奈落⑦

食事を皆でとるということだったが、ウォルマートもブラジルも何か料理をしたことがないといった。アマンダの方を見ると、彼女も作ったことがないという。仕方がない。わたしの手料理で皆をもてなすことになった。料理をふるまう相手がアメリカ人ということもあり、アメリカ人ウケするような献立を考えた。まずは白米。多めに炊けば後日こいつらが好きな炒飯にすることもできる。メインに鳥のから揚げ。揚げ物なら食うだろう。そして最後に蛋花湯。ようはかきたまスープだ。なんだか中華っぽい献立になってしまったが、こいつらが食ったことのあるアジアンフードなんてチャイニーズくらいだから適格だと思った。

アマンダにジャガイモの皮をむくように言ったが、見ててとてもぎこちない。見てるこっちがハラハラしてしまって、もういいよ、と止めさせ、代わりに米を研ぐように頼んだ。

「米を洗うの??」

うそだろ?

わたしはこうやって研ぐんだよ、とやり方を見せて、「水はとりあえず捨てないでおいて、自分がやるから」といった。米も研いだことがないんだからそのまま米ごと流してもおかしくない、そう思ったからだ。それにしても、こいつらそろって料理ができないとはどういうことだ。よくこいつら家を借りることにしたよな、とあきれ返ってしまった。なんせアメリカ人の娘なんてたいていお姫様気分である。小さいころから何もやったことがないやつらが大半だ。そのせいか男を下男かなんかとしか思ってないんだろう。ましてやわたしはアジア人だ。ひょっとしたら人間とも思ってないんじゃないか。正直Eにしろアマンダにしろ、どうしてわたしと付き合いたいと思ったのかも正直謎めいていた。そういったシニシズムが長いアメリカ生活の中ですっかり定着していたわたしは、すべてに対して疑いの目で見ざるを得なかったのは言うまでもない。

出来上がった料理を皿に盛り付け食卓へもっていった。余計な皿を汚すのも面倒だったのでワンプレートでだした。皆が席に着くとウォルマートが

「ではお祈りを捧げましょう」

といった。うわ、こいつクリスチャンかよ。そう思いながら目を閉じて一緒に祈ってやった。わたしは渡米した当時、キリスト教系の私立中学にぶち込まれ、聖書の暗記やら礼拝やらでうんざりしていた。さらに、この学校でアメリカ人の「利己的宗教観」を嫌というほど味わされてきた。どうやら、アメリカ人というのは、自分たち白人が地球上で一番偉く、イエスも白人で、もちろんイエスの弟子もみんな白人で、自分たちがほかの「劣等人種」を教化して救うのだと思っている節があった。もちろん彼らはそんなことは口にしない。それはポリティカル・コレクトネスに反するからだ。だが彼らの言動から、そのような情趣を薄々解していた。

つづく



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