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ジーン・ウェブスター「Dear Enemy」ペンギンブックスp.328~329

(続き)

 ここからの数分間、何が起こったのかはわかりません。私、うしろを向いてぎゅっと目をつぶってしまったから。どうにか消防士が彼を引っ張り出して、はしごを半分ほど下ろしたところで、手をすべらせたようでした。ドクターは、煙を大量に吸ったせいで意識を失っていたでしょう、それにはしごは凍ってすべりやすかったし、ぐらぐらしていたし。とにかく、次に私が見たときには、ドクターは地面に倒れてた。周囲を人が走り回って、誰かが「人工呼吸を!」って叫んでる。みんな、彼が死んでしまったと思った。でも、村から来た医師のメトカフ先生が様子を見てくれて、脚の骨と肋骨2本が折れてはいるが、それ以外は大丈夫なようだ、って。窓から投げ出されてた赤ちゃん用のマットレス2枚の上に寝かせたときも、彼はまだ意識がなくて、そのまま、はしごが積んであった荷車に乗せられて、ご自宅へ運ばれていきました。
 あとに残った私たちは、まるで何も起こらなかったかのように現場の作業に戻りました。妙なものね、こういう緊急事態のときって、そこにもここにもすることがあって、何か考えてる暇なんて全然なくて、あとになってみるまで、物事の価値を正しく判断できないの。ドクターは、一瞬のためらいもなく、命の危険をおかしてアレグラを助けに行った。これは、私がこれまで見た中で、もっとも勇敢な行為でした。でも、それだって、このひどい夜にあってはたった15分間の出来事に過ぎなくて。そのときは、ただの事故だって思ってた。
 それで、彼はアレグラを無事に救い出しました。毛布から顔を出したアレグラは、髪はぐしゃぐしゃだったけど、この新しい「いないいないばあ」の遊びに、びっくりしながらも喜んでる風だった。にこにこ笑ってたのよ! この子が助かったのは、ほとんど奇跡でした。火が出たのは、アレグラから壁をはさんで1メートルも離れていないところだったの。でも、風向きのせいで、火はアレグラから遠ざかるように燃え広がっていったのよ。もしスネイス先生が、新鮮な空気の効用をもう少し信じて、アレグラのいる部屋の窓を開けておいたら、火はこちらの部屋に戻ってしまったでしょうね。でも幸いなことに、スネイス先生が新鮮な空気なんてものを信じていなかったから、そんなことにはなりませんでした。もしアレグラが助からなかったら、私は、どうしてあのときブレットランドさんにアレグラを連れていってもらわなかったんだろうと、自分を許すことができなかったと思います。それは、サンディもきっとそうだったでしょう。
 いろいろ失うものはあったけど、2つの大きな悲劇を回避できたことを思えば、幸せな気持ちでしかありません。燃えさかる3階にドクターが閉じこめられていたあの7分間、私はもう2人ともだめだと思って、生きた心地もしなかった。いまでも、おそろしさに震えながら夜中に目を覚ましてしまうことがあるくらい。
 とにかく、そこからの話もしてしまうわね。消防士と有志の皆さま――とくに、ノウルトップの運転手や馬丁の方々――は、夜じゅう、本当に一生懸命に働いてくださいました。うちに入ったばかりの黒人の料理人はなかなか豪胆な女性で、外に出ていって洗濯室に火をおこし、湯わかし釜にいっぱいのコーヒーをつくってくれました。彼女、自分の判断でそうしてくれたのよ。消火作業にあたっていない非戦闘員は、消防士が数分ずつ休憩をとろうと順番で戻ってきたところへそのコーヒーを出してあげて、ずいぶん喜ばれたわ。

(続く)

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