奈落㉗

午後の残りの時間を駅のベンチで旅行者が行き来しているところを眺めながら時間をつぶした。わたしはアマンダに再開できることよりもこの地獄のような路上生活が終わることのほうがよっぽどうれしかった。とはいっても、正直一人での放浪生活は嫌いではなかった。お巡り以外にウォルマートみたいな存在がうざい奴らとも関わることがなかったし、一人で色々回ることができたし、その方がよっぽど自由を満喫できたのも事実である。そしてそれと同時にわたしの中では新しい懸念材料ができていたことも確かである。もし冬休みにアマンダの「いい考え」でフィラデルフィアに一か月以上放置されたらどうしよう。実際奴はやりかねなかったし、一か月に及んだらいよいよ命はない。正直な所もう自分でアパートを別に借りることも検討していたが、外国人、それも東洋人にとって、たとえ収入があっても時に貸し渋りに遭うことは身を持って体験済みだった。なぜ今あえてあの茨の道を進まなければならないのであろう。

数時間おくれて奴は駅にきて、外にいると連絡をよこしてきた。わたしは表に通じるドアを押しながら、やっとこの放浪生活を乗り切った達成感で満たされていた。程なくして例のオンボロ車であるわたしにとっちゃ寝床であるセダンを見つけるとさっさと乗り込んだ。

「おくれてごめんねえー、感謝祭は大丈夫だったあ?」

こいつのいちいち人の神経を逆なでするような言動のおかげで頭に血が上るのを感じた。が、わたしは無難な返事を返してアジアンスーパーによってくれとだけつたえるとそのままだまりこくった。フィラデルフィアは田舎と違ってアジアの食材を取り扱う大規模なスーパーが何箇所かあった。そのうちのひとつに連れて行ってもらうのは同居生活をしていた当初からの約束であった。そのためにわたしは事前に下調べしていた韓国系のマーケットに、すべてが終わったら寄ってもらうことにしていた。

車はしばらく走ってからわたしが指定した韓国スーパーにたどりついた。なつかしい。LAにいた頃はよくこのようなところで買い物したものである。規模もLAの大型店舗と大差なく、フードコートを併設した、かなり大規模なショッピングセンターといった具合だった。入店と同時にわたしは惣菜やらインスタントラーメンなどを買い漁った。長いLA生活の中で韓国語を覚えざるをえなかったわたしの語学能力がフル回転して、店員さんに何処に何があるかを聞きまくってのショッピングであった。最終的にショッピングカートいっぱいの戦利品を得てわたしはニコニコとしながら店を後にした。

つづく

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