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大陸横断紀行②

アパートを引き払う日、わたしは管理人に鍵を返却してから、もう一度2年間住処であった場所を見返した。もうすでに荷物は貸倉庫に預けてあったので、部屋は借りた初日と同じ用にすでにがらんどうになっていた。いつになったらこの根無し草のような生活が終わるのだろう。いつになったら生活に動揺が走らないような日がくるのだろう。この二週間で生活のすべてがひっくり返され、精神的に心底疲れていたわたしは、レクサスに乗り込んで早々にやっと見つけ、家と呼んだアパートを後にした。

朝のフリーウェイを東にむかい、サンノゼを抜けてサンフランシスコ湾の東側を北上した。車を十年前の車とはいえ、さすがレクサスである。エンジンは心地よい唸りを上げて、北へ北へとむかった。サンフランシスコから湾を渡ってきた州間高速80号線に合流すれば、そのまま走り続ければシカゴまで乗換なしだ。

三回目の大陸横断とはいえ、今回は若干気が軽かった。前回と違って車での旅である。快適度は格段に良い。それに季節も前回と違って初夏だったし、横断ルートも前回と全く違う。わたしはサンルーフを開けて、サンフランシスコのオルタナロックのラジオ局に周波数をセットして、前回とはまるで違う軽快な気分で、ベイエリアを後にしようとしていた。

ベイエリア最後の橋はカルクィネス海峡を渡る、ゴツゴツした鉄橋の脇に新たに掛けられた立派な吊り橋であった。この橋を渡ってヴァレーホという街を抜けて丘陵地帯を越えると、やがて延々と田園地帯を真っすぐサクラメントまで道がつづく。さすがに海辺を離れると気温が上がってきたので、サンルーフを閉め、エアコンをつけた。そしてラジオは雑音が入るようになり、サンフランシスコから遠ざかっていることを実感させた。

サクラメントまでの高速道路に母親が時々顔をだしたインディアン・カジノがあった。インディアンの居住地は一定の主権が認められていてカジノを建てることで経済の活性化を目指す部族も少なくなかった。もっとも、マカオやドバイなどの海外の開発業者に有利になるような契約を結ぶ所が多かったようだが。とにかくわたしはそこで昼食を摂ることに決めていた。カジノは大嫌いだったが、大抵の場合安価なビュッフェレストランがあって、休憩にはもってこいではあった。

インディアン・カジノに入ると、中はうるさくタバコ臭かった。居住地なので禁煙に関する法律が及んでいないのだ。早速ビュッフェを探して適当に料理を無造作に載せて食べた。ビュッフェの食事は安いし早いが決して美味いものではない。だがそれも仕方がない。いかにギャンブラーを迅速に、安く食わせるための飯場だ。そんな、決して美味しいとはいえない料理で腹を適当に膨らせた。

食事のあとに休憩するべく、ソファーに座りギャンブルにのめり込む人たちを眺めていた。なんてバカで愚かな奴らなんだ。特にタバコを咥えながら、狂ったようにスロットを回す年嵩の女が気に食わない。どこの馬の骨かしらねぇが、ろくでもねえ。こんなとこに長居するのも腹立たしいだけだ。さっさと退散しよう。そう思ったわたしはカジノ地獄を後にし、ペンシルベニアへの長旅に戻ったのであった。

つづく



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