認めて、できるんならやり直せばええんじゃ。さあ、行こか。」
舞ちゃん「うん・・・。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2004年

小説「対抗運動」第10章3  高瀬先生の「評伝 岡潔―花の章」

おいさん「舞ちゃん、お疲れさん。デモも勉強になるけど、おいさんとこに面白い人が来るけん、会うてみるか?」
舞ちゃん「どんな人?」
おいさん「大学の数学の先生じゃ。岡潔いう大数学者の研究者でもある・・・ 」
舞ちゃん「数学かあ・・・。うち好きなんやけど、試験はできんのや・・・・ 」
おいさん「ははは、まあ、おいさんと一緒じゃね。岡潔は知っとるん?」
舞ちゃん「おいさんが田舎にいっぱい本残しとるけん、よう読んだよ。『春宵十話』は面白かった。何べんも読んだよ。小林秀雄との対談『人間の建設』も。自分が、いっぺんに豪なったように錯覚してしもうたけど、錯覚やった。」
おいさん「ははは、やっぱりおいさんと一緒じゃ。高瀬先生に岡潔のこと聞いたら面白いよ。何でも、たちどころに答えてくれるんじゃ。電話帳みたいに分厚い年譜を、ぱっとめくって、それはですね、と指差しながら説明してくれる。 」
舞ちゃん「おいさん、会いたい!。けど、どうして知りおうたん?」
おいさん「おいさんが山登りばっかりしよった頃、歳はあんまり違わんのじゃが、ものすごいエキスパートで、エベレストの南壁隊にも選ばれようかという山男がおってね、おいさんはそのTさんの弟子にしてもろたんじゃが、Tさんは世俗では数学者じゃった。そいでおいさんは、厚かましいけど、登山だけじゃなしに、岡潔のことも手ほどきしてくれと、せがんだんじゃが、専門分野が違うけん解らんのやと。それがもう30年余りも昔のことじゃが、ある時、そう、もう5~6年になるかいね、突然、岡潔の研究者が東京に来るけん会わんか、と言うてきてくれたんじゃ。」
舞ちゃん「ふーん。おいさんは何かいっつもラッキーやね。」
おいさん「そうなんじゃ。なんで東京に来たんかいうとね、そのT先生の職場の同僚に、晩年の岡潔と深く関係した中国人のお弟子さんがおって、その人は『日本書紀』の女性の校訂者なんじゃが、T先生は分野は違うけど、人生の大先輩のその女史と自然と気が合うたんじゃろね、遠慮なしに浮世の愚痴なんか聞いてもらう間柄になっとったんじゃ。偶然その女史に高瀬先生が訪ねてくることを教えてもろうた。高瀬先生は岡潔の評伝を書こうと決めて、徹底的なフィールドワークを始めておったんじゃが、その一環で、この『日本書紀』の校訂者にも会うて、晩年の岡潔の交友関係の実態を検証しようと思たんじゃね。」
舞ちゃん「その中国人いうんは、胡蘭成?」
おいさん「おう、本当によう読んどるね。そうじゃ。高瀬先生は、分厚い評伝の2冊目、一応の完結篇を出版したばかりなんじゃが、残念ながら晩年の交友関係等はそれにはまだ載ってないんじゃ。そこらへんのことも聞いてみよか。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2004年

小説「対抗運動」第10章4  木の葉の匂いと日本

おいさん「高瀬先生、おめでとうございます。やっと出版できましたね。」
高瀬先生「はぁい、いやあ、嬉しいなあ。去年一冊目が出た時は、T先生と東京でお祝いまでしてくれたそうですね。嬉しかったなあ。ゴローさん、このお嬢さんは?」
おいさん「姪の舞です。受験で上京したんじゃが、落ちてしもうて、ははは・・・」
舞ちゃん「はじめまして。舞です。おいさんが岡潔先生の本ぎょうさん持っとるもんやから、つい読んでしもうて、面白いなあ、あっ、いや興味ふかいなあと・・・・」
高瀬先生「そうなんですか、岡先生はやっぱり凄いなあ。舞さんも惹かれましたか。あははは。いやー、嬉しいなあ。どんなところが良かったですか?」
舞ちゃん「アオスジアゲハのこと書いてるでしょう。うちも好きなんです。あと、小さい時、足けがして学校に行けなかった時、毎日近くの花畑まで出向いて、おばあさんが丹精していた菊の花が咲くのを応援したとこなんかも。」
高瀬先生「おお、そうですか。舞さんはアオスジアゲハ好きなんですか。あの時の菊の花も・・・。そうなんですか。いやぁ、素晴らしい。ぼくは、こんどの本の裏表紙に、岡先生の次の言葉を載せました。〈小路にはいると木の葉の匂いが強く鼻を打った。私は日本へ帰ってきたと思った〉」
おいさん「高瀬先生、岡先生がフランス留学から帰国したのは1932年やったですね。前年、〈満州事変の勃発を海外できき、数ヵ月というものは諸外国の日本に対するごうごうたる非難をいちいち身に浴びたわけです。いわば屋外で暴風雨に会ったようなもので、そのとき屋内にいた人たち、つまり日本の国内にいた人たちには想像もつかぬ激しいものでした。〉と書いとりますね。」
高瀬先生「はいっ。また、こうも書いています。〈当時はまだ“純粋な日本人”という自覚はしていませんが、内心目覚めかかったときにその心配を植えつけられたのだから、相当の関心を日本のうえに集めたことは想像できると思います。そののち日本へ帰って国内のありさまを目の当たりに見、またそののちもずっと国内にいて日本の歩き方を見ています。
 どういう歩き方かとひと口にいうと、日本は危険な方から危険な方へとだんだん歩き続け、その歩みを止めない。それは今日もなお続いているのです。(中略)こうして帰国後三十四年というものは、日本のうえに関心を持ち続けてしまったのです。
 私はいま日本にいるので、日本のいろいろな心配事の方が自分の周辺よりもよほど心配になります。これは人生観ではありませんが、むしろ人生観以上のものだと思います。あとは日本が心配な状態をどうすれば取り除けるかということになってしまう。好きも嫌いもありません。わらにでもすがりたいと言うだけです。〉」
舞ちゃん「あーっ、そうなんか。“純粋な日本人”いうのんは、そういうことやったんか!」
おいさん「舞ちゃんは『人間の建設』で、岡先生が特攻隊員たちの心情に共鳴し賛美したことを、なんかおそろしいと思とったんじゃろ?」
舞ちゃん「・・・・・」
高瀬先生「ここですね、〈私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない話ですが、「神風」のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思っている限り決してできない。「神風」で死んだ若人たちの全部とは申しませんが、死を恐れない、死を見ること帰するがごとしという死に方で死んだと思います。〉」
おいさん「そう言えば小林秀雄も、〈あなた、そんなに日本主義ですか。〉と一旦は驚いとるね。“純粋な日本人”の説明を聞いて〈特攻隊のお話もぼくにはよくわかります〉と言うとるね。」
舞ちゃん「次に出てくる、永井龍男の『青梅雨』の話はよう解ったんやけど。軍国主義と一体のナショナリズムやと勘違いしとった。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2004年

小説「対抗運動」第10章5 人は普遍性の中でシンギュラーになる

おいさん「高瀬先生、今度の伝記、花の章は、戦後発表された、岡先生の第7論文と第8論文が中心に据えられとりますね。大発見の不定域イデアルの理論に、なんとか一般読者にも親しめる路を切り拓こうと、いろんな試みをなさっとるんじゃね。数学的意味合いは、残念ながら無学やけん辿れんかったんじゃが、普遍性と単独者の関係が鮮やかに浮き彫りになっとって面白かったです。」
高瀬先生「それはどういうことですか・・・・・?」
おいさん「第7論文は、渡米する湯川秀樹によってアメリカのアンドレ・ヴェイユのもとに運ばれ、さらに帰仏したヴェイユによって、アンリ・カルタンに手渡され、やっとその真価が認められたんじゃよね。『フランス数学会報』の巻頭論文として採用され、それに続くカルタンの論文によって最大級の評価を得ました。しかし、この論文に添えられた岡先生の手紙の下書きには、〈この時期、私には語り合う人がいなかったのです〉と書かれとったんやねえ。国内では、退官せざるを得んかった大学を含めて、あらゆる共同体において異分子じゃった、すなわち岡先生は単独者であらざるを得んかった。数学の普遍性とつながろうとする姿勢が、そのことをもたらしたんやろう。高瀬先生はこの間の様相を、ガロアの遺書を引用した後で次のように書いておいでじゃ。〈学問の値打ちを理解する資格と力を備えているのは、学士院や大学のような世俗の権威ではなく、理解する目と共鳴する心情とを併せもつある種の特定の「人」なのである。もし学問で自信のある果実を摘んだという確信が訪れたなら、即座に理解されないことをむしろ喜んで、それを理解する力と共感し得る心情を持つ学問の仲間を探し当てて小さな精神の共同体を形成し、新しい学問の生成をめざさなければならないのである。心情と心情の共鳴こそ、学問というものの共通の基盤であり、学問の世界にただよう神秘感の、永遠に尽きることのない泉である。〉」
高瀬先生「確かに、人は普遍性の中でシンギュラーになる、ですね。」
おいさん「先生、小さな精神の共同体、は事後的には実在するけど、事前には何とも言えないようなもんじゃね。組織のように在るもんじゃないですね。」

高瀬先生「想像の中に、予感の中にあるものですね。しかし、ない、とも言えない。空想ではないのだから。」
おいさん「胡蘭成の場合は、政治じゃけんど、この文脈で言うたら、事後的にも精神の共同体はないんじゃね。国民党の副総裁であった汪兆銘が指導した対日和平路線のもとで言論主幹を勤めておったんじゃが、時代は激動し、日本は敗戦し、汪兆銘は故人となり、同志や部下は国家反逆罪を着せられた。」
高瀬先生「敗戦後、近衛文麿は自殺し、発表された彼の日記には汪政府を〈傀儡〉と呼んでいた。一方終戦後十年余り経って発見された汪兆銘の遺言状には〈日本を敵と称し、講和の失敗が残念であるとされていた〉そうです。」
おいさん「胡蘭成は最晩年の著書に、こう書いとりますね。〈汪精衛(兆銘)が唱えた日中和平建設・アジア新秩序運動は完敗したのにもかかわらず、世界の主流である。現在ではまだ伏流であったとしても主流である。というのはこれからの世界歴史は、西洋のかわりに東洋の新展開があるからである。〉しかし、このことは、小さな精神の共同体、の実現とはちがいますね。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2004年

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