ネイティブ信仰と発音学習について
僕は、ネイティブ信仰は意味ない、マイナスであるという意見をもっていますが、これは発音学習にも当てはまります。今回は、発音学習でネイティブ音源にこだわる必要はないこと、幅広い視点で発音学習を進めることが重要であることを説明します。
根深いネイティブ信仰
発音学習でもネイティブ信仰は根深いです。たぶん、フィリピンなまりのようなノンネイティブ英語を耳に入れると耳が毒されるとか、高尚で模範的なネイティブ音源にこだわり、ノンネイティブスピーカーの音を聞かないようにする、という考え、態度を持っている人はいると思います。
もちろん、そのような態度はよろしくなく、ネイティブかノンネイティブかというしょうもない垣根を設けずに、多彩な英語を聞いて特徴を理解したほうが良いです。
たいていの場合「ちゃんぽんアクセント」になる
というのも、模範的、標準的とされているアクセントを完璧にトレースするというのはできますが、実態としてそれをしている人は少なく、たいていの場合、「ちゃんぽんアクセント」におちつくことが多いからです。ちゃんぽんアクセントとは、局所的に英米の特徴が入っているとか、局所的に母語の特徴が入っているといった、寄せ集めの鍋のようなアクセントのことで、ノンネイティブ上級者のほとんどはちゃんぽんアクセントだと思います。
実際、僕もちゃんぽんアクセントだと思います。声門閉鎖などの日本語チックな特徴がたまに入りますし、-er のR音声母音を、楽だからという理由で長いシュワにすることもあります。
ネイティブ信仰は自分の首を絞める
「ノンネイティブの発音に対する考え方はこうであるべき」の記事でも説明しているように、一定水準以上であれば訛りは機能面に影響せず、ちゃんぽんアクセントでも問題ありません。ネイティブ信仰に侵され、ネイティブらしくない要素が許せないと感じるようになると、機能面とは関係のないネイティブらしくない要素が許せなくなり、自分自身のネイティブらしくない要素も必然的に嫌いになっていきます。
さいごに
ネイティブ信仰は視野や可能性を狭める行為です。ネイティブ信仰が先鋭化するとしょうもない批判役に徹するなどの、時間を無駄にする行為に走ってしまいますので、今日からやめたほうがよいです。
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