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新生⑨

アマンダがはじめてわたしを訪れて3年が経っていた。彼女は年に1回は必ず会いに来てくれ、わたしたちはその都度にお互いの愛情を確かめあった。なかなか一緒に過ごせる時間が限られていたので、わたしたちにとってはそれしか方法がなかったのである。わたしはよく、僕の子どもを産んでくれるかと彼女に聞いた。それは中々意地悪な質問であったと今思う。なぜならば、前述の通り彼女は厳しいカトリックの教育を受けてきただけでなく、彼女の父親がアジア人を心の奥底から嫌悪する、熱血な共和党支持者だったからだ。それでも彼女は、そうしたいと毎回答えてくれ、わたし自身のエゴを満たしてくれていた。

そういった3年間で、山や谷が道中になかったわけではない。破局の一歩手前まで行ったことが2回ほどあった。それは、双方の、なかなか会えない不満が表面化した結果であったが、その都度必ず仲直りをして、お互いの気持ちを可能な限り確かめ合うように努力していた。

最大の危機は、わたしたちの関係が始まってから2年目に訪れた。大学に入って二年目の秋、わたしは一人の留学生と出会った。彼女の名前はカリンといった。カリンは身長150センチくらいの小柄な子で、いつも長い髪をハーフアップに結んだ、とても笑顔が素敵な子だった。わたしが最初カリンに気づいたのは、授業開きの日、講義室に向かってキャンパスを歩いていた時であった。ひとめぼれ、とはそれまで体験したことのない感情であったが、わたしは一瞬にして彼女の虜になってしまった。

そんな彼女のことを考えながら自分が取った自然人類学の講義室に入った。空いている席に座って見慣れない学生の顔を見渡していると、先ほどの彼女が若干不安な表情で部屋の端に座っているのが見えた。同じクラスをとっているのか。わたしの関心はさらに膨れ上がった。そうしているうちに、確認のための名簿がわたしに回ってきた。自分の名前を探すべく、アメリカ人の名前の海を探っていくと、Karin O.という、如何にも日本人っぽい名字の名前が目に入った。そうか、彼女は日本人なのか。わたしの彼女に対する関心はますます膨れ上がった。

やがて授業開きのオリエンテーションが終わり、学生たちが部屋の外へと移動しはじめた。わたしは、同じく立ち上がろうとしていた彼女に思い切って話しかけてみることにした。この時なぜそう決心して行動できたのかはいまだによくわからない。わたしはどちらかというと内向的で、自ら全くの他人に話しかけるなどということはたいていの場合気が引けたからである。

「こんにちは、日本の方ですか」

その言葉を聞いた彼女の顔からは、いままで見せていた不安感が一気に抜けたようだった。

つづく

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